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【連載短編】あなたがいないとしても #3

母は

「家族にはワンナイトラブで出来てしまったことにしよう」

と言い出した。

相手が野島遼太郎と知れば、地元の人間ということもあるし、何だかわからぬ因縁や尾ヒレも付いてお祖母ちゃんやらお父さんやらが相手の家に押しかけることになるだろう、と話した。
そんな事になって欲しくないのなら、相手がもうどこでどうしているか全くわからないことにするしかない、と言う。

最後には「とにかくあたしに任せなさい」と母は言い切った。

そして年の瀬。
もう5ヶ月になりいわゆる “安定期” に入ってしまった。
それまで母はあたしのお腹のことについて家族に一言も触れなかった。
秋から冬にかけてセーターなどで誤魔化していたこともあり、お腹の膨らみは意外とバレないものだった。

そしてついに、その沈黙が破られる。

家族全員が集まる夕飯の食卓で突然と、何の前触れもなく、母は言い放った。

「桜子は来年お母さんになります」

父も祖母も弟も「は?」と箸を止める。

「じゃあもう一度言います。桜子は来年…」
「いやいや、そうじゃなくて」

ツッコミを入れたのは父だ。

「えっ、どういうこと? 母さん家出でもするの? それで姉ちゃんが母親代わりするっていうの?」

これは高3の弟。その言葉に異様に動揺する父。

「あたしは家出なんかしません。桜子は来年子供を産むと言っているのです」

母が大真面目な顔をして言うので、あたしはどんな顔をしていいかわからず俯いた。

祖母が素っ頓狂な声を挙げる。

「結婚が先じゃないのかい?」
「結婚はしません。出来ません」

母が淡々と答える。前を向いたまま、無表情で。
まるでテレビドラマを観ているようだった。当事者はあたしなのだが…。

「バカヤロー!」

そう叫んだのは父だ。

「ただでさえ狭い家なのに今赤ん坊なんか産まれたら…」
「真っ先にそっちの心配!?」

弟のツッコミはごもっとも、だ。

その後は俯くあたしをヨソに祖母、父、弟で大論争となる。母は常に淡々とそれに答える。

「相手は誰なんだい!?」
「残念ながら不明です」
「どういうことだ!?」
「そういうことです」
「そんな子供産んで、子供が幸せになるかね!?」
「子供の幸せはここで決められません」
「大学はどうするの?」
「まぁ辞めるしかないでしょう…ね。お金もかかるから」

数分すると一度静まり返り、その沈黙を父が破った。

「桜子、どうしても産むのなら勝手にしなさい。でもこの家ではだめだ。住むところ探して、自分で生計を立てなさい。面倒はこっちでは見ない。自分の責任で全てまかなえ」
「お父さん…」
「当たり前だろう! 相手もわからないような奴の子供だなんて! もうお前は成人しているんだから、自分のことは全て自分で責任取りなさい。文句も何も言わないから」
「それって勘当宣言?」

弟が尋ねると父は黙った。他の家族もみんな静まり返った。
少しして母が

「じゃ、とりあえず決まりね」

と言ってその場は終了となった。

リビングからみんながはけると、残った母があたしに言った。

「とはいえお母さんだって、大賛成ってわけじゃないからね」
「わかってる」
「最低限のことは何とかするけれど、お父さんが言ってることにほぼほぼ同意だからね」
「わかった…」
「全く…あんた、女の子なんだから、ちゃんと幸せになってほしかったのに…」

母が泣きそうな顔をする。

「待って。あたしが不幸のどん底みたいな言い方だけど」
「だってそうでしょう? 大学出て就職して、そこでいい人見つけてみんなから祝福される結婚して、それからでしょう、子供が産まれて。それが誰もが幸せになれるものでしょう?」
「お母さん、夏生まれのあたしに桜子とか名前つけておいて、そんなありきたりな生き方が出来ると思ってた?」
「何よ。名前のせいだっていうの? あ、名前をつけたあたしのせいだって言うの?」
「そうじゃないけど、そんなありふれた人生なんて…」

思えば高校も大学も、親の望みに応えてきた。
県内の難関高校に受かったし、大学はアイツを追い駆けて東京に出ずに実家からギリギリ通えるエリアで進学して。

その後はもう、親の望み通りにはいかなくなった。
ざまあみろ、と言いたいところだが、そんなに軽い気持ちではない。
こんな形で見返したかった訳ではない。

母はため息をついた。

「あんた、野島くんには本当に何も言わないつもりなの?」
「…うん」
「どうして。喜ぶかもしれないじゃない」
「それはない」
「話してもいないのにどうして言い切れるの?」
「いいの。あたし一人で産んで育てる」

話したら本当に最後な気がするからよ。

「あんたって意外とロックな子だったのね」
「なにそれ」
「…出産予定日、いつって言ったっけ」
「6月9日」
「ほら」
「ほらって、なによ。…ダジャレ言ってる場合?」


その後は母は淡々と出産までのサポートをしてくれた。他の家族はもうこの話題に触れなかった。
寮暮らしの兄は母から一件を伝えられると、意外にもあたしの思いに賛同してくれた。
ただ「相手の男は許せねぇ。男のクズだ」と言われた。

* * *

年が明けて成人式、あたしは着物は着ることが出来なかった。みんな振り袖を纏う中、ひとりワンピースを着た。大きくなったお腹が返って目立つ。

前日に相当な雪が降ったが、翌日は止んで晴れた。

野島の姿はなかった。
期待していなかったといえば嘘になるけれど、忙しなく見回しても、どこにもその姿を見つけることは出来なかった。

寂しい。
お腹をさする。

「チェリー!」

三香があたしを見つけて声を掛けてきた。三香には最初に相談して以降、たまに状況の報告をメッセージしていた。
三香の赤を基調にした振り袖が眩しい。

「調子はどう?」
「お陰様で」
「なにお陰様って」

ケラケラと三香は笑う。そしてあたしのお腹を見やり「少し大きくなってきたね」と言った。

「やっぱりわかるよね」
「予定日いつって言ったっけ」
「6月9日」
「ロックの日だね」
「お母さんと同じこと言ってる」
「他に何か言うことある?」

そしてまたケラケラと笑い、ちょっと真面目な顔して言った。

「野島くん、来てないみたいだね」
「うん…」
「…それで良かったと思うけど」
「…」

それは、そうかもしれない。変に心を乱してもいけない。

「一人で産むんなら、会っちゃだめだよ、むしろ」
「…」
「そういう覚悟なんでしょ? そうでもなきゃそんな決断出来ないよね?」
「…うん」

どんどん、ぐるぐる、とお腹の中が反応する。

「今、めっちゃ動いた」
「えーっ、触ってもいい?」

三香があたしのお腹にそっと手のひらを載せる。

「あー、本当だ。なんか動いてる。すごいね!!」

思いがけず三香が涙ぐんだ。

「やだ、なんで泣くの?」
「だってなんか…すごいなって。ここに自分じゃないもう一つの命があるんだよ?」

三香の手のひらは温かかった。

「チェリー、頑張ってね。大変だと思うけど、頑張ってね」
「…ありがとう」



大学は1年の終わり、3月で退学した。





#4へつづく

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