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人と植物。「育む」という関係性。

今日はミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「植物」を読みました。では、一部を引用してみたいと思います。

 私の周りには何百という植物があります......ここ十年ぐらい、自分でもたくさん買いましたが、友人からもたくさんもらいました。(ところで、なぜそれらは特別なのですか)そうですね、ただ私は植物の世話をするのが好きなのです。かわいいと思いますし、とにかく好きなのです。
 植物は成長し続け、枯れずに生きているからですよ......世話は私がちゃんとしています。(それがなくなると、どんな気持ちになりますか)部屋が泥で汚れることは減るでしょうけど、家が空っぽになったような気がするでしょうね......植物は家に一種の雰囲気のようなものを与えてくれますから、それがないとさびしくなるんじゃないでしょうか。
いったんある物の象徴的な意味が受け入れられると(ここでは、植物がすばらしい物として受け入れられたとき)、それはさまざまに使われるようになる。すなわち、家中をいっぱいにしたり、美しく飾ったり、園芸の腕を示すために、植物(すばらしくかつ健康的なもの)をプレゼントしてくれた友人や娘を思い出すために、といったように多岐にわたる。
物(ここでは植物)は、一定範囲の感情と思考を喚起し、それと関連する物や行為、人びとにその価値を伝える。こうして、植物のある家は「美しく」「生命にあふれた」ものとなり、花の手入れをする人は「自然」とのふれあいを持ち、人間として成長し、世界をより健康的にする手助けとなる。植物をプレゼントとして贈る人は感受性が豊かで、美や生命過程に対する賛美を相手に伝えることができるなどといったようにである。

あらためて「物」という言葉から何を連想するだろうか、と考えてみると、やはり「無機質なモノ」をイメージしてしまう自分がいます。以前に触れたように「生きているモノ」「有機的なモノ」としての生物も「物」に含めることができるはずです。

今回のテーマは「植物」です。1977年のシカゴ都市部で行われた「人とモノの関係」を探るために実施されたインタビューの中で、回答者の15パーセントが植物を大切なモノとしてみているとのことでした。

今回引用したインタビューのコメントからは、「世話・成長」という言葉が度々使われており、「植物が枯れないように働きかける」という能動的な営みを通して、いつしか植物を愛おしく思える。その様子が伝わってきます。

植物に水を与えすぎるとかえって弱ってしまうこともありますから、じつは枯れないようにするには「適切な距離感」を保つことが必要なのだ、という気がします。

「相手が必要としている時に、ちょうど必要なものを」

植物は人と同じ言葉を使って話すわけではありませんので、人が「察する」ほかありません。察しながら、適切な距離を保ちながらも、つかず離れず。

そう言われてみると、花束は誰かへの贈り物としても、ちょうどよい距離感のものだな、と思います。

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