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コロンビアのクロヒョウを倒した男

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調子にのっていた東京都代表チーム時代

そんな、「エリートいじめられっ子」から「世界を股にかける空手家」に成長したぼくは、相当調子に乗っていました。

大学の空手部からのみ選考会を通れる、世界最高峰のチームの一つ、「東京都代表チーム」にも入れるようになっていました。
道場出身の僕が入れたことは相当レアでした。

そんな中、ネパール周辺の国々に恐怖のメールを送った要領で、
当時アメリカ大学院に行くことを考えていたぼくは、アメリカの大学院の研究室中にメールをしていました。

「教授、あなたの論文は素晴らしい。だが、ぼくがあなたのもとにいたらもっとXXXなようにかける。なので、ぼくが入学書類を送ったら、引っ張り上げてほしい。また、お金がないので、月に60万近くの給料がでるような仕事も一緒につけてほしい。」

。。。何様?
というレベルのメールを真面目に送っていました。

アメリカTop20に行くと、学費と生活費を賄えるくらいの仕事ももらえるのです。

そんな”何様”メールにも素晴らしい条件を提示してくれた、アリゾナ大学の大学院、航空宇宙学科に進むことになりました。

黒豹を倒した男

アリゾナ大学の大学院、航空宇宙学科に通っていた頃、アリゾナから近いラスベガスで、全米オープンなどの国際的な空手大会があることを知り、参加しました。

参加すると、待合室は世界大戦。

各国のナショナルチャンピオンが、殺気むき出しでウォームアップしていいました。

いざ、試合開始。

ぼくは身体能力が高いわけではないので、戦術で相手を手玉に取るタイプの戦い方でした。

各試合、すれすれ。

にもかかわらず、学会に出す論文の締め切りも近づいている。。。

試合の合間には、鼻血を出しながら、パソコンとにらめっこする。

「なんだ、こいつ?!」
という目で、待合室で目線を感じました。

そんな変な日本人を写真におさめようと、アメリカの子供空手家たちがスマホでぼくをパシャパシャ撮っていました。

そんなすれすれのなか、何とか準決勝へ。

相手は、「コロンビアのクロヒョウ」
恐ろしいスピードと、闘争心。
まさにクロヒョウ。

パンチがシャープすぎて、唇がドアみたいにパカパカになって切れました。

でも幼少期から父への恐怖心から、ただひたすらに空手をやり続けたぼくは自分の想像以上に忍耐強く、結果コロンビアのクロヒョウを点数で上回っていました。
メダルを受け取った時、大会オーガナイザーが、
「おめでとう、世界チャンピオン!」
と言ってくれ、初めてのなんとも言えない興奮がありました。

翌日のラスベガスの新聞には
コロンビアのクロヒョウを倒した男 スーパーアジア人
として、取り上げられていました。
エリートいじめられっ子だったぼくが世界一になった日でした。

大会のあと

「世界一だし、優勝パーティーではたのしんじゃお!」
と思っていたら、、

「あなた、すぐに救急病棟へいきなさい!
さもないと、一生口がひん曲がった顔になるわよ!」
と周りに脅され、夜中、病院の待合室に。

どうやら、クロヒョウのシャープすぎるパンチはぼくのカラダに大ダメージをおわせていたようでした。。

病院について治療。

保険がきかなかったため、治療費60万。
大会優勝賞金50万。

「赤字やんけ!」

涙がほほをつたった、ラスベガスの夜でした。

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