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会話のアウフタクト

ヨガで呼吸を整えながらゆっくりと身体を動かしていると、突然思いがけない言葉が降りてくることがある。

不思議と降りてくる言葉は、雑念という類のものではない。耳を通り抜けてゆくインストラクションの声が導かれるように、身体は半無意識的にバランスを取りながら、降りてきた言葉が同時並行的に頭の中を流れている。それを無心というのか分からないけれど、その場の時間と空間にとけてゆく感覚がある。

話を戻すと「コミュニケーションにおけるアウフタクトとは何だろう?」という問いが降りてきたのだけれど、コミュニケーションという言葉もそれはそれで幅広い意味を持つので「会話」に置き換えてみることにした。

会話のアウフタクト。

アウフタクトとは西洋音楽用語の一つで「弱起」という意味をもつ。Wikipediaから引用してみるけれど、大切なのは「準備的な拍」という部分。

西洋音楽にあっては、拍は、強拍のあとにひとつまたは複数の弱拍が後に置かれ、それを組み合わせて拍のまとまりと考える。拍のまとまりの中で中心となるものが小節であり、その組み合わせが拍子である。したがって、音楽のまとまりも強拍から弱拍に流れる。しかしながら、強拍の前に準備的な拍(または拍の一部)が置かれる場合がある。これがアウフタクトである。

Wikipedia

「百聞は一見に如かず」と言うけれど、逆もまた然りで「百見は一聞に如かず」なので、実際に音楽の中でアウフタクトを感じてみたい。様々な楽曲の中にアウフタクトがあるわけだけれど、ここではブラームスの交響曲第三番の第三楽章(動画では19:20〜)の始まりを取り上げてみる。動画で楽譜も載っているので「準備的な拍」の意味が視覚的にも感じ取れる。

自分でも趣味でサックスを吹くけれど、アウフタクトがたまらなく好きだ。

小節の一拍目から入る場合と、アウフタクトからの一拍目では音のタッチ、ニュアンスが違うように思う。アウフタクトは音楽の自然な流れをサポートしてくれるというか、一拍目に唐突感がないというのか。とても安心する。ゆっくりと、丁寧に一拍目を奏でるような時は特に。角が立たないように。音をそっと置くように。

前置きが長くなったけれど、アウフタクトつまり「準備的な拍」には「気持ちの準備」という意味もあるように思う。何かと最初に出会う瞬間に向けた気持ちの準備だ。そして、それはほんの少し先の未来にしっかりと気持ちを向けて、自分がその流れの中に入り込んでゆく姿勢の表れでもある。

「会話のアウフタクト」とは、会話が始まるまさにその手前で「会話の相手を思い浮かべて、気持ちの準備をすること」と言えるかもしれない。

慌ただしい日常の中では、会話が機械的な作業のようになってしまうこと、あるかもしれない。でも、ふと考えてみれば会話には流れ、旋律やリズム、テンポがある。だからこそ会話も一つ楽曲だと捉えれば、そこに少しばかりのアウフタクト(弱起)を付け足してみても良いのではないだろうか。そんなことを思った。

挨拶、ちょっとした声掛けなど。人間関係、会話に自然な流れを生み出すアウフタクトはじつに様々に存在している。日常生活を支えているのはじつは「アウフタクト的な何か」なのかもしれない。

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