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私のなかで私が可愛くあるように

#君のことばに救われた  と言うけれど、
心を殺したことばも、救ってくれたことばも、大体は救うために用意されてはいない。
私を救ってくれたその人のことばも、その文字列自体はありきたりに吐かれることばで。
けれどもそれは私にとってはお気に入りの宝石のように胸できらきら光り続けている。
そんな私が大切にしていることばの話をする。


私はフィリピン人の母と日本人の父のハーフだ。
ハーフには「ハーフ顔」やら「日本人離れしたビジュアル」やら「モデルっぽさ」やら、やたらと見た目へのハードルが課せられる。
日本人離れした可愛い・綺麗がないと「らしくない」「残念」と言われ、ちゃんと可愛いとチートのように扱われるのがハーフだ。
ハーフという称号がその個人の個性に関係なく一人歩きしていくのだ。

私が生きてきたなかで心を殺されたことばは、「みんちゃんはロシアとかアメリカのハーフだったら美人になれたのに」とか、「フィリピンのハーフだなんてピンとこないよね」とか、「ハーフの割に日本人っぽいよね、お父さんに似たんだね」とかいう、私の血と可愛さに対する評論だった。
発した本人らにとっては、最近あの子髪型変えたよね〜、くらいの軽い会話だったのだろう。だからこそ本音であることがわかって傷ついた。

それから私には呪いのように「可愛い・綺麗」がつきまとっていて、「私らしい」と私離れした私の理想の「可愛い・綺麗」と私をいかに近づけるかに苦心し、でこぼこを埋めてきた。
私は骨格や鼻筋が整っている分、パーツの乏しさが浮き彫りになる顔だった。そんなに大きくない目と無駄に大きい口がコンプレックスで、手で口を覆う癖はいまでも健在である。

そんな私の呪いを完全に解いた魔法使いを、仮にヤンさんと呼ぶこととする。
大学3年の時に取っていた社会学系の授業で、授業参加者からその日のランダムで4人のグループを作り、それぞれ自分の人生をただただ語り合うというものがあった。
自分の人生を語るという経験は何度かあるけれど、毎週何度も話すという経験は流石になかった。
とても心身を疲弊させながらも、充実感と達成感に満たされた授業だった。
毎週話すごとに自分のライフストーリーに新しい色が加わっていき、また話すたびにいろんな思いがぶり返して、グループメンバーと泣きながら90分話し続けることもあった。
何を話しても咎められない。過剰に慰められたり遠回しにあざ笑われたりもしない。ただ、程よくうなづいてくれて、優しく共感してくれる。
そんな場があるだけでも私はすでに救われていた。

同じグループになったヤンさんは中国から留学してきた大学院生で、スラっとした身姿と主張しすぎず整った顔が美しい人だった。
私が目指していた可愛さとは違う綺麗さではあったけれど、惚れ惚れしてしまう美しさだった。

その日私は自分の人生の重荷、特にハーフであることで負ってきた傷のことを話した。綺麗なヤンさんに当てつけるかのように、自分のコンプレックスをあますことなく話した。
可愛くないと言われたこと、可愛くなりたいことに必死になったこと、可愛いと言ってもらうたびに人の三倍は喜んだこと、けれどたまにちょっぴり胸が痛むこと、可愛くないことを自虐し笑ってもらうことで昇華させていること、だから昔ほど気にしていないこと、とはいえたまに苦しくなってしまうこと。余すことなく話した。

私の話を一通り聞いた後、ヤンさんは言葉を探るように目をまばたかせ、それからまっすぐ私の目を見て言った。

「私は、あなたがハーフだからとか日本人だからとか関係なく、ただ、一目見た時に、

あなたのことを綺麗だと思ったよ。」

実印を押すかのように、大事に、ゆっくり、しっかりと言葉にしてくれた。
私は今まで言われた可愛いや綺麗の中で、一番に嬉しくてまっすぐな「綺麗」だった。
彼女は私の痛みを全部受け止めた上で、それを全てひっくり返して、ただ私を綺麗と思ってくれたこと、それをそのまま言葉にしてくれたことが嬉しかった。
嬉しいと同時に、その言葉が私にとって劇的すぎて、耳の横をサーっと水が早く流れたような感覚がしたのを今も覚えている。

より多くのひとに可愛いと思ってもらうとかどうでもいいな、とその時から思えるようになった。

おそらく修論執筆に忙しかったのだろう。春学期にヤンさんと同じグループになってから、夏と秋に廊下ですれ違った以外は二度と会うことはなかった。今、それをとても後悔している。

でも、いくら世界が私のことを見下そうとも、世界のどこかにはヤンさんという絶対的な味方がいて、いろんな声を無視して私のことを綺麗だと思い続けてくれる。それが私がそのままであることの自信になる。

私にとっての綺麗を私が守り通すこと。誰の秤の上にも乗せさせないこと。同じように、誰かを自分の秤に勝手に乗せないこと。自分も他人も、ありのままを愛す努力を怠らないこと。

たまに、他人の目を気にしすぎるが故に自信を失いそうになる時、逆に、自分が他人のことを見下しそうな時にも、ヤンさんのくれた言葉を思い出す。そして何度も救われるのだ。

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