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【丸山眞の略歴】

書く機会が少ないので、簡単に経歴をまとめておきます。どちらかというとアーティスティックな遍歴で、これまでに就いた塾講師やホテルの仕事などの、履歴書や職務経歴書に書くような情報は書いてありません。

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1975年福岡生まれ。長野県長野市で育つ。1995年、長野県立長野高等学校卒業。高校在学時から詩を書き始め、友人たちと小部数のコピー誌を創刊、1998年頃まで続く。高校在学中に、友人の挿絵の入った、手作りの詩集も作成しています。2000年、愛知大学文学部文学フランス文学専修卒業。1999年には南仏アヴィニョンに語学学習のため、二週間ほどの短期留学もしています。大学卒業後の一年間、大阪のIMI(インターメディウム研究所「大学院」講座)で椿昇さんや野々村文宏さん、椹木野衣さんの講義を受けています。同時に京都の今貂子さんの舞踏ワークショップに通っていました。彼女の公演に、ゲスト的な形で出演した事もあります。

IMIの修了後には実家のある長野県に戻りましたが、2003年から2007年にかけて、長野在住のパフォーマンス・アーティストである霜田誠二さんの主催するNIPAF(日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル)に参加しています。ボランティアとして実務的な事や広報を手伝う一方、来日した海外のパフォーマンス・アーティストのお世話や、自分自身も日本国内のツアー公演の中で、パフォーマンス作品を発表しています。長野、東京が主ですが、他に名古屋、京都、長野県松本市、群馬県前橋市や埼玉県熊谷市、同じく行田市でも行なっています。NIPAFは海外ツアーも行なっていますが、台湾、イギリス、北アイルランド、ベトナム、ミャンマー、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、中国のツアー公演に参加しています。

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2004年、京都
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2007年、インドネシア、ジョグジャカルタ

2006年、第1回長野ビデオ・アート・フェスティバル(NIVAF)代表。2007年にNIPAFを「卒業」した事により、一旦パフォーマンスを止め、自分の原点に返るため、詩を書き始めます。

2008年8月、2009年8月、公募展「第一回Blue Sky Project 2008」、「第二回Blue Sky Project 2009」に出品(新潟県高田市)。2008年12月、レジデンス・プログラム「X-change 2008」(ロンボク島スンバルン村、インドネシア)。2010年6月、ソロ・パフォーマンス・ツアー; 国際パフォーマンス・アート・フェスティバル「Friction」(ウプサラ、スウェーデン、SU-EN企画)、「Last Minute Performance」(クラクフ、ポーランド、Arti Graboski企画)、「ArtEvict」(ロンドン、イギリス、キリカ・タイラ企画)。2011年11月、「TAMA'11」(バタンガス、フィリピン)。2012年4月、「FLOW」プロジェクト(ソウル、韓国)。2012年6月、2013年6月、「シュタグリーネッツ2012」、「シュタグリーネッツ2013」(シュタグリーネッツ、クロアチア)。2015年「まちなかパフォーマンスアート公演」(「パフォーマンスアート・プロジェクト 2015 in まつもと」、長野県松本市)。

アイコンの写真は2008年、インドネシアのバリ島の隣に位置するロンボク島にある、スンバルン村に滞在した時のものです。

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2010年、クラクフ、ポーランド
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2010年、ロンドン、イギリス

2020年4月ごろ、COVID-19 の第一波と共に、再び詩を書き始めました。YouTubeで朗読の動画も発信しています。

2021年に「《無-文明》の批評」を、アーティストの彦坂尚嘉先生と共に創刊しました。批評というものを、単なる言語活動の枠内に収めず、人類の文明史という大きなスパンで捉えています。noteのささやかな試みに過ぎませんが、頑張りたいと思います。

2021年、セルフポートレート

2021年4月、さまざまな要因がありまして、残念ながら「《無-文明》の批評」は解体する運びになりました。応援していただいた方には誠に申し訳ございません。特に私たちの不仲というのではありませんので、両者とも活動は続けて参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

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