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1. わたしたちは、"大いなる意識"から生まれ、それぞれが原形質に包まれた "意識"であることを、認めなければなりません。「超能力(PSI)の未来/一部の人間にとっては本当に楽しいことだ」by クリフ・ハイ (2023/8/10)

テレグラム.EriQmapJapanより、Eriさんのサブスタック.ニュースレター[新連載]No1を共有させて頂きます。

Eriさん:「新連載はじめました!🍿🐸 」

1. わたしたちは、"大いなる意識"から生まれ、それぞれが原形質に包まれた "意識"であることを、認めなければなりません。
「超能力(PSI)の未来/一部の人間にとっては本当に楽しいことだ」by クリフ・ハイ (2023/8/10)

UFO問題は、ディープ・ステートに関する限り、もっと大問題に発展します。「UFOの存在の正当性が最大の問題だ」と思うでしょうが、それが、実はそうではないのです。そのより大きな問題とは、ギリシャ文字でPSIと呼ばれる、超能力のことです。

超能力問題が出てくるということは、ディープ・ステートがコントロールを100%失ったことを意味します。

というのも、もしUFOが現れたとして (もうすでに現れていますが)、それが、アシュケナージ的なグリット物理学の法則を無視するようなことをやっているのだとしたら (現に無視していますが)、わたしたちは、他の結論を出さねばならなくなります。そして「物事の本質は、今までのような、カリ・ユガの影響を受けた学問によって説明されている現実とは違う」という概念に、心を開かなければなりません。

今のわたしたちは、カリ・ユガから完全に抜け出しています。そして、今から100年後の人類は、銀河系の中心のエネルギーより多く利用できるようになります。その頃には、人類は今よりもはるかに賢くなっているでしょう…ちょうど、300年前の人たちよりも、今の人たちのほうが賢く生まれたように。

わたしたちは1698年に、カリ・ユガを抜けました。1698年は、1700年代のちょうど手前ということになるのですが、1700年代に何が起こったかにを見てみると、あらゆる科学が花開いたことが挙げられます。その多くはダーウィンのように間違っているものでしたが、それらはアシュケナージによって創られ、維持されてきました。

エシュロン上層部の人たちであれば、自分たちの現実観がインチキだと知っているかもしれませんが、それでもそのナラティブを維持するのは、それが自分たちの目的に合っているからなのです。あるいはただ単に無知で、それがインチキだと知らない可能性もあります。そのどちらであろうが、いずれにせよ、わたしたちは、今見ている現実の世界から、SF世界 (サイファイ・ワールド)へと、足を踏み入れつつあります。

SF世界 (サイファイ・ワールド)とはつまり、超能力の世界なのですが、この世界では基本的に、 “宇宙にはグリットに先立つ選集的創造がある”ということを認めています。そしてそのグリットは、その前に存在した “意識”に由来します。つまり、具現化された意識の断片として、意識はグリットに閉じ込められているのです。

グリットとは、肉体に閉じ込められている、血や肉や骨や歯や爪のようなもののことを言います…髪の毛については、無いことを氣にしている人もいるので、コメントは控えさせていただきます。(笑)

でもとにかく、わたしたちは、"大いなる意識"から生まれ、それぞれが原形質に包まれた "意識"であることを、認めなければなりません。

そうであるならば、その意識にはあらゆることができるはずです。なので当然、ゆくゆくわたしたちは「超能力(PSI: サイ)を探求したい」と考えるでしょう。人間は、それを使ってあらゆることをするために、より良い定義と確固たる方法論を得て、なぜ、どのようにそれが作用するのか…などを理解する必要があります。

つまり、グリットだけのビュー(景色)からパラダイムを再構築するための作業が山ほどあるのです。そしてこれは、ディープ・ステートを、非常に大きく揺るがすことにつながるのです。

というのも、このことが何を意味するのかというと…想像していただくたわかると思うのですが…宇宙人の存在が確認されることによって、人間が生まれつき、超能力のようなものを持っているという事実が明らかになってしまうことになるのです。わたしたちの身体と心がその現実を受け入れられるかどうかは、問題ではありません。困るのは、支配者たちのほうなのです。

いわゆるディープ・ステートと呼ばれる人たちは、人類が超能力者であることを認めたくないのです。その才能を開花させられてしまっては、たまらないからです。

ここで問題なのは、彼らは超能力のことを知らないし、理解もしていないということです。超能力関連のものにはすべて、本来の意味とは違うレッテルが貼られ、非常に間違った定義がされています。ゆえにそれらは、 “真実から人々を遠ざける”という意味では、うまく機能しています。

テレパシーは「遠い/距離がある」という意味の “tele”と「共感」という意味の “empathy”を組み合わせた言葉で、1887年に、エーテル実験の後に確立された定義に由来しています。その定義とは「因果関係の説明を必要とする思考の偶然の一致」です。

つまり「なぜ2人の人間が同じ考えを持つことになったのかを説明する必要がある、人と人との間の思考の偶然の一致」を、テレパシーといいます。

「テレパシーは、送信者と受信者のいるラジオのようなものだ」と考える人が多いですが、そうではありません。だからわたしたちは、人々を誤解させるために、ディープ・ステートが意図的に超能力に貼ったレッテルを、すべて剥がさなければならないのです。

そして、超能力は「グリットだけ」という視点では機能しないことを理解する必要があります。彼ら自身の「グリットだけ」という思い込みが「テレパシーの定義は 思考の送り手と受け手のみのことである」という誤解を招き、ディープ・ステートを本当に偏執的にさせ、怖がらせているのです。

というのも、ディープ・ステートは、まるでTV放送かのように、一方的に「AがBの心に思考を送ることができる」あるいは「BがAの心から思考を受け取ることができる」と信じているからです。その根拠はまったくないし、わたしは、そのようには機能しないと考えています…このことについては、また後で詳しくお話しします。

ディープ・ステートが怯えているのは、彼らが秘密主義によってのみ存在しているからです。


秘密主義に基づかない管理体制では、国を運営することはできないし、彼らはそのように訓練されてきました。だから、政府のやることは、すべて機密扱いになっていて、この地球上に存在する人間の数よりも、はるかに多くの機密文書があるのです。

つまり彼らは、何かする度に「機密だ」と言っては、それを闇に葬ってきたのです。彼らは、ディープ・ステートのコントロール能力を維持するために、隠す必要もないようなくだらないことまで機密扱いにするなど、機密を守ることにエネルギーを注ぎすぎています。

しかし、もし人間がという生き物が「自分に超能力がある」と認識したらどうなるでしょう? 情報を発信したり受信したりといった機能は使えなかったとしても、この超能力という才能によって、ディープ・ステートの秘密を探ることができるとしたら?

実際のところ、その能力は、訓練することによって、よりパワーアップさせることができるのです。

たとえば、生まれつき腕がない人は、たとえ人工関節を使ったとしても、あまりいいテニス選手にはなれませんよね? つまり、最初からその能力が備わっていない場合、“テニスが上達する”なんてことはほぼ無理です。

しかし、もしも腕がありさえすれば、その人は少なくとも、テニスを練習することが可能になります。“ラケットを持ち上げてボールを叩く”というテニス的な動きをする能力が、生まれつき備わっているからです。そして、練習してテクニックさえ磨けばどんどん上手になり…そのためには、さまざまなことを調整する必要があるものの…その人は最終的に、素晴らしいテニス選手になることができるのです。

これと同様のことが、超能力にも適用できます。


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