トマト

熟れたトマトが一つ、手から滑って地面に落ちた。熟れすぎてしわくちゃだったそれは、地面に落ちた衝撃で、中の液体を周りへとぶちまけている。

もったいないな、片付けるのも面倒くさいな

そう思いながらも、このまま放置するわけにもいかず、潰れたトマトを拾い上げて、飛び散った液体を拭き上げる。赤い液体と床の埃が相まって、少し赤黒くなってしまっている。朝からツイてないなと、深いため息をついたところで、上の階から彼女が下りてきた。

寝ぼけた声でおはようという彼女は、昨日も夜遅くに帰ってきたからか、疲れが抜けきれていないようで、随分とダルそうにしている。ペタペタと足音を立てながら、ふらつく足取りの彼女におはようと返し、寝起きのコーヒーを用意する。

ありがとうといつも通りの柔らかな笑みを浮かべる彼女は、普段通りたわいもない会話をし始める。昨日のバイトがどうだったとか、今日もバイトで遅くなるかもとか。そんな会話に適当に相槌を打ちながら、話半分で朝食を食べる。朝の光がカーテンから差し込む部屋で、テーブルの向かいに座る彼女に、いつ話を切り出そうかと悩むうちに、彼女はコーヒーを飲み終えてすぐに外出の準備を始めてしまう。今日も遅くなるから、先に寝ちゃっててと、さっき話したことをまた伝えてくる。わかったよと返事をして、背を向けて家をでる彼女を見送る。

彼女を見送った僕の顔に、もう笑顔はなかった。

そう、わかってるんだ。帰りが遅くなることなんか、とうに知っている。君が毎日のように、あの男のところに行っていることも、もう既に何度も寝ていることも知っている。

でも君はそんなことに気づかずに、もしかしたら気づかないふりをしたまま、何事もないようにこの家に帰ってくる。家に帰ってくれば、そのまま寝室のベッドでいつもと変わらずに眠りにつく。

それが許せなくて、やるせない。あまりに惨めで、彼女の幸せそうに眠る顔をみて、その細い首に手をかけたこともあった。いっそこのまま力を込めてしまえば、彼女を永遠に自分のものにできるなんて、最悪な気持ちに駆られてしまった夜もある。でも毎回帰ってきてくれることに安心してしまう。おはようと寝ぼけまなこを擦りながら降りてくる姿をみると、自然と頬が緩んでしまう。

彼女の一挙手一投足に踊らされる自分が、あまりにばかばかしいけれど、今の関係を捨てきることもできないまま、ずぶずぶの関係を続けてしまっている。もうすっかり腐りきった二人は、まるであのトマトみたいだ。

今頃彼女はあの男のもとについただろうか。もう腕のなかで眠ってるかもしれない。

もういいか。そう思うと自然と足が屋上へと向かっていった。高さが足りるか分からないのがネックだけど、きっと何とかなるだろう。

住んでいるアパートの屋上から、空に駆ける。

腐ったトマトがまた一つ、地面に落ちた。

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