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コワモテ系椅子取りゲーム

年に一度開催される祭りがあって、それは椅子取りゲームなのだが、いかんせんその街は、ヤクザが多く居る街なので参加者は全員ヤクザである。その大会は1963年に街を訪れた外国人大学教授が、商店街にあった「田中精肉店」店頭のパイプ椅子を見て、何か英語の諺らしきものを長々と店主に語り始めたそうだ。当時の日本語教育水準からして、店主が英語を分からないのは当然で、それを物珍しそうに眺めていた人達のどれも英語を理解して居なかった故、お雇い外国人の妄言として当時はあしらわれ、街の人々からの嘲笑により、その教授は母国に帰る他無くなったのだが、その三年後に街に稀代の天才が産まれ、齢四歳の頃にその笑い話を聞き、精肉店店主の僅かな情報だけで、あの外国人がなんと言ったのかを、人間業とは思えないことだが、全訳をした。その内容は「店主、これで椅子取りゲームしたらヤバくないすか?僕の国では椅子取りゲームめっちゃ流行ってましてね、いやこんな話興味無いか、うちの娘の話でも聞きます?てかめっちゃ肉売ってますね、いちばん美味いのどれですか?え、なに?リンゴ?ペン?チェア?なんか子供が知ってそうな英語並べてますけど、もしかしてこれ会話噛み合ってない?あ、ごめんなさい。僕帰りますね。」という事だった。街の人達はそれを更にバカにし、どんなテレビスターよりもその外国人の方がその街では面白がられた。ある時、稀代とは言えない程の名も無きお調子者がその外国人の言うように、椅子取りゲームを実際にしてみることにした。そこから爆発的に椅子取りゲームが流行り始め、いつの間にか大会が開催され始めた。その開催日はあの外国人が妄言吐き散らかした日にしたかったが、誰もその日がいつだったか覚えておらず、多分秋だろというクソみたいなノリで秋の始まりになった。そして、大会黎明期にはカタギも子供を始めとして、勿論参加していたが、勝ってしまったら睨まれるし、負けてしまうとヤクザ特有の深々と決勝へと駒を進めさせてくれた事へ礼をするので、価値観や空気感の違いに怯みきった街の人はいつの間にか見るだけに徹してしまった。それは時期的に一応、秋の風物詩として街の人達は捉えている。そして沢山の組から代表で出てくるので実質、抗争と言っても差支えが無く、現に負けた組は次回開催までの一年間はとても権力が弱まる。そこの期間で組は潰されるので、その椅子取りゲームで負けることは、組の崩壊を意味する。だからこそ年一回の開催日には沢山のジャーナリストやコネがある政治家、芸能人、麻薬中毒者が殺到するので街は一時的であるが、無法地帯であり最高権力のような、混沌という言葉で形容するには、あまりに混沌としていて、混沌という物に混沌を混ぜ合わせ更に混沌とさせた何かになった。最初は己に接点がある組が勝つかという、自己本位で応援しているが、後半は本当に白熱してきて、ドスやピストル、賄賂、密告、爆発、仕込み刀、手榴弾、殺害、強姦、もうなんでもありになるので、損得を忘れて皆も理性を忘れて盛り上がってしまう。政治家はたるんだ顎をふるわせ声を荒らげ鼓舞し、ジャーナリストはここぞとばかりに空に向かって叱咤激励のような実況をし、麻薬中毒者達は腕を肉がもげるまで掻き回している。それがその街の秋の風物詩だ。

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