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ネルソン・マンデラ氏の全面支援を受け10万人の生徒を持つ武道家

いじめられっこだった幼少期

幼少期、ぼくは「エリートいじめられっ子」でした。
登校すると、いつも何かしら隠されている。
休み時間は、数人にどつかれる。
学校に行くのが憂鬱でした。

家庭はどうだったかというと、
父親が自衛隊特殊部隊の教官でした。
毎朝起きると、腹筋と背筋を50回ずつ。
学校から帰宅して宿題をして間違えると、定規でたたかれる。
「父親の勉強の教え方がへたくそすぎるからだ!!!」
・・・なんて口にだせるわけもなく、ただ静かに頑張って生きてました。
唯一の心のオアシスは、家で心静かに作るプラモデルのロボットでした。

転機が訪れた少年期

そんな、小学校3年生のある日。
ぼくが、いじめられっ子であることに自衛隊特殊部隊の教官である父が気付き、憤慨し、ぼくに2択を迫りました。

「『空手道場に行く』か『家を出る』か今すぐ決めろ!」

・・・それって、一択じゃない?
なんてことを言えるわけもなく、しぶしぶと空手道場に通い始めるのでした。
ただ、いじめられっ子の僕が空手道場になじめるわけがない。
半分以上はさぼって、近くにあるゲーセンで時間をつぶしてました。
一度、父親に見つかり、本当に3日間、家を出されたりもしました。

その時は公園の水をのみ、友達の家でご飯を頂き、何とか生きながらえました。
父親に見つかり、
「どこをほっつき歩いていたんだ!!!」
と、思いっきり殴られました。

「家を出てけって言ったのはあなたじゃん。。」
なんて言えるわけもなく、ただただしずしずと家に帰る。

そんな、ぱっとしない少年時代でした。

マンガ北斗の拳のような 恩師高橋先生 との出会い

「中学生になったら、空手をやめてもいい」
そんな風に父親に言われてました。
空手がいやで仕方なかったぼくは、小学生を卒業するのが楽しみでしょうがなかった。

ところが、そんなある日。
通っていた道場に、ある男が現れました。

その男の名前は、「高橋秋夫(たかはしあきお)

今でも忘れない日。
小学6年のころ、道場に行きました。
思春期手前の僕は、道着には道場で着替えてました。
更衣室で着替えていると、
「ガチャっ」
と、ドアが開きました。

そのドアの前に、その人は立っていました。
鷹のような目、常に怒っているような眉毛、明治時代の人かよ!と突っ込みたくなるようなヒゲ。
その男は一言。
「ここが更衣室か?」
と尋ねました。
「見りゃわかるだろ」と言いたかった思いをぐっと胸にしまい、
「はい、こちらです。」と丁寧に答えました。

「おう。」
その男はたった一言いうと、更衣室に入ってきました。

「お礼は? 親切に教えたんだぞ? 礼儀を知らんのか?!」
と怒りをあらわに怒鳴ることもせず、ただしずしずと僕は道着に着替えてました。

着替え中の約10分間。
その男は何も話さない。
その空気が重すぎて、他の小学生、中学生たちも一言も話せない。
こんなにアン・フレンドリーな空気は後にも先にもこの時が一番でした。

「この男は、今日初めての入会体験者か?」
と思っていたら、稽古の最初に紹介されました。

「今日から稽古に来ることになった、世界チャンピオンの高橋秋夫さんです」

「世界チャンピオン?!?!」道場中がざわつきました。

どうりで、目つきが悪い。。と、心の中でつぶやきました。

稽古が始まると、小学5年生が、その男に呼ばれました。
なぜか一列にさせられると、順番にその男と戦うことに。

その男は、当時40代半ば。相手は小学5年生。

なのに、そんな小学生のお腹に思いっきりパンチやキックをその男は叩き込みました。
もちろん、小学生は泣き崩れ、倒れました。

すると、その男はただ一言、

「次」

まるで死刑執行台に並んだ人間のように、小学生たちがざわつきました。

30分後、ほぼ全員が泣き崩れる。

その男は、また一言。

「来週は、小学6年だ。」

死刑執行宣言。

次の週、20人近くいた小学6年生は、5人強に。
死刑執行が着実に行われました。
ぼくも強烈な蹴りをお腹にくらい、泣き崩れました。

その男が来てから、1か月。
300人ほどいた道場性は、約50名ほどになっていました。

そして、どういうわけか、ぼくはまだその50名の中にいました。

「エリートいじめられっ子」のぼくは、やられ慣れていたのです。
痛くても、結構耐えられる。
以外にも、その男との稽古は、耐え抜くことができました。

そのうち、その男になぜか気に入られました。
中学3年になる頃には、その男の道場の稽古にも参加していました。
もちろん、そんな男の道場は、ガラの悪い大人だらけ。
でも、どういうわけか、いじめられっ子だったぼくにはとても魅力的な場所に感じました。

気づけば、その男とガラの悪い弟子たちと一緒に、銭湯や打ち上げにいく日々を過ごし始ました。
(もちろん、未成年のうちはアルコールは飲んでません)

ネルソン・マンデラ氏からの全面支援

その男、高橋先生は、世界的な有名人でした。
世界中から、高橋先生の教えを請うために、先生方が来日しました。

その中でも、特に強烈だったのが、南アフリカから来たブース師範
ラーメンマンのようなヘアスタイルに、これまた鷹のような目をした190cm近い大男。

ちなみに、当時南アフリカでは、白人と黒人が交流すると刑務所に連行されるという、「アパルトヘイト」という制度がありました。

ブース師範は白人。
男気と信念あふれるブース師範は、もちろん、白人も黒人も関係なく道場で教えてました。
何回も刑務所に連行されたそうです。

ところが、そんな時代に、人種差別に異を唱える人間がほかにもいたそうです。

その方は、
ネルソン・マンデラ氏。

のちにノーベル平和賞を取った、マンデラ氏。

獄中で、同じ信念を持ったブース師範にひどく感銘を受けたそうです。

ブース師範とその仲間たちが国内や国外で空手を広めるときは、マンデラ氏が全面協力すると言ってくれました。

また、ブース師範との友情の証として、マンデラ氏のお孫さんをブース師範の道場に入会させてくれました。

・・・そんな話と、南アフリカやその他の国でどのように高橋先生の空手を展開するか。
その通訳をしたのが、当時高校1年生ほどのぼくでした。

道場にいるガラの悪い生徒たちも、もちろん高橋先生も、英語はまったくできません。
ほとんどが中卒でした。

そんな中、高校にまで進学できたぼくは神童のような扱いでした。
偏差値60もいかない学校になんとかしていった英語力が、その道場にトップ学力でした。

通訳も、今思えばだいぶんできていませんでした。

一方で、通訳する傍ら、ブース師範のような信念のある男たちと直に話せた経験は、その後のぼくの人生に大きな影響を与えました。

「ぼくも、信念あふれる、かっこいい男になりたい。。!」
いつからか、そんな風に思い始めました。

高校を卒業するころには、すっかり空手にドはまり。

毎日、2時間ほどけいこするようになっていました。

NPO法人の立ち上げ

「俺の空手を世界に広めたいなー」
口数の少ない男、高橋先生が珍しくつぶやきました。

普段は、打ち上げの場所、行きつけの中華料理屋でも2時間ほぼ無言。
巨人の野球中継を見ながら、
「今日の上原はいいな」
が唯一の発言。
他のメンバーも気を使って、無言。

今からしたら、こんな斬新な飲み会は後にも先にもこの時のみでした。

そんな男が、空手を広めたいと希望を述べました。

当時はすでに大学生になっていたぼく。

なぜか、急に高橋先生の名を世界に広めねば!と使命を感じました。

友人に相談し、ひとまずNPO法人を作る。

海外に広めるアイデアが思い浮かばなかったので、
何を思ったか、
各国の教育省にメールを打つことにしました。

「あなたの国に、武道教育を広めてあげます。
日本の東京で一番影響力と教育力の高い団体です。
興味なければ、あなたの隣の国にこの話を持っていきます。」

というメールを隣接しているアジアの国の7か国にしました。

「どうせ、返信ないだろ。」
と思っていたら。。

「ぜひ、わが国で武道教育を広めて頂きたい。」
ネパールから返信!

高橋先生も、珍しくびっくり。
日程調整をして、ネパールに行くことになりました。

ネパール空港に降り立つとマーチングバンドがお迎え!?

高橋先生と、ガラの悪い生徒と、ぼくの3人でネパールへ。
まったく、詳細がわからない。
飛行機の中でも、3人でどきどき。
それをごまかすかのように、ただただ、ビールを浴びるように飲みました。

ネパールの首都、カトマンズに到着。

「神谷、だれか待っているのか?」
と聞く、高橋先生。

「あー、たぶん、誰かはいるはずです。。。(と、祈る。。。)」

恐ろしく、不安でした。

いざ、荷物を受け取って空港から出ると、

「センセイ!!!」

30人近い、ジャージを着た方々。
その後ろには、マーチングバンド。

「あれ、どなた向け?」

そう思っていたら、その方々が歓迎の花束。
マーチングバンドが、よくわからん曲を弾き始めました。

その映像を撮る、メディアらしき方々。
マーチングバンドは僕らのために用意されていたようで熱烈な歓迎を受けました。
その夜は、”歓迎に驚く自分のあほ面をテレビで見ながら、レストランで食事をする” という不思議な経験をしました。

ネパールではいい事ばかりではありませんでした。

政府のお金に目を付けた悪い先生方に利用され、詐欺の容疑でぼくや高橋先生が警察に事情聴取を受けるという非常事態が続きました。

結果的に、現地で仲良くなった政治家や空手家たちが僕らを全力で守ってくれ、南アフリカ以来の2か国目の加盟国が見事にネパールに立ち上がりました。

『神谷誠』にご興味がある方はこちらからお問合せ✉

press.compass123@gmail.com


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