チバユウスケが死んでしまった。。


 2023年11月26日にミュージシャン「チバユウスケ」が55歳という年齢でなくなってしまった。

 そして、そのニュースを知ったのが2023年12月5日のネットニュースで見た。

 唖然としてしまった。。KANさんが亡くなったのも仕事の昼休みのネットニュースだった。。全く同じパターンだった。。

 「チバ」さんは今年の春から「食道がん」のために活動を全て休止して治療に専念してきた。

 しかし、いつになっても「復活」という言葉が見当たらなかった。。

 Thee Mechelle Gun Elephant(ミッシェルガン エレファント)、ROSSO(ロッソ)、The Birthdayとずっとバンドを渡り歩いて来ており、ソロでもSNAKE ON THE BEACH(ソロプロジェクト)や他にも多数のバンドやユニットも組んで来た。

 2000年代から自分は「チバ」の音楽に触れる事になるのが、「東京スカパラダイスオーケストラ」で2002年に歌モノシリーズ第二弾で登場した「カナリア鳴く空」を聞いてからだった。

 それから、ミッシェルに戻って「こんなボーカリストが日本にいたのか。。」と驚いてしまった途端にミッシェルは2003年10月に解散してしまった。

 その後、2004年に元ブランキージェットシティーのベース「照井利幸」さんとROSSOを結成するも2006年のアルバム「EMISSONS」で活動休止。。

 そこから次にThe Birthdayとして活動するのだけど、この辺りはとにかく聴きまくっていた。

 が・・・実は一度もライブに行く事ができなかった。

 仕事で行けないというのと、なかなか休みが取りにくかった事、ライブが都内でほとんどが平日。。

 だから、チバさんが復活したら絶対に「The Birthday」のライブには行こうと思っていた。

 何だか自分の中ではチバさんは大丈夫だろうと勝手に思い込んでいたし、「復活」ライブのMCではいつものぶっきらぼうな喋り方で「あ、あの〜もう治ったからよぉ〜心配かけたぜ〜大丈夫だからよぉ〜」と言うだろうなぁと思っていた。

 が・・・まさかの「死去」のニュースにはショックだった。。

 2000年代から今までで自分の中でトップ3に入るくらいチバさんの音楽は聞き込んでいたし、映画館とライブ会場でしか売ってなかったシングル「PARTY PEPLE」はわざわざ映画館を何件も回って購入したこともあった。

 それだけチバユウスケの音楽が好きだった。

 そればかりか、ミッシェルが解散した直後は全てのミッシェルのCDを買いそろえたり、自分の音楽もアコギサウンドだったのが、どうしてもロックなラウドなパンクな音楽がやりたくなって「Mr.outside」と言うユニットを「一二三俊」と組んで1枚だけだったがアルバム「WEEDS」をリリースした。(配信で聞けます。Spotifyなど)

 なので、自分もチバユウスケの歌唱法を独自ではあるが、あらゆる音源を聞いてみるとだんだんと声がかれていき、嗄れていっていたのがわかった。

 なんでもチバさんは無類のビール好きで、タバコもいつも吸っていた。

 雑誌のインタビューなどでもタバコを咥えたシーンやテレビのトーク番組などでもビールを飲みながら、時には「もう1杯いいですか?」とおかわりをしながらニコニコしながらビール(主にバドワイザー)を飲んでいた。

 The Birthdayのメルマガにも登録していると動画メールが届いており、「楽屋」などでメンバーが「ライブの終わった後」や「レコーディング中」などの4人の映像が来て、最新情報をお知らせしてくれた時でもチバさんはタバコ吸いながら「どうも〜The Birthdayです。」と。そして、必ずビール飲んでいた。。

 自分も44歳までタバコを吸っていたけど、酒はあまり飲めなかった。。

 が、その後、タバコの値上げや電子タバコの普及のせいで肩身が狭く感じたのでタバコはやめてしまったが、逆に酒を飲むようになった。タバコを吸っていた時もはるかに酒の量は増えてしまったけど。。

 だけど、チバさんはタバコも酒も両方だった。生き様がロッカーだったと思う。

 タバコと酒が悪いような記事を見るが・・・それはそれぞれなのかなと思う。

 自分はタバコを吸っていた時に、毎年、行なわれる職場の人間ドックで内視鏡検査を年1回やっているが・・・それで「ピロリ菌」がいた事がわかったし、ある年は胃にポリープが見つかって病理検査に出した事があった(ガンではなかったけど)

 ピロリ菌がいた頃は何だか空腹時になると胃痛がしていたのだけど、いつものことだしと気にもしていなかったが・・・医者には「放置していたら胃ガンになるかもしれないからピロリの除菌をします。」と言われて1度目は失敗、2度目でやっと抜けきったものの・・・ピロリ菌の残骸がまだいたことによって、胃の壁がただれて赤くなっているのをモニターで見せられた事があった。

 毎年、内視鏡検査はやっているが、毎度「逆流性食道炎」「バレット食道」と言われるが、「今の所は特に問題はありませんが、最低年1回は内視鏡受けてください」と言われている。

 なわけで、50歳の自分でさえ、人間の体は50年も動いていれば劣化もするわけで、メンテナンスしながらも活動しているんだと思う。

 確かに人間ドックっていいものではないが・・・念の為にやっている。

 チバさんはやっていたのかなぁ?やっていなかったのかもしれない・・・・

 自分も歌を歌っていたので、ボーカルの声に関してはすぐにでもわかる事があります。

 例えば忌野清志郎さんの「夢助」と言うアルバムがあるが、あのボーカルはどこか苦しそうな歌声がしてならなかった。。初めて聞いた時に「あれ?キヨシローさん出しづらそうだな。」と思った矢先に「舌がん」で治療しますと言うニュースが流れた。。やっぱりそうだったんだ。。

 その後、キヨシローさんは復活して「武道館」でのライブをした音源では、以前の「キヨシローボイス」に戻ったからよかったと思っていたけど、ガンが転移して2009年の5月に亡くなってしまった。。

 チバさんもThe Birthdayのアルバムを順序立てて聞いていくと・・・2017年のアルバム「NOMAD」この辺りで、やや声の調子の変化を感じた。

 一見では分かりにくが・・・いつもよりあのしわがれがなく、声が細くなっているのがわかる。

 特にライブCD「LIVE AT XXX」2018年リリースの音源聞くとわかる。

 かっこいいのは変わらずなんだけど、出しにくい感じがやっぱりする。。そうなると、その頃あたりから症状は出ていたのかもしれない。。(勝手な推測すみません。。)

 その後はまたいつもの迫力のあるボーカルに戻っていったので、ちょっと安心したけど、コロナの時期にやっていライブの映像を見たら、また「あれ?」って
言うような声に戻ってしまってて・・・・やっぱり調子が気になってしまった。(確か、2020年に見たライブ映像だった。)

 ただ、映画「スラムダンク」の楽曲になった「LOVE ROCKETS」はむちゃくちゃカッコ良かったし、次作が楽しみだった。
 

The Birthday 「LOVE ROCKETS」LIVE

これは去年のライブ辺りだと思うのだけど、翌年に亡くなるなんて思いもしなかった。。

チバさんはそういいながらも、70歳くらいまで日本のロック生き神的存在でいて欲しかったし、グレッチのセミアコで・・・「俺は、昔、ミッシェルガンエレファントっていうバンドやってたんだけど・・・・知ってるかい?・・・そこから1曲だけ歌うから・・・それで最後だから。」とギター1本で「世界の終わり」を歌って欲しかった・・・

チバさんの亡くなったニュースから数日経過して・・・もう、チバの音楽しか聞けなくなっている。。。

あらゆるところで参加していたから、そういうのも含めてもまだまだたくさんあるが。。。ちょっと、あっちの世界に行くのは早かったじゃないのかなと思う。

あと15年は生きてて欲しかったけど、タバコとビールと多くのライブを重ねて出来上がった歌声は・・・身体をボロボロになってしまったんだろう。。。

その代わりにあの「武器」とも言えるとんがった声になり、我々の心に突き刺してくれたんだと思う。

亡くなった直後は受け止められない、信じられない・・・信じたくないと思ったけど。。

今はチバの音楽をずっと聞いている。そして、自分は「ラジオと乾杯!」という番組をやっているから、番組を通して伝えていきたいと思っている。

生きている人間の使命を果たしてから、いつか自分だって死ぬ時があるのだろうから、その役割は果たしてから死にたいと思っている。

 

「ラジオと乾杯!二次会 ミッシェルガンエレファント特集その1」
私とミッシェルガンエレファントの出会いについて。

「ラジオと乾杯!二次会 ミッシェルガンエレファント特集その2」
私とミッシェルガンエレファントの出会いについて、話が長すぎたので延長戦によるその2

「ラジオと乾杯!本編」若者に捧げるおっさんに「音楽通」と言われるミュージシャンを紹介する通称「若者企画第二弾」「ROSSO」について。

それではかなりの長文お付き合い、ありがとうございました。


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