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日本語の代名詞とジェンダー

趣味でたまにネット記事を英語から日本語へ翻訳することがある。英語のニュアンスを正しく日本語に変換するのは至難のわざと言ってもいいくらい難しくて、たまに壁にぶち当たる。どうしても直訳すると変な日本語になったり、そもそもの英単語が日本語に存在していなかったり。その中でも私が難しいと感じるのが「人称代名詞」だ。


人称代名詞ってなんだっけ? 

このエントリーを書こうとして、自分がどれだけ義務教育の国語を覚えていないかを思い知らされた。調べないと何もわからない… と言うことで、インターネットの荒波に身を投じ、手探りで検索してみた。(全部インターネットで済まそうという魂胆。)

人称代名詞とは、読んで字のごとく「人」や「モノ」を表す代名詞のこと。私、彼、彼女、私たち、彼ら、彼女ら、などなど。日本語では、私「の」「が」「を」「に」「のもの」といったように格助詞を変化させて表現するが、英語だと「I」「my」「me」「mine」のように代名詞そのものが変化していく。ここで注目したいのが、英語の人称代名詞単数には「自分」「彼」「彼女」の3種類しかないが日本語の場合「自分」の人称代名詞が他の言語に比べて多い上に、そこにもジェンダーが関わってくることだ。もう少し付け足すと、日本語には「they」のようにビジネスシーンや丁寧語でも使えるジェンダーニュートラルの三人称複数形が存在しない。「あの人たち」「あちらの方々」と言えないこともないが、それだとかしこまったシーンには不適切な気がする。


「私」の種類

パッと羅列するだけでも日本語の「私」の言い方の数は多い。ウィキペディア日本版を参照すると、現代の私的表現だけでも21種類もあり、地域や時代に依存する一人称もある。ここで目につくのが、英語では「I」の一種類しかないところが、日本語の一人称には、男性を指すものと女性を指すもの、そしてジェンダーニュートラルなものの3種類あることだ。そしてこれが翻訳時になぜ重要かというと、文脈を深く読み込んでいないと、いったい発言者の一人称をどこに落とし込んでいいのかわからないまま、発言者の意図に反する一人称を使って訳してしまう可能性があるからだ。

日本語から英語に訳す時はあまり気にしなくていい問題だ。全ての一人称を「I」にすればいいだけの話だからだ。自分を男性とも女性とも認識しないXジェンダー(「LGBTQの「Q」? 「Xジェンダー」とは何か」 参照)の人たち複数を指すときは「they」を使えばいい。最近では、Xジェンダーの三人称単数として「they」「ze(ジー)」などを使う人も存在する。しかし問題なのは、英語から日本語に翻訳するときの話だ。いや、翻訳のみならずセクシャルマイノリティの話をするときの人称代名詞は、書き手によっては知識のなさが露呈しやすい、危うい題材だ。


誰をどの人称代名詞で呼べばいい?

先日、米と仏のドラーグクイーンを題材にしたインタビュー記事を読んでいて、違和感を覚えた。その記事ではドラーグクイーンのことを「彼女」「彼女ら」と呼んでいたのだ。

基本的にドラーグクイーンはシスジェンダーの人が多い。それはインタビューの中でも触れられていて「私たちは男」と明言していた。確かに「男でも女でも、誰でもドラーグクイーンになれる」とも発言していたが、それをひとまとめにして「彼女ら」という人称代名詞をあえて使っていた。「自分は男」と明言している人を相手取って、あえて「彼女ら」とひとくくりにするのは正しい語彙の選択とは思えない。女装しているなら女、もしくは女になりたいのであろうという先入観を、筆者(もしくは編集)の語彙の選択の裏にうっすら感じた。


トランスジェンダーと異性装

実は、異性装(トランスヴェスタイト、またはクロスドレッサー)もトランスジェンダーのうちに含まれる。

※トランスジェンダーについての詳しい情報に関しては、こちらの記事をご参照ください。
知ってるようで知らない。「トランスジェンダー」とは何か
トランスジェンダーが抱える悩みや不安とは
LGBTQの「Q」? 「Xジェンダー」とは何か

前々から思っていたのだが、これ、くくりが雑すぎる。まず、トランスセクシャルの人は出生時に振り分けられた体の性別とセクシャルアイデンティティの間に性別違和があり、セクシャルアイデンティティに体が合致するように治療を必要とする人を指す。

Xジェンダーもトランスジェンダーに含まれるが、これはノンバイナリーとも呼ばれ、当人のセクシャルアイデンティティが男女という垣根に囚われることのない人を指す。性別違和のある人も多いが、「自分は男(女)じゃないから女(男)」という概念がなく「どちらでもあるが、どちらでもない」ような状態の人が大半だ。

一方で異性装の人は性別違和はなく、シスジェンダーでありながら自分とは違う性別の服装を好む人を指す。

これだけの説明でも、まったく別の状態の人間であることが分かると思うが、これを全部内包して「トランスジェンダー」というには、あまりにも状態が解離しているではないか。しかし、詳細を知らない人が見れば「全部一緒でしょ」と納得させてしまうには十分なのだ。するとどういうことが起こるか。

「女の格好してるから彼女」「男の格好してるから彼」

と短絡的に人称代名詞を選ぶ短絡さにつながり、ひいては全方面で当事者を傷つける文章が爆誕してしまう。


トランス女性と女装

以前ハリウッドで「シスジェンダーの俳優がトランスジェンダー役を演じることは、トランスジェンダー当事者から雇用機会を奪う行為」として、ムーブメントが起きた。トランスジェンダーの人がシスジェンダー役に配役される機会もほとんどない中、さらに当事者なのに当事者の役に配役されないのは、雇用機会が均等ではない、といった主張で、今まで私がぼんやり抱いていた違和感を払拭してくれた誇らしい運動だ。

で、よかったね、応援するよ! と思っていた矢先に、こちらのヘルジャパンでは偏見の雪崩みたいな記事がリリースされた。それがこちら。

強烈!草なぎ剛が〝女装オネエ〟に 主演映画で見せた進化と「母の顔」

草なぎ剛さんが異性装の役をやると思わせるタイトルだが、彼の配役はトランスジェンダー女性の役なのだ。「その女装姿はインパクト十分」「草なぎさんの女装姿に思わず噴き出しそうになる」「いわゆる世間一般で言う“オネエ”」パワーワードの連発で頭がクラクラした。どこからどう突っ込んでいいのか分からない酷さだ。まずトランス女性は「オネエ」じゃないし、女装でもない。日本で言われるいわゆる「オネエ」とは、ドラーグクイーンと同義だ。ショーをすることはあらずとも、異性装をしているシスジェンダーの男性を指す。トランスジェンダー女性とは全く別の存在なのに、こうして「出生時に振り分けられた性別」だけでひとくくりにするのは、あまりにも乱暴で暴力的だ。

トランスジェンダー当事者から雇用機会を奪う云々にたどり着くまでに、100億光年ほどかかりそうなほど偏見に満ちたこのような記事を、メディアが平気で垂れ流すことでさらに偏見を助長してしまうのに、誰もその責任を取らない。だいたいこの手の炎上が起こった時の謝罪は「誤解を招くような発言をお詫びします」という、謝ってるように見せかけて何も謝罪していない「読んだあなたの解釈が悪い」と示唆するようなものが鉄板だ。現時点では謝罪を目にしていないので、そもそも謝罪すらしない可能性大。そもそも何が悪いのかすら、理解できない可能性もあるという恐ろしさである。


最後に

人称代名詞なんて、些細なことじゃないか。私は気にしてないし、どっちでも良くない? そう思われるかもしれない。でもその微細なことがこうして大きな偏見につながりかねないのだ。「私は気にしていない」ことは「当事者が気にしていない」ことにはならないし、それが高じてアウティングにつながることだってある。(アウティングの話はまた長くなりそうなので、別の機会に。)彼なの? 彼女なの? 私なの? ぼくなの? それは周囲が勝手に予想して決めていいことではない。些細だと思われる言葉の節々に、大きく傷つく人もいれば救われる人だっている。

少しでも心に留めておいてくだされば幸いだ。

(豆林檎)

<参考・引用文献>


【代名詞一覧】6つの重要代名詞の意味を例文つきで紹介! | Studyplus 

日本語の一人称代名詞 | ウィキペディア

強烈!草なぎ剛が〝女装オネエ〟に 主演映画で見せた進化と「母の顔」 | 東スポweb

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