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【連載短編】あなたがいないとしても #1

この話は下記作品の後日譚です。


身体の異変を感じたのは9月に入って少し経った頃だった。

家で晩ごはんを食べた後、無性に胃がムカムカとして、その後吐き気が襲った。
まだ暑い時期だったし、あたっちゃったのかな、と思っていた。ただ気持ちが悪くなったのは家族であたしだけだった。

そしてその後も吐き気は何度も襲った。

併せて生理が遅れていた。
夜更かしもしていないのに強い睡魔が襲った。

まさか、と思った。

ドラッグストアで妊娠検査薬を買う。商品を手にする時、戸惑いで僅かに震えた。
買った商品はカバンの奥に仕舞い込んだ。何となくいけないものを買ったような気がして。

家に帰り、トイレでチェックする。
兄は大学が寮生活なので家を出ていたが、それでも両親と祖母、弟の家族5人の家は狭く、部屋は祖母と共同だからプライベートはない。
そのままトイレにこもって1分。

ラインが2本くっきりと現れる。

まさか、と思った。

だってもう、アイツとは別れてるんだよ。
どうして。

ただ、それだけだった。

* * *

同じ中学・高校だけど、存在を知ったのは実質高校になってから。
何気なく見学した弓道部に、アイツはいた。

あたしも何となく弓道部に入って、アイツとの距離がちょっとずつ近づいていった。

桜子という名のあたしはみんなから “チェリー” と呼ばれていたけれど、アイツだけ何故か “チェリン” と呼んだ。

それでもお互い全然素直じゃなくて、お互い好きだという事が明らかになったのは、大学受験目前の秋だった。しかもアイツは大学は東京へ、あたしは家の都合もあって地元に残るしかなく、いずれ離れ離れになることがわかっていながら、付き合うことになった。

あたしのこと “チェリン” って呼んでいたのも、みんなと同じじゃ嫌で、特別にしたかったからなんだって。

冷ややかな見た目とは違ってそういうかわいいところがあった。笑った顔もとろけるような顔になって、ギャップがあった。

卒業までのわずかな時間は本当に夢みたいな日々だった。受験はしんどかったけれど、一緒にいる時のアイツはいつもあたしのどこかしらに触れていて(頭とか頬とか手とか)、その温もりが本当に幸せだった。

大好きだった。

大学に入ると遠距離になり、最初の1年はそれでも頑張った。アイツはなかなか帰ってきてくれなかったから、あたしがバイトしてお金を貯めて東京に会いに行った。

見栄を張って仕送りを断っているアイツはボロボロの古いアパートに住んでいた。
そこはまさにあたしたちの『愛の巣』になった。片時も離れない休日もあった。

遠距離でも大丈夫。この幸せは続くと思っていた。

けれどやはり少しづつ、心をすれ違わせていく。

“たまには会いに来てよ”
“あたしばっかり、ズルくない?”

あたしが二十歳の誕生日を迎えた時、それがピークになってしまった。
あたしとしてはリカバリーは可能だと思っていた。だってあたしたち、あれだけ仲が良いんだもん。ちょっとやそっとのすれ違いぐらい、すぐに何とかなる、きっと元通りになるって。

けれどアイツは離れていってしまった。
危機を感じて慌てて夜行バスに飛び乗って行ったアイツのボロアパートで「もうダメなんだ」と告げられる。

新しく気になる女の子が出来た。
チェリンの想いに応えられない。
今やり過ごしてもまた絶対に衝突する…。

何をどう言っても、アイツの決心は動かなかった。

最後まで優しくしてくれたのに、心はもう別の場所に行ってしまっていた。

最後の夜。

あたしはめちゃくちゃ泣いたけれど、アイツも汗と涙を、あたしの顔に落とした。

あの夜。

よりによって、どうしてあの時に…。

* * *

産婦人科の待合室。
「婦人科」のみとは違い、妊婦や赤ちゃんを連れた女性ばかり。

あたしみたいなの・・・・・・・・は誰もいないんじゃない? と不安になる。

誰にも相談出来ず、一人でここに来た。家からも大学からもなるべく離れていて、口コミが悪くない場所を探すのは至難の業だった。だってあたしは田舎暮らしだから。

どれだけ妊娠検査薬が『誤報』だと祈った事だろう。

けれど。

「最後の生理が7月28日ですか。妊娠7週目ですね」

と告げられた。

女医の先生はあたしが学生で未婚である事を知っているので「パートナーの方も呼んでいただいて…」と言った。

「パートナーは呼べません」
「…ご両親にご相談は?」
「…してませんし、できません」
「望んでいない妊娠ですか?」

一人で来ているあたしを先生は察したのかこう告げる。黙っていると続けて言った。

「中絶を希望しますか?」

その問いにもすぐには答えられなかった。そこは「はい」でしょう。普通はそうだ。

けれど。

あたしはアイツのことが大好きだった。別れてすぐの喪失感で毎日死にそうに辛かった。
それが…アイツがあたしの中に残していったものがあると思うと。

消し去る事をすぐに決断出来なかった。

「川嶋さんは学生で未婚ですけれど、もう未成年ではないので、特に同意はなくとも中絶手術は受けられます」
「…」
「心の相談窓口を紹介することも出来ますよ」
「それは…結構です」
「もし中絶を希望されるなら早い方がいいです。母体保護法で22週未満と決められていますが、日が経てば身体への負担が当然大きくなりますから」
「わかりました。ちょっと時間をください…」

そう言って病院を後にした。

病院からの帰り道の夕焼け空がやけに濃い茜色だったのを、はっきり覚えている。

あたしは絶望の中にいた。

これからどうしよう。

親なんかに言ったら絶対に堕ろしなさいというに違いない。それ以前に誰の子なんだっていう話になるだろう。
お祖母ちゃんがアイツの実家…県議会議員を務めていてあの界隈では由緒のある旧い家…お金持ち…のせいかものすごく嫌っていて、付き合っている事は口が裂けても言えなかった。

大学の友達…でも誰も子供なんか産んだことないし。あぁどうしてあたしには女姉妹がいないんだろう。

それに…。
アイツにこの事を、告げるか。
…。

何だか「責任取ってよ」って責めてるみたいにならないかな。
「絶対堕ろせ」って言われるだろうな。
「産んで一緒に育てよう」なんてなるはずがない。それになんか、子供だけで繋ぎ止めるみたい。

いえ、そうじゃない。
ただ、妊娠を理由に連絡を取るのが怖かった。

あたしはどこか、僅かな希望を持っていた。それは藁にもすがる思いと同じだった。別れて少し時間を置いたら修復できるのではないかという、僅かな希望。

それが別れて1ヶ月半で…あたしにとっては地獄のように長かった1ヶ月半だけど、アイツにとってはきっと "たった" 1ヶ月半で、妊娠してしまったから、どうしたらいいかなんて言ってしまったら。

これ以上崩れるものなんかあるはずないのに、それすらも崩れ、砂が風にさらわれるように消えて何もなくなってしまうような気になって。

なんて。
何を考えているんだろう。ばかみたい…。

どうしたらいいの、本当に…。





#2へつづく

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