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【短編】美しきアシンメトリー

『【連載小説】あおい みどり』 の番外編です。
3人が仲良くしているところを書きました。

Midori


“あ…雪…”

今年は変な天気が続いた。11月になっても半袖を引っ張り出していたかと思えば思うほど翌週はもうコートにマフラーだ。

そんな『秋とは』を考える季節だったので、12月で雪は意外だった。暖冬とも聞いていた。

待ち合わせの最寄駅に着いて地上に出た途端、凍てつくような曇天から、紙切れのような頼りなげな雪がちらちらと落ちてくる。

何だろう、この季節。寒いのは苦手な方だけど、とても好き。
子供の頃、友達と過ごした僅かな良い思い出が、クリスマスだったからかもしれない。

「翠…さん」

ずっと空を見上げていたからか、近づく彼に気付かなかった。少しぎこちない笑顔を浮かべた姿を見て私の内側は熱くなる。

「こんな寒い所で…。冷えちゃうじゃない」
「雪が…」
「雪?」

彼は見上げて「あぁ…」と呟いた。

「だからって」

彼はキャメル色の皮の手袋を外し、素手で私の頬に触れた。

「ほら、こんなに冷たくなってる。鼻の頭も赤いし」

そう言って笑いかけられ、鼓動が高鳴る。
温かい手だった。

大丈夫、寒くないのよ。あなたがいるから。

カフェに入り彼は着ていたチェスターコートを脱いだ。Vネックの白いセーターにコーデュロイのパンツ姿。彼の私服は診察を受けていた頃のダサいイメージはない。劇的に変わったわけではないのに、こちらの見方が変わったせいだろうか。
私たち・・・は私服姿の彼も大好きだ。

けれど今日ばかりは、あまりまともに彼の顔を見ることが出来ない。

「窓際の、カウンター席にしよ」

彼の返事も待たずに私は窓際に向かう。だってテーブルで向かい合って座ったら、それこそどこを見ていいか分からなくなる。

彼がブレンドコーヒーのカップを2つ運んできて並べた。
昼間の早目の時間なら、彼はコーヒーを飲む。本当はコーヒーが好きなんだよ、と言う。でも午後に飲むと眠れなくなっちゃうんだって。
診察室では常にハーブティーやフレーバーティーだったため、何となく、ちょっと貧相で頼りない印象の彼はお茶のイメージだ。

「さっきから落ち着かないね」

彼は私の方を見てそう言うけれど、私は正面の、ガラス窓の向こうを行き交う人の波を見るともなく見たまま。

「もしかして…照れてるの?」
「…」
「そんな…なんか僕も恥ずかしくなってくるじゃない」
「そうじゃない。コーヒー、似合うなと思って」

え? と意表を突かれたように彼は笑う。

「初めて言われた。そんなこと」
「良かった」
「どうして?」
「私があーさんの初めてを奪えて」

あーさんとは彼の名 “秋人” からきている。

「聞きようによってはすごい言葉だけど…。でもそれを言うなら僕も…。だからドローじゃないかな」

少し恥ずかしそうに、少しいたずらっぽい笑顔を浮かべてそんな事を言われて赤面。自分から爆弾を落としに行くなんて、私は本当にバカだ。

先週末の夜。私の部屋。
あーさんは耳元で「翠」と、初めて呼び捨てにして囁いた。その時の吐息の熱さまで甦る。

恥ずかしすぎて思わず彼の腕をどついてしまう。

私があーさんの元で通っていたカウンセリングは、担当医を変えてしばらく続いていたが、毎週が2週に1回になり、月に1回になり、先日ようやく終えた。
私の持つ全ての疾患…ASDやADHD、そして新たに発見されたDID(解離性同一性)が落ち着いてきたためだ。
それは、あーさんが側にいてくれるようになったことが大きいと思う。

私はあーさんの元クライアントだ。彼は患者と恋愛関係になることは精神科医にとって近親相姦と同様の禁忌タブーだと話していた。

そんな彼には悲しい過去がある。若い頃、患者だった女性と恋仲になり、悲劇的な終わりを遂げた過去が。

以来、医者として真摯に仕事に向き合うために、恋愛に関しては心を閉ざしてしまったらしい。

けれど今はこうして、私の側にいる。
こうなった経緯は、私の同居人・・・、蒼の存在も大きい。蒼と私は何もかも正反対。けれど、好きになった人だけ、共通した。
そんな蒼のお節介が、あーさんをこちらに向かせたと言っていいと思う。

つきあい始めてまだ3ヶ月。もうすぐ彼と過ごす初めてのクリスマスがやって来る。去年の今頃はまだ私も蒼も、どうしようもない片思いにもがいていた。
次のクリスマスが、こんな事になるなんて、夢にも思わなかった。

「あの後、蒼が何か言ってきたりしてないの?」

あーさんは、先週末の夜のことを気にしている。

「…してきた。でも "察してすぐ、意識のスイッチオフにしてやったんだ。俺はジェントルマンだから" って」
「それだけ?」
「…この後、蒼が飲みに行きたいって…直接話したいって…」
「だろうね。何となく、どんな会話になるのか想像がつく」

そう言ってあーさんは苦笑いした。

歳は一回り上のあーさん。私にとってはほぼ初恋で、初めてお付き合いする男性。そして初めて愛を交わし合った、男性。

ずっとそばにいてくれたら心強いけれど、どうだろう。

私たち・・・を理解し、受け入れてくれる人は限られている。

彼なら私たち・・・は、この世に存在し続けても苦しくない気がする。
でも私は自分の特性上、突然関係をぶち切ったりする。学生時代の友人の連絡先はほとんど残っていない。

あーさんにもそんなことしてしまったら、悲しいなと思う時がある。

「今日はいつもに増して大人しいね」

そんな事を考えていた私を見て言う。私は曖昧に笑顔を作って俯く。
お付き合いなんてしたことないから、どうしたらいいかわからないことがたくさんある。

「そんなに恥ずかしがらないで、僕を見てよ」
「…」
「何考えてる?」

あーさんは私の手を取り、目を覗き込むようにして優しく尋ねる。でも、言えない。

蒼ならはっきり言うんだろうけどね。

"お願いだから、そばから離れないで。どうしてもあなたじゃないとだめだから"

って。

雪は雨に変わり、やがて止んだ。凍てつく空気が道路を乾かしていく。外はもう日が暮れた。

今日はこの後、デートの "交代" がある。
普段、日曜日は私とデート、木曜休診の前日夜は蒼があーさんと飲みに行く。私はお酒が飲めないのもあって。
でもこの前の水曜は都合が合わなくて会えなかった。それもあって蒼は『代われ』と言っていたのだ。

「あーさん、あっちの細い道のとこで…いい?」
「うん」

人前での “交代” はかなりのパワーを使うから、することはほとんどない。
でもあーさんの前だったら特別。必要な時はハグをしてもらって、腕の中で "交代" する。気を失いそうになっても、彼が支えてくれるから。

腕を伸ばして、あーさんは私をコートの中に招き入れる。すっぽりと彼に覆われ、白いセーターのふんわりとした肌触りと温かさといい匂いを感じながら目を閉じる。

けれどこの時は、あーさんの顔が近づいてきて頬に頬が触れたかと思うと、今度は唇同士が触れ合った。顔から火が出そう。

「…どうして…」
「何となく、今のうちに、と思って」
「蒼がまた妬きもち起こして、騒ぐかもしれない」
「…何とかするよ。どうせ週末のこと、突っ込んでくると思うし」

あーさんはそう言って笑って、私を強く抱き締めた。息が詰まりそうなほど。
すっと、頭の中がホワイトアウトする。



Aoi


久しぶり。
そう思って俺は強く抱き締め返した。

「蒼、痛いよ」

そう笑って吐く息が白い。
秋人は俺のことは呼び捨てにしてくれる。それがすごく嬉しい。

「今、翠にキスしただろ」
「それくらい、いいでしょ。付き合っているんだから」
「俺はこの前会ってもらえなかった。翠とはいいことしたくせに」
「早速その話…まだアルコールも入ってないのに」
「よし、じゃあ飲みに行こうぜ。こんなところじゃ話せないもんなー」

俺は自分の身体が女の形をしているのを良いことに腕を絡ませる。
秋人も40を超えているくせにどことなく大学生か、はたまた浪人生かのような風貌だから、周りから見たらなんの変哲もないカップルに見えるだろう。
誰も『解離性同一症で同性愛者の男の他人格が、主人格と三角関係になっている男と歩いている』なんて目では見ない、はずだ。

「どこがいい?」
「今日は寒いしクリスマス近いし、ワインがいいな」

俺たちはカウンターと僅かなテーブルがあるだけの狭いワインバーに入った。
翠は下戸だけど、俺は飲める。でもすぐ顔が赤くなってふにゃふにゃになる。それでもいいんだ。秋人に甘えられるし、介抱してくれるから。

「で、翠は、どうだった?」

乾杯から程なくしてすぐその話題に持っていくと、秋人はジト目で俺を見た。

「下世話な言い方しないでくれよ。本当に何も見聞きしてないの?」
「してないよさすがに! 俺は覗き見する趣味はないんだよ」

というより、羨ましくて妬いて狂いそうだから、もう半分 "死んだふり" するしかなかった。

「まぁ確かに、蒼はそんなことする人じゃないね」
「さすが、わかってる。でもまぁ、翠も30になる前に女になれて良かったと思う反面、今日なんかさー、相変わらずおとなげないっていうか、うぶなままっていうか、ガキみたいなデートしてるんだなと思ってさ。もっと堂々とイチャイチャすりゃいいのに。一線を越えた仲なんだから」

里芋の唐揚げを頬張りながら俺が言うと、秋人はフフッと笑った。

「そういうところがいいんだ、彼女は」
「へぇ、俺とどっちがいい?」

まぁ、こういう質問しちゃう俺も、十分おとなげなくて痛々しいんだけどね…。
案の定、秋人はため息をついて呆れたように俺を見た。

「僕はまさか自分が二股・・をかけることになるとは思ってもみなかったよ」
「俺も二股かけられるとは思ってもみなかった」

そしてお互いニヤニヤ笑い、しまいには声を上げて笑い出す。近くにいたカップルがぎょっとした顔してこちらを見るので、また可笑しくなる。

肩を抱かれて、駅まで向かう。とてつもなく寒いはずだが、俺は全く感じてない。足元もおぼつかない。

「秋人、いい匂いするなぁ」
「そう? 翠さんにもよく言われるけど、何でだろう」
「このまま秋人を持ち帰りたい。翠と代わりたくないよぉ」
「ワガママ言わないでくれよ。明日お互い朝から仕事じゃないか」
「なぁ秋人。今度俺のことも抱いてよ」

秋人の身体にしがみつきながら言うと、明らかに戸惑った顔を俺に向けた。

「いやか?」
「…なんか…変な…感じで…」
「まぁそうだろうな。でも翠は翠、俺は俺」
「…」
「翠は恋人だけど、俺は友達みたいなもんだから、とか言うなよ」

秋人は僅かに顔を引きつらせた。

「図星かよ」
「いや…、でも…」

俺は秋人の首に腕を回し、無理やりキスをした。はじめは強張っていたヤツの身体も次第に緩み、俺の腰を抱いた。

「不思議なもので」

唇を離した秋人が照れたように目をそらせ、話し出した。

「翠は確かに恋に関してはとても純情で奥ゆかしい。蒼は大胆で激しい。でも普段は印象は全く逆。蒼は冷静に物事を処理するし、翠は何をするにも危なっかしくなる。幼い女の子みたいにね。2人は本当にお兄さんと妹みたい。君たちは全く相反している。美しきアシンメトリーなんだ」

唐突な、意外なその言葉に俺は秋人の顔を見上げた。

「…疲れないか、そんなおかしな奴と付き合ってて」
「これで疲れていたら、そもそも僕の仕事が務まらないよ」
「仕事の一環で付き合っているとでも?」

俺は抱き締める腕の力を強め、逸らし続ける秋人の顔を俺に向けさせた。

「…そんなわけない」
「じゃあ…どうして付き合ってくれる事になった。トラウマがあるくせに」
「それは…」

意地悪って、したくなるだろ。好きな奴にはさ。
俺って本当に、好きな男の前ではガキみたいになっちゃうんだな。
でも、困った顔も見たいんだよ。

「そんなこと、わかってるでしょう。好きになったんだから、しょうがないって」
「それは俺じゃなくて翠を、だよな」
「蒼」

秋人はコートを広げ、俺を抱き締め返した。交代の時にそうするみたいに。

「僕は初めて出会った時から、2人だった、と認識している」
「不完全体のな」
「いや」

そして俺の目を覗き込んで言う。

「1体の完璧な、美しきアシンメトリーだと。言ったろ?」
「だったら…俺のことも今度、抱いてくれるよね」

秋人は観念したようにフッと笑みを浮かべ、腕に力を込めた。


あ、やばい。意識が遠くなる。翠のやつ…邪魔してるのか…。
おい、俺まだ秋人の口から約束してもらってないんだぞ。ずるいだろ。
おい、翠!


Akihito


僕の腕の中にあるのは、確かに1つの身体。
僕は見届ける。この身体の中で起こる変化を。
完璧な、美しきアシンメトリーを。






END


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