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純猥談を読んで思ったこと

※先にお断りしておきたいのですが、このエントリーはステマでもPR記事でもなんでもないし、私は株式会社ポインティに関わる人間ではありません。

※オタク的考察を長々と書いているので、そのような表現が不快な方は読むのをご遠慮いただいた方が得策かもしれません。

猥談バーの存在をご存知だろうか。株式会社ポインティが運営する、ジェンダーやセクシャリティに関係なく好きなだけ猥談を楽しめるバーだ。泥酔禁止、お触り禁止、連絡先交換禁止という、本当に純粋にその場で猥談を楽しむだけの、完全会員制バー。

そこから派生して今、cakesで「純猥談」というエッセーが連載されている。様々な人の性と恋愛にまつわるショートショートのような作りになっている。私は読む折、モヤっとしたり涙したり感情を揺さぶられたりして毎回楽しんでいるが、今回の猥談は少し私にとっては様相が違った。その記事が「さっき作った2人分の料理を、ぐちゃぐちゃにして捨てた。

あるエッセイストが自身のツイッターでこのエントリーを紹介する際「自分は、セックスしたいならセックスしたいとはっきり言葉に出す文化じゃないと生きていけない。なぜ料理を捨てたのかが理解できないことが、自分が冷酷であるようで苦しい」とツイートしていたのだ。


なんで料理を捨てたの?

くわしい描写は実際に純猥談を読んで欲しいのだが、すごく雑に要約するとこんな感じのストーリーだ。(元の文章を読むことを強くお勧めします。情緒がすごいのなんの…)

主人公の女性には、男性の飲み友達がいる。二人はいつも外で飲み電車で別々に帰る。でもある日、思い立って彼にたこ焼きがしたいと提案し、彼が家に遊びにくることになった。彼女は家をくまなく掃除し準備を整え、その日を迎えた。二人はまるで恋人のようにスーパーで一緒に買い物をし、家で一緒に映画を見ながらたこ焼きを食べた。彼女は、たこ焼き以外のつまみや次の日の朝や昼食べるであろう食材も用意していたが、彼はとても疲れているようでお酒も進まないままシャワーを浴びた。戻ってきた彼は少し元気が出たらしくお酒を飲み始めたので、彼女は料理を再開した。すると、いざ料理が完成するぞというところで、彼は突然帰ってしまったのだ。

彼女は彼が帰った理由もわからず、きっと彼も彼女の気持ちも分からず、そして彼女は二人分の料理を全て捨てた。たこ焼きの材料も、残ったお酒も明日食べようと思って準備していた食材も全て捨てた。

「君がこの部屋にいた形跡を全てゴミ箱に突っ込んだ。」


はっきり言葉にしていないのに、伝わる

なんて目の覚めるような表現だろう、と私は感動した。名前のつかない感情や、名前をつけてしまったらもう後に引けないから名前のつかないままそっとしておきたい気持ち、今の関係を壊してしまうかもしれない恐怖、それでも期待してしまう人間らしさ。こんなにも複雑に絡まった感情を「料理を捨てた」という行動だけで表現している。そのことによってこちらに想像させる余白まで残している。

彼女は自分が期待していることを認識したくなかった。でも、きっと彼は気づいてしまった(と私は勝手に思っている)。でもそんなことはお互い知る由もない。

あ〜! なんてエモいんだ。「切ない」ってこのショートエッセーのために作られた言葉なんじゃないの? 私は何度も読み返して感極まってしまった。私にあんな文章は書けん。すごい。語彙を喪失した。(全て私個人の意見と感想です)

そこで冒頭のツイート。私はこのツイートを見てからエッセーを読んだから、もしかしたら何か理解し難いテーマなんだろうかと身構えて読んだのだが、読み終わってひとしきり感動した後で「これを読んで、なぜ料理を捨てたのか理解できないのは、モノカキとしては致命的なんじゃなかろうか?」と不安になった。読解力の問題…? ではなさそうだ。


セックスの話だけど、セックスの話じゃない

グルグルと考えていたが、これはこのエッセイストが冷酷なわけではなく、ただただ鈍感なだけなんじゃなかろうか。「名前のつかない感情」をここまで練り上げて表現した文章を、文章で生業を立てている人間が読んで「セックスしたいならしたいと言う文化」に言及するなんて、野暮で繊細さが微塵もない。

もちろん、性的合意に関して色々なところで言及している私なので「言わずもがな」で性交渉が成り立つとは言わない。が、このシチュエーションは話が違う。

私は自身がセックス大好きゴリラであるため、セックスはセックスでしかないことをよく知っている。しかし時折、セックスがセックスだけじゃないこともよく知っている。

純猥談の彼女は、確かにセックスを期待していたのかもしれない。でも、あれを読んで彼女が明確に性行為を求めていたかどうかは分からない。もう少しいえば、彼女自身もそれを期待していたか分かっていないように、私には見えた。そして、彼のために用意した物に囲まれてひとりポツンと取り残されたとき、ふと自分が何かを期待していたことを悟って、涙ぐみながら料理を捨てたのだ。(全て憶測です。筆者の方に先に謝罪いたします。勝手に想像しまくって申し訳ありません。)

すごく短絡的に、センチメンタルさを抜きに行動だけを抽出すればおそらく、長いこと仲良くしている男友達を家に誘って、かいがいしいところを見せることで友達から恋人に関係性が変わることを期待していた、となるだろう。

そこしか見ていないなら「なぜ料理を捨てたのか理解できない」となるのは自然な気がする。件のエッセイストはそのツイートに「昔激しく取り乱している恋人に、まあなんか食べて落ち着こうよと提案したら、烈火の如く怒られた」と追記しており、なんとなく腑に落ちる感じがした。


ここに編集さんがいてくれれば死ぬほど嬉しい!

ここまで書いておいて説得力がないかもしれないが、私は当エッセイストを責めたいわけでもdisりたいわけでもない。やっと私が、こういう風にエッセーの連載を持って書籍を出版している人も、やっぱり私と同じ人間なんだと理解するプロセスを、ここに垂れ流しているだけだ。この原稿を校正してくれる編集様がいれば、こんなものをただ流出することもないだろう。

今回の純猥談をそこまでおセンチでエモいエントリーだと受け取るかどうかなど、人によって開きがあるのはもちろん当たり前だと思う。そんな当たり前のことを差し置いても、私にはどうしても「なぜ料理を捨てたのか理解できない」と公の場で、しかも有名なエッセイストが表明したのかが気になった。私のような一般人が鍵アカウントで呟くのとは訳が違う。なので、これを書くことで少し思考を整理しようという実験的な執筆なのだが、これを読んでいる人はただただ付き合わされただけなので、申し訳なさしかない。すまん。

ただひとりの人間として、誰となしに吐露できるプラットフォームがあるって、救いだと思う。ぼんやり感じたことをツイートに載せて言葉にすることでスッキリすることもあるし、どこかの知らない誰かがそれを拾って読んでくれたら、という想いも昇華される。それを私のような人間が拾って、こうして日記的なものを書くのも、思考を放流するという意味ではその存在価値を証明しているような気もする。


割り切れなくても、いいじゃないか

全ての物語に、確固たるエンディングがあるわけじゃない。ハッピーでもバッドでも中間でも、エンディングがある方がいいと思う人もいれば、そんなものはなくてもかまわない人もいる。この世に存在する全ての事象や物事は、グラデーションで地続きだ。

私も周囲の人間に「なんでそんなことも分からないんだ」と言われることが頻繁にある。自分が常識だと思っていることが、世の中のスタンダードじゃないときだってたくさんある。でも、そうやってみんなが違う角度から物事を見ていたり、考え方が違うからこそ面白い。考察のしがいがあるってものだ。


最後に

もしもこの文章が、話題の中心人物に届くことがあるとしたら… ここで勝手に話題にしてしまってごめんなさい。考える機会を与えてくださってありがとう。

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