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「可愛い」の実態

日本国内世間一般で言われる「可愛い」からは、かけ離れた見た目の私。(あえて「日本国内」と書いたのは、この「可愛い」の価値観は海を越えた瞬間、共通のものではなくなるからだ。)

常にTwitterに張り付いている私は先日、下記の記事のつぶやきを目にした。

「可愛い」は呪いの言葉だと思っていた。私だけの「特別な可愛い」を手に入れるまでは… | HIFFPOST

かわいいの呪いを解くために/チョーヒカル | She is

こういう記事を読むと、自分の「可愛い」の概念や「美しくありたい」という気持ちが、どうやら世間とはだいぶかけ離れているものだということを認識せざるを得ない。


「可愛い」は誰のため?

現在2019年8月末、37歳の私の髪の毛は、アシンメトリーショートヘア、チョコミントグリーン色のメッシュ。服装はダルダルタイパンツやデニムホットパンツにユニクロTシャツ、原色ワンピースなど。メイクをしている時よりもスッピンの時のほうが多い。私にとって私の外見は、他人に媚びるためのツールでも、価値を付加してもらうためのものでもない。

と、言ってしまうと「他人に好かれたいから可愛くしたい!」と言う人を断罪しているように聞こえるかもしれないが、そう言うわけではなく…  シンプルに「私にはそれができない」と言うだけなのだ。「なんでしないの?」ともし聞かれたとしても「そんなに無理して頑張った自分を好きになられても、後でそれが自分の首を絞めに来る」と言う回答になってしまう。「でも女性がメイクするのはエチケットでしょう?」と言う人もいるのだろうが、私にとっては「令和にそれ持ち出す???」と言うくらい古臭い感覚だったりする。平成10年代ですら、私はスッピンにタンクトップとタイパンツに、サンダルを履いてオフィス通勤していた。

メイクや服装は、自分を鼓舞するためのツールだったりして、確かに自分のヘアメイクがキマってる時や、キメキメワンピースを着ている時はテンションぶち上げである。だからこそ私は「これは私がテンションを上げるためのツールなのだ」と言っているのでやはり「私は、他人に”カワイイ”と認めてもらうためにやっているわけではない」となる。だって、他人が私を誰かと比べて「あいつよりかわいい」とか「あいつより可愛くない」とか言うランク付けに、なんの意味があると言うのだ? 誰に認めてもらう必要もない。私はわたし。わたしの可愛いは、わたしが決める!!! 


「可愛い」の実態

とはいえ「カワイイと思ってもらいたいからする」ことが全くないかといえば、それは嘘になる。そしてそれを語るには、日本語の「可愛い」が定義するものを説明する必要がある。日本語の「可愛い」という言葉、実は、案外広義に渡る事象を定義している。「キュート」「チャーミング」「プリティ」「アドラブル」これら全部「可愛い」に内包されている。

「キュート」小さくてフワフワしている、小動物や赤ちゃんのような可愛さを指す。
「チャーミング」仕草や所作が魅力的で、うっとりさせるような可愛さを指す。
「プリティ」見た目の華やかさや、繊細で魅力的な可愛さを指す。
「アドラブル」小動物や赤ちゃんが愛らしい、可愛いさまを指す。

これを見ると「可愛い」には外見だけではなく、幼く愛らしいさまを含んでいることがわかる。つまり「可愛い」は容姿に言及したことに限らず、仕草や幼さが深く関わっているということだ。すなわち「可愛く思われたいから、上目遣いする」などのいわゆる「モテテク」のようなものが含まれているということにも通ずる。


世界の基準とは違う? 日本の「可愛い」の基準

海外から日本の女性を見ると、振る舞いや見た目が幼く見える(豆林檎の個人的な見解です)。そして見た目だけにとどまらず、声に関してもそうなのだ。1980年代から90年代半ばにかけてされた研究で、日本人女性は諸外国(アメリカ、北欧、東欧など)の女性よりも、声のピッチが非常に高いことがわかっている。

これは、日本語とアメリカ、北欧、東欧などで使われる言語の構造が違うことにも起因すると言われていたが、1997年には下記のような研究結果が発表されている。

大学生男女各6名を対象に英文、日本文各10文を読ませ基本周波数を測定したところ、女性被験者全員の日本語の平均基本周波数の平均値が最高値と最低値ともに英語より高く、両言語間の最高値の差は29Hzと大きかった。
これに対して男性被験者においては、最高値、最低値ともに日本語と英語における差異が観察されず、女性だけが日本語を話すときに英語よりかなり高いピッチを使っていることが明らかとなった。(※1)

さらに

このような異言語間におけるピッチの違いは、身体的構造や言語の構造に起因するのではなく、むしろ声の質や、声から受けるイメージに社会的要素が深く関わっているとして大原(1997)は、基本周波数の高さが異なる声を録音し、与える印象について調査を行った。日本人男女19名の被験者に声の印象を評価させたところ、男性、女性被験者ともに、基本周波数が高くなるほど「かわいらしさ」「柔らかさ」「やさしさ」「親切さ」「おとなしさ」「上品さ」「丁寧さ」「きれいさ」についての印象が強くなり、また反対に「頑固」「わがまま」「強さ」のイメージが弱くなるという結果が示された。(1997年)(※1)

ここからわかることは、日本人女性の声のピッチが高くなったのは、声が高い女性の方が「可愛らしさ」などをアピールできる環境にいるから、ということが導き出せる。(完全に余談だが、豆林檎は電話口で何度か男性に間違えられたことがあるほど、声が低音な女性である。酒焼けか?)


「可愛い」は何でできている?

上記を書いていて、自分がなんとなく思ったことがある。それは「実は”可愛い”は社会が作り出した抑圧である」ということだ。先述の記事にもあったように「可愛くあること」が呪いになってしまったり「可愛いランキング」の上位に入れないことがコンプレックスになる原因は、男性が「可愛い」に付加価値を見出して評価対象にしたり、女性が「愛されたいから可愛くありたい女性」を断罪したりする構造にあるのではないだろうか。

この構図、実は国外に出てしまえば一瞬で消え去ってしまうのだ。私は海外に長期滞在した経験があるので(といっても日本以外は2カ国だが)日本でのこうした抑圧が、どのくらい人を蝕んでいるのかを目の当たりにして、いつも胸を痛めている。だからって「海外行こう!」で解決する問題ではない…

少し話がそれるが、先日、夜中に繁華街を歩いていた時に40代半ばほどに見える泥酔した男性が、フラフラ〜と私の方に寄ってきて「テメエ邪魔だあコロすぞ!!!」と怒鳴りつけてきた。(ちなみに私は邪魔になるようなところにいたわけではない。)私は脊椎反射で「あ”ぁん?! テメエが死ねやクソがぁ!!!」と怒鳴りかえした。怒鳴り返している1秒の間に男性は高速で逃げていた。これ、ある種の人間からしたら「可愛げがない」「女性らしくない」「守りがいがない」「シンプルに怖い」となるであろうところ、私と一緒にいた人は「イイネ!」と言ったのだ。

女性が強くあることに対して「可愛げがない」だなんて、もはや化石概念になっていてもおかしくない。でも、まだ「可愛い」を求めて抑圧する人たち、抑圧される人たちがいる。「可愛い」の原材料をそろそろ、ちゃんと見つめてもいいのでは? 「可愛い」は、幼さでも、無力さでも、おとなしさでもない。「可愛い」は、一人一人が決めていい。


※1 若い日本人女性のピッチ変化に見る文化的規範の影響 | 今井田 亜弓 より引用

(豆林檎)


<参考・引用文献>

「可愛い」は呪いの言葉だと思っていた。私だけの「特別な可愛い」を手に入れるまでは… | HIFFPOST

かわいいの呪いを解くために/チョーヒカル | She is

若い日本人女性のピッチ変化に見る文化的規範の影響 | 今井田 亜弓

ドイツ人女性の声が低くなり、日本人女性の声が高い理由 | COURRiER

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