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【連載コラボ小説】夢の終わり 旅の始まり #7

かくして僕の初のドライブ旅行は終わり、地元に戻ってきた。

仕事はそこそこ忙しく、休んだ分溜まった案件をこなしていると残業で22時近くになることもあった。
家や父の事が気がかりだけど、メッセージも送れない日が続いた。


そんなある日、彩子さんからメッセージを受け取る。

YouTubeのチャンネルを更新しました。強迫症を抱える方の症状と回復に向けてのプロセス体験談を紹介するシリーズです。川嶋さんの身内の方とは直接関連がないかもしれませんが、もし興味があったら観て観てください。

そうだった。チャンネルを紹介してもらっていたんだ。
平日はこんな毎日だからちょっと厳しいなと思い、その週の週末に視聴することにした。

そうして金曜の夜、残業はもう打ち切りにしようと19時に会社を出てコンビニで缶チューハイと酒のアテを2~3品買い、家に戻った。

プルトップを開け、彩子さんが送ってくれたURLを転送してPCで動画を再生した。

『皆さん、こんにちは。透です』
『彩子です』
『強迫症という病気について広く理解を広げるためと、辛い症状に悩む患者さん、そしてその周囲の人々のサポートに何らかのヒントや良い方向に向かうきっかけになればと始めている僕たちの活動。今回もメッセージで連絡頂いた方のエピソードを紹介していきたいと思います』

『今回はS県にお住まいの "ストロベリーショートケイク" さんからです』

透さん、彩子さん。はじめまして。私は現在27歳の会社員です。

私はいわゆる「ためこみ強迫」を持っています。またゴミを捨てる時も何度中身を確認しても不安になり、なかなか捨てられない「確認強迫」もあります。

きっかけは中学時代まで遡ります。
私の母は潔癖症で、常に部屋が片付いていないと機嫌が悪くなる人でした。掃除が終わった直後の部屋でものを食べるなど言語道断でした。
また部屋に物がごちゃごちゃ置かれているのも嫌い、友達の家でよく見かける置物やお土産品が飾ってあるなど、自分の家には全くありませんでした。よく言えばミニマリストかもしれませんが、私に言わせれば殺風景でした。

そうして中学の時に引っ越しをしたのですが、私は自分の大切なもの(元々コレクション癖はあった)を大きな麻袋に詰め込み、新しい部屋の片隅に置いておきました。もちろん早いうちに袋から出して整理するつもりでした。

しかしある日学校から帰ると麻袋ごとなくなっているのです。どうしたのか母に尋ねると、ゴミだと思って捨ててしまったというのです。

私は烈火のごとく怒りました。それまで大切にしていた自分の好きなバンドのグッズなど入っていて、もう手に入らない物も多かったからです。ですが母は「早くきちんと片付けないのが悪い」とピシャリと言うだけでした。

それ以降、私は自宅から出るゴミ袋をチェックするようになりました。母が私の大切なものを捨てやしないか、捨てるべきではないものを捨ててやしないか、といった具合です。また部屋には絶対に入らないで欲しいと母に願い出ました。

そのうちに段々と、自分が捨てるものも怖くなっていきました。捨てたものをもう一度ゴミ箱から拾い出し持ち帰ったこともあります。ゴミ収集場所まで行ってしまうこともありました。
そのゴミの中に本当は大切なものが差し込まれているのではないか、かざして見ると大切なものが埋め込まれているのではないか、という思いが強くなっていきました。

こうして部屋は捨てられないもので溢れるようになってしまい、母と大喧嘩を繰り返すようになりました。ゴミ収集場所まで行って捨てたものを拾ってくることもあり、何を考えているの、気味が悪いと言われました。

就職してからは、会社でその「捨てられない」が大きな問題になっていきました。事務職で入ったため、多くの紙や電子文書を扱いましたが、不要文書をシュレッダーに掛けることがなかなか出来なかったり、掛けた後、シュレッダーのゴミをあさったりしたのです。
PCのゴミ箱にも溜め込みすぎて、PCの動作が重くなったりしました。また会社のセキュリティ担当者からPCのゴミ箱に削除日から1ヶ月過ぎたものは完全削除するように言われていましたが、それも出来ませんでした。

見かねた会社の先輩が色々と調べ、強迫症のことを突き止めました。先輩は言いにくそうでしたが「辛い行動には何かしらの根源があって、それを対処することであなたの辛い行動も良くなるかもしれない」と言いました。

何かしらの根源、で私は中学の時のあの "事件" を思い出しました。二度と手に入れることが出来ない、当時大好きだったバンドのグッズ達です。私は会社で泣き出してしまいました。先輩は私をトイレに連れ込み、そこで私はその出来事を先輩に話しました。
先輩は「ご両親にもそれを話して、家族で立ち向かう必要がある」と言いました。

そうして家族で病院に行き、案の定「強迫症」と診断されました。カウンセリングで中学の時の "事件" の話をした時、それがどれだけ私にとって辛かったか話した時、母も号泣しました。

治療に関しては不安が強くなる脳内物質を抑える薬を処方してもらい、週に1回のカウンセリングを受けました。
また職場では、強迫症について調べてくれた先輩が理解を示してくれ、協力してくれました。物を捨てる時に付いてもらい、他のことで気を紛らわしたり忙しくさせることで再びゴミを拾い上げないように配慮してくれました。

家でも家族の協力で少しづつ物が減り始めて行くようになり、最近では誰かが遊びに来ても問題ないレベルにまでなりました。

どんな病気でも言えることだと思いますが、病院の先生やカウンセラーさんはもちろんのこと、身近な人の協力なしではなかなか乗り越えられないです。私は会社の先輩が手を差し伸べてくださったお陰で病気を知るきっかけが出来ましたが、もっと早く誰かに救いを求めていたら…と思うことがあります。

強迫症は完全には治らないかもしれませんが、軽くすることは出来ます。
話せる人が周囲にいる場合は早めに相談して、一日でも早く楽に過ごせるようになって欲しいと願います。




#8へつづく

Information

このお話はmay_citrusさんのご許可をいただき、may_citrusさんの作品『ピアノを拭く人』の人物が登場して絡んでいきます。

発達障がいという共通のキーワードからコラボレーションを思いつきました。
may_citrusさん、ありがとうございます。

そして下記拙作の後日譚となっています。

ワルシャワの夢から覚め、父の言葉をきっかけに稜央は旅に出る。
Our life is journey.

TOP画像は奇数回ではモンテネグロ共和国・コトルという城壁の街の、
偶数回ではウズベキスタン共和国・サマルカンドのレギスタン広場の、それぞれの宵の口の景色を載せています。共に私が訪れた世界遺産です。

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