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「ここは、おしまいの地」を読んで強くなる話


こだまさん著「ここは、おしまいの地」を読んだ。
前作「夫のちんぽが入らない」と同時に購入、先にそっちを読んでいたのもあり、こだまさんの今までの歴史をより濃く感じられたと思う。

酸いも甘いもある人生の甘い抜きの生き様を描きつつ、カウンターのようにユーモアを入れてくる文体にすっかり虜になってしまった。甘いがない分、パフェをご馳走したい。

前作を読んでいる時は「どうか、この話はフィクションであってくれ」と願いながら読んでいたが、前作は私小説だった。でも私は「私小説」の言葉の意味をわかっていなかった。読んだ後に調べて、電車内で雄叫びを上げそうになった。もうこだまさんは、プリンとメロンが乗ったパフェを一生食べてて欲しい。


「ここは、おしまいの地」は読んでいるとすごく落ち着いた。
凄く心地良かった。

でも私はこれを最初受け入れたくなかった。
これは、きっと私より不幸な人いるから大丈夫だ。と自分が思っているんじゃないかと思ったから。自分より不幸な人を見て安心していると思ったら、そんな自分が最低さが嫌で嫌で。

でも中盤まで来たくらいで、それがどうでも良くなってきた。
私も自分の家の車庫が布団販売会場になっていたことはあるけど、銃を向けられたまま登校したことはない。

こだまさんの不幸は才能だ。


ここでちょっと話は逸れる。
最近、すこぶる私の精神面の調子が悪い。

嫌な事が続き、人生の岐路に立っていることもあり、メンタルの調子が酷い。
自分の悪いところばかりが目について、どんどん自分を責めてしまう。
大体落ちるとこまで落ちて、「あ、今生理前だったな」と気づく。
今日は近くの心の相談室を調べて「1回6000円」を見て途方に暮れる所まで行ってしまった。6000円あるなら、その金でオロマオイル体に塗ったくって、揉み揉みしてもらいにいく。もしくは病院。

話の意味がすぐに分からない、文章の意味も読み取るのに時間がかかる。
私の言葉が届かない、相手に通じない。
言われたことが数十秒後には忘れてしまう。覚えられない。
考えば分かりそうなことが分かってあげられない。
緊張やテンパってしまうと思考が止まってしまう。
怒る相手に、どんどん周りより冷たさを増す上司。
同時に過去の伝わらなかったこと、言えなかったこと、見てもらえなかったことを思い出してしまい動けなくなる。

小一の集団下校はずっと私だけ置いていかれたこと。
一人で帰っていたら、後ろから知らない男の子に雪玉を投げられて「ばか」と言われたこと。
迷彩柄の服を「あなたにはその服に合わないから、私に頂戴」と言われたこと。
就活の時に役員にされた「こいつ意味わからない」と言わんとする目。
「俺は全く面白いと思わない。」と投げられたポートフォリオと一生懸命作ったカバー。
思い出す。いくら昔でも苦しいものは苦しい。

尽く発達障害の症状に当てはまるものなので、病院に行こうかと本気で考えた。
ネットに転がっているチェックシートなるものをやったら、可能性は低いと出た。また先天性のことが多いようなので思い止まった。
そもそもそうだったとしても、治るものではない。
病気だと思うことで考えることから逃げ出したいのだ。
うまく付き合っていくしかないのに。

分かってる。

分かってるけど。

もうこれ以上、自分を嫌いになりたくない。



私は「かわいそう」なんかじゃない。


後書きにもあった、こだまさんの言葉だ。
こだまさんは不運を呪ってきたのかもしれないが、それを救ったのは書くことだった。書くことで、自分の生き様を笑いに変える術を得たのだ。たくましい。


こだまさんの人生は面白いのだ。

私にも書くという術があった。と思い出した。
大いに失敗して、すっ転んでも、笑ってもらえるように。
書いて、書いて、許していこう。馬鹿にしていこう。自分を。
そんな強い大人に私はなりたい。

アメニモマケズみたいになってしまった。


こだまさんに敬意を。
こだまさんにビュッフェでパッフェを。

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