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中身が残っていない日

日々の経験が消費されていく。
「忙しい忙しい」と言いながらも、いざその日を振り返ってみると、何もなかったような気がしてくる。その日に中身が残っていない。

「忙しい」現代人は、自分が意識して使えている時間が短い。言い換えれば、自分で自分の行動に意味を与えられていないことが多いと思います。与えられるもの、流されるものにはすでにある程度意味が定まっていて、自由に使っているようで、実はそこから選ばせられているだけだったりします。

「意味」と言ってしまうと抵抗があるなら、「自分なりの関連づけ」と言い換えてもいいかもしれません。日常の出来事は、それ単体ではめったに真新しいことなんてありませんよね。でも、それを受け取り、自分において何かと関連づけることで、物事に“立体感”が出てくる。オリジナルなものになる。こうしてはじめて「経験」として自分のものになるように思います。

他人に影響を与えるのは、多くの場合、知識ではなく「経験」です。
「他人の文脈で語られた知識」をそのまま語っても、そんなもの響かない。”あなたの”文脈において立体感がないと、リアルじゃない。嘘っぽい。何より、やってみればわかりますが、語りきれない。知識は受け売りでもいいんです、ちゃんと自分の中に落とし込めているか、「経験」としてストックできているかがカギになる。

別に「意識の高い生活を送れ」と言いたいわけじゃありません。「なにしてんだろ自分」みたいな後悔と虚無しか残らない日はイヤですよね。そして、そんな感情さえ抱かないまま、気づけば後ろにあるのは“中身が残っていない日”ばかり、というのはもっとイヤだと思います。

このnoteでは、日々のよしなしごとを、いろんなものと組み合わせて立体的にしてみようと思います。好奇心の赴くままに、雑多に、私の「経験」を書いていくことにします。どこかで誰かのインスピレーションになることを祈りつつ。


興味をもっていただきありがとうございます。