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【小説】連愛

冬至も過ぎて、冬らしい寒さの朝。クリスマスは明後日。
もう10年以上も前に見た2.5次元俳優さんの朗読劇に触発されて書き始めたは良いものの、まったく進まないまま放置していたのですが、やっと仕上げないと!と思い始めた作品の最初のエピソード部分がクリスマスなので、続きを書く勇気づけに投稿します。


★聖夜(2008年12月12月25日)
 
「ぅおぉ~おお~」
 まるで野生のライオンのように遠吠えがしたくなった。
波のように寄せて返す痛み。初めての出産。夜明けまでまだ時間がある暗い分娩室。もうすぐ潮が満ちてくる。痛みが強くなって、もうどうにでもして!という気分。早く楽になりたい。今日付き添ってくれるはずだった倫子さんはお店を任せるはずだったアルバイトの子が遅れて、まだ病院に着かない。
陣痛に身体を屈め、呼吸が難しい。酸素不足で意識を失いかけた瞬間、兄さんを見たような気がした。あっ、翔太まで。分娩室の入り口の暗がりに二人が心配そうに立ってる。ふと、そう感じた。
 
そんなはずはない。兄はもういないし、翔太は知らない。私が公司の妹だということも、妊娠したことも、赤ん坊が生まれることも。三人が一緒に過ごした施設を出てから、翔太に会ったのはあの夜一度だけ。
兄さんを失って自暴自棄になっていた翔太にとって、私は行きずりのキャバ嬢に過ぎない。親を知らない翔太の唯一の家族のような存在だった公司が殺された後、無気力にただ呼吸し、そこにあるだけの魂を亡くした人間の外側だけの存在、まるで動く人形のようだった彼。生死の境目の危うい間(あわい)に心を置いていて、それでも何かに救いを求めるように一人になることを無意識に避けて、飲み歩く痛ましい姿を、私はこっそりと見守っていた。
あの夜、翔太が私の勤める店にやってきたのは偶然だった。
すでに全身からアルコールの匂いをさせてやってきた翔太は全く私に注意を払わず、ただ酒をあおった。私も何も言わなかった。ただそばにいてグラスが空くと水割りを作った。翔太が私を覚えているはずもなく、負い目のある私に名乗ることはできなかった。
 
私が三歳の時、両親が事故で亡くなって、二つ上の兄・公司と児童養護施設に入った。十数人の親と生活できない仲間たちとの生活は多少普通の家庭の生活とは違っていたのかも知れないけれど、特別良いということはなかったけど、特別悪いということもなかった。私には肉親である兄がいて、いつも気遣ってくれた。泣いていれば抱きしめて、頭を撫でてくれて、精一杯の愛情で私を親のいない寂しさから救ってくれた。兄が全てだった。
それから一年、まだヨチヨチ歩きの翔太が施設にやってきた。施設の入り口に無表情に立っていた翔太を見つけたのは私の兄、公司だった。兄は赤ん坊の翔太を可愛がった。一日中、どこに行くのも一緒。最初は感情の乏しかった翔太も、かいがいしく世話を焼く兄と一緒に過ごすうちに、兄にだけは笑顔を見せるようになっていった。私はそんな翔太に嫉妬したけど、兄の嬉しそうな顔を見ると何も言えなかった。だから、兄に嫌われないように翔太に優しいふりをした。翔太が私にも笑ってくれたのは、私が養子に行くことを園長先生から聞いた夜だった。だから、その笑顔がずっと心に残っていた。
 
幼い翔太の笑顔が目の前の翔太に重なり、すでに泥酔状態なのにさらに煽るように酒を飲む正体不明の彼を放っておけなくなって、自分の部屋に連れて帰った。悲しげな苦しげな寝顔に服を脱いで裸で抱きしめたのは私だった。冷たく冷えた翔太の心。少しでも私の体温で温めたかった。ううん、違う。温めてほしかったのは私のほう。兄を失った悲しみは私も一緒。そして、兄が死んだのは私が原因なのだ。兄は私のせいで殺された。
 
 養子となった日向の両親は、格別甘やかすことも特別扱いすることもなく、ごく普通に私を育ててくれた。実子に恵まれなかった二人は、施設であった私が、母にどこか似ていて気に入り養女にしたこと、兄と引き離すことへの躊躇も話してくれた。あまり体が丈夫でなかった母は六歳だった兄の子育てに自信がなく、当時、兄が翔太を可愛がっていたこともあって、悩んだ末に私一人を引き取ったことを聞いた。良い父であり、母であったと思う。私がずっと兄を恋い慕い、そのことを彼らに言えなかったことを除けば。
 高校に入った年、父が半年の闘病の後、逝った。駆け落ち同然で一緒になった愛しい人の病気に、母はできる限りの手を尽くしたけど、残ったのは高額な医療費の借金だけだった。母は父を亡くした後も、私との生活のために弱い体に鞭打って働いて、私が高校3年生の秋に突然亡くなった。朝、珍しく母が起こしに来ないので、母の寝室に行ったら、母は柔らかな表情のまま呼吸を止めていた。私には母が父に会いに行けることを喜んでいるかのように見えた。
 
私は独りぼっちになってしまった。
 
日向の家を売り、借金を返すと、お金はほとんど残らなかった。バイトをしながら高校を卒業したけど、進学も就職も出来なかった。虚しくて寂しくて、兄が恋しくて仕方なくなって、兄の住む町へやってきた。
高卒で保護者のいない私はこの町でも昼間の就職先は見つからなくて、結局、キャバクラで働くことになった。兄を心配させたくないから、兄に会うつもりはなかった。ただ同じ街の同じ空気を吸ってることが嬉しかった。近くで兄が元気にやっているのだと感じられれば、それで寂しさを紛らすことが出来た。
 
そんな生活が四年も過ぎた頃だった。案内されて店に入ってきた客が立ち止ってこちらを見つめている気配を感じて、見ると、兄が立っていた。翔太とは珍しく一緒じゃなった。
会うつもりはなかったけど、四年の間には何度かこっそり兄のアパートへ行ったことがある。住所は、日向の母の手帳にあった。母なりにずっと気にかけていてくれたのだろう。翔太と二人で仲睦まじくアパートを出入りする姿を何度か見かけた。二十年ぶりだったけれど、兄のことはすぐにわかった。愛嬌のある表情で、泣いてる私を覗き込んだ、優しい兄のどこか寂しげな瞳は、小さい頃と変わってなかったから。
 
兄・公司の目が何か言いたそうに私を見つめる。私はただ立ち尽くしていた。一時の躊躇の後、兄が私を指名した。席についてもしばらく無言で、兄は私のこめかみの傷を見つめていた。幼い頃喧嘩して、偶然兄の振り回した定規が当たってできた細長い傷。あの時、兄は泣いて、泣いて、ずっと私に謝り続けた。
「真理…」大人になった兄の声、優しく私の名前を呼ぶ懐かしい響き。あの日、二人で並んで写メを取ったらよく似ていた。わからないほうがおかしいぐらいに。店にいる間、兄は何も聞かなかったし、私もここで働いている事情は離さなかった。兄は翔太と二人、今している仕事の話や、私が養女に行ってからの翔太との思い出話をした。そして、帰り際に言ったのだ。「真理、もう少し待っててくれ。3人で暮らそう。すぐ迎えに来るから」
それから半月後、他所のシマで薬を売って、兄は殺された。私に再会しなければ、兄が無茶な商売をすることはなかった。殺されることもなかったのだ。
だから事情を知らず、どんな負い目もなく嘆き悲しめる翔太が私は羨ましくて、妬ましくて、そして愛おしかった。翔太から兄を奪ったことがとてつもなく申し訳なくて、悲しかった。翔太に謝りたかった。翔太を慰めたかった。兄の代わりに翔太を愛したかった。そして愛されたかった。
翔太を抱きしめて、母のように受け止めて、救われたのは私。あの晩、兄の死以来初めて深い眠りに落ちて、目が覚めたら、翔太はいなっかった。
 それからしばらくして妊娠が分かった。ひとりぼっちの私にできた家族。兄の贈り物のように感じた。一人で育てる自信なんて欠片もなかったけど、不思議と産まない選択は頭に浮かぶことがなかった。
そして、私は翔太に会いに行かなくなった。
私だけの赤ちゃんでいい。一人で産んで、一人で育てようと思った。翔太が家族を欲しがってるとは思えなかった。でも、正直なところ、兄をずっと独占してきた翔太にちょっと復讐したい気持ちもあったのだと思う。
 
「うぅううう~~」痛みがひどくなる。
「ほら、もう一息ですよ。はい。息を吸って…。苦しいのはお母さんより赤ちゃんですよ。」そう言われても痛いものは痛い。気を失ってしまいたい。強がったり、自然にこだわったりしないで、無痛分娩にすれば良かった。今更遅いけど。大声で泣きわめこうかとおもった。でも、子宮という私の内部からこの厳しい社会へ、産道という狭い道を苦しみながら通り抜けて、私と共に生きるために生まれてくる命のことを考えたら、我慢しなくちゃと思った。
 
 陣痛の波にとぎれとぎれにいろんなことが頭に浮かぶ。
独りぼっちで心細いけど、泣いたらいけない。
これからこの子と二人で生きていくんだから、今よりもっと強くならなくちゃ。
もうすぐ会えるから。
私の大切な唯一の家族に。
 
会陰部の焼けつくような痛みの後の解放と、飛び込んできた元気な産声。
私の子。
生まれた。
 
「男の子ですよ」
まだ黄色い体指がついたままの小さな温かい塊を助産師さんが私の心臓の音が聞こえる場所においてくれた。そっと抱える。小さな命の大きな声が穏やかになって、ちゅくちゅくと口を動かす。乳首を含ませると、生まれたばかりの息子は懸命に吸い付いてきた。
暖かくて、頼りない、でも強い生命力にあふれた、産まれたての命。
 
 陣痛から解放された私の耳が微かな街のざわめきを感知する。
 キリスト生誕の日、二人で過ごすために行きかう恋人達の楽しそうな様子が目に浮かぶ。小さく静かにハレルヤが聞こえてくる。
まるで息子の誕生を祝福するかのよう。
あれは私の記憶の中の音楽?
 胸が熱くなって、風景がぼんやり霞む。
嬉しくて、不安で、怖くて、自分の弱さを痛感する。
神様のプレゼントの、守るべきものを抱いて、今日だけは涙を流すことを自分に許そう、ちょっとだけ。明日からは二人で生きるために戦わなくちゃいけない。泣いてる暇なんてないから。
 
沐浴の準備が出来て赤ん坊を連れに来た看護師さんが、何も言わず優しい笑顔でタオルを渡してくれた。
白くて清潔なタオル。
このタオルみたいに、新しい命との生活を始めよう。
誰にも後ろ指を指されないようなちゃんとした生活で、私の息子を守って行こう。
涙が心にたまった澱を洗い流そうとしてるかのように止まらない。

(エピソード:聖夜・了)




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