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言葉との距離を縮めてゆく、ということ。

ふと「もっと適切な言い表し方があるのではないだろうか」と思うことがあります。

「前も同じ事を話したような気がする」とか「同じ事を繰り返し言い続けている」と感じる時、おそらくその物事は自分にとって何か大切な引っ掛かりがあるのですが、同じ言い回しを続けていると単調に感じてしまうのです。

はっきりとは姿の見えない「大事な何か」を中心軸として、周回軌道する衛星のように眺めてみたい。物事の眺め方というのは、言葉の引き出しの数だけあると思うと、言葉の引き出しを日々増やす習慣を身につけることが大切ではないでしょうか。

言葉の引き出しを増やすには、まず何より「言葉にふれる」ことから。量が質に転化するというのか、「あっ…この言葉は前にも見たことがある」という既視感の積み重ねが言葉の引き出しを増やすことにつながっていると思うのです。

最近、生成AIを日本の文学作品に用いられている言葉を拾い集めています。「このような言葉、表現があるのか」と新鮮な気持ちになると同時に、言葉を自由自在に用いる作家の方々を尊敬します。

では、作家の方々は「どのように言葉の引き出しを増やしていったのか?」という問いが浮ぶわけですが、日頃から様々な言葉にふれるだけでなく、「自分の作品で使ってみよう」と考えているのかなと想像します。

初めて出会った言葉は、言葉の意味はわからないことが多いです。私の場合は意味から捉えようとするのではなく、「読み方」や「響き」から言葉との距離を縮めているような気もします。

「言葉の意味の正確性」は「まず言葉を使い慣れてみる」ことからつながっているのだと思うと、やはり「量が質に転化する性質」が言葉には内在しているのではないでしょうか。

 ちゃんと説明しようと思ってもうまくいかなかったということはいくつもあるだろう。本当に相手にわかってもらえたのかと、あとで不安になったこともあるだろう。
 でも、それは仕方のないことだ。人は言葉で説明したり、言葉で自分の考えを表現するしか方法を持っていない。そして、そもそも、そのときに使う言葉というものが最初から舌ったらずなのだ。
 自分の言い方や表現が下手なのではなく、言葉自体が物事や気持ちをストレートに言い表すことが苦手な構造だからなのだ。
 そうだからといって、開き直る必要なんかない。言葉がそんなふうに舌ったらずであることをよくわきまえておいて、相手が言いたがっていることを今度は自分からうまく汲み取ってあげるやさしさがだいじになるのだ。

白取春彦『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉』

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