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n=1の経験を相対化させる話

今、台湾に住んでいるのですが、6/22-25は4連休。
ふと海外に行きたくなり、2泊3日で香港に行ってみました。
フライトは2時間弱で日本から行くより圧倒的に近い。

台湾以外の国を訪れるのは数年ぶりで、異国の地を訪れるワクワク感がたまらなかった。何より26年前に読んだ沢木幸太郎さんの「深夜特急」の舞台をやっと訪れることができてとてもよかった。

ネットでそれほど事前に情報を取っていなかったもの悪かったが、まぁ、行ってみるとスムーズにいかないことがたくさん、日本・台湾とパッと見は似てるけど、大小の違いの発見etc。街を実際に歩いてみると感じること考えることがたくさんあった。

以前、とある本でこんな文章が書いてあった。

「21世紀だし、見つけようと思えばネット上でも見つかるのかもしれないけど、「実際に体験する」という最後のひと押しを加えたときに初めて、他との比較が無効化された、私だけの大切な情報になる感じがしている。

これはまさにこの通りで、スマホでこれだけ旅が便利になったにも関わらず、わからないこと・現地で初めて気づいたことがたくさんある。

行ってみて実際に体験してみる

この大事さを改めて感じました。街の空気感・匂い・音などは実際に行ってみないとわからない。

一方で、こんな危惧も持っています。
それは体験してみることそれ自体はとても大事で貴重なもの。実際に体験した人が語る言葉は、ただネットで情報をかき集めた人とは比べ物にならない。
だけれども、その経験というのは、ある人がある時にある条件下で体験したものであり、当然ながらそれが一般的なものか特殊なものであるのかはその体験だけではわからないし、その人が持っている考え方で同じ出来事も解釈が異なって当たり前。(たぶんにバイアスが入るはず)

なので、経験の大事さは認めるものの、あくまでサンプル数は1(n=1)なので、そこからいろんな情報(特に統計データ)を集めたり本を読んだりして、自分の体験を相対化する。そうやって初めて、

私だけの大切な情報

になるような気がしている。そうやって初めて人に経験を(多少偉そうに)語れる気がする。

そうしないと自分の経験だけを基にあれこれバイアスがかかりまくった自論を語りたがる、説教好きのアホなおっさんになってしまうように思ったりする。(周りに実にたくさんいらっしゃる)

そんなおっさんにはなりたくない、というのが自分の永遠のテーマ。


そして、今回、台湾から香港へ行き、2日目に日帰りでマカオに行った。同じ東アジアでもそれぞれ街の雰囲気は大きく違った。このあたりの歴史を全く知らないのでこの雰囲気の違いの理由が残念ながら全くわからない。東アジアの近代史を少し勉強せねばねと思わされました。
(コテンラジオでやってくれないかしら)

いろいろ偉そうなことを書いたけど、旅自体はとても楽しかった。体力の衰えは感じたけど、久しぶりにバックパッカー時代を思い出した。

旅はよい、旅は。

たまらなくよい。




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