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ただ、そこにいるだけですが

私Maryと申します、はじめまして。
小さなお嬢ちゃまのお遊び用に、お母様が20年以上前に作った
綿入りのお人形、それが私です。
ホビーラホビーレさんの、手作り人形用キットで、
少し、いえ、かなり不器用なお母様でもなんとか出来上がりました。

ちょっと色褪せていますが、お洋服もエプロンも もちろん手作りです。
ドケチ・・いや、何でも大切にするお嬢ちゃまですので、シミもつけず、
汚れも破れもないまま、私Maryは無事役目を終え、20年以上を
物置の中で過ごし、なぜか久方ぶりに
今日こうして日の目を見た、ところでございます。
長かったような、あっという間だったような、
ただ夢を見ていたような、今もみているような そんな思いでおります。

前回、旅の話をしました。
3月にはいり、身を置く環境が変わる方も多い事でしょう。
無計画な投稿ですが、成り行きで旅の続編を。
おさんぽが考える 心の旅について
お人形Maryと母、それぞれの旅を考えてみたい。

・だんだんと変わっていく母;母と私の旅
・無心に遊ぶ。それは忘れてしまうけど、いっときの旅。

おさんぽも、以前よりは、あるべき姿とダメな自分とに折り合いをつけられるようになりました。
どちらか、ではなくどちらも自分だし、
行きつ戻りつ、曖昧でいいと。漂っている、旅の途中なんだから。
書くことで、自分の心の道行がすっと明らかになるようで
自分のために、どうでもいい話を書かせてもらっています、ご容赦ください。

*父母について

きちんと診断を受けたわけではないが、おそらく認知症。
母は、考えることがほぼできない。近時記憶が保持されないので
「わからない」不安の海に漂いながら、刹那を生きている。
でも、
歩けなくなった超高齢の父を、それでも何とか支えようとしている。

父は、今でいうDV夫だった。その父に
長年従属し、出ていくことも意見する事さえしなかった母。
殴られることが怖かったし、暴言を聞きたくなくて、諦めて 考えることすらしなくなった、できなかったのだと思う。
おさんぽ;「入院中に職員に現金を渡すなんて、ダメなんだよ」
母;「私もそう思うけど、お父さんが〇〇しろ、と言うから・・」

おさんぽさん、あなた娘ですよね、知っててその状況を放置するのはダメでしょう・・
そうです、その通りです。
悲しい言い訳ですが、
父は所謂”えらいさん"で、勲章なんかも頂いている。
過去に自信があり、自分は誰よりも尊重されるべきだと考えている、
男尊女卑も甚だしい。どこかで散々叩かれた『老害』さんみたく。

私なんか、ずっとクソみたいな扱いで、何を言っても
耳を貸してはくれなかった。
「普通は●〇だ、こうしたほうがいいよ。」と話しても、
「偉そうな口をきくな、金が目当てか?黙ってろ。」

子供のときは、
かわいいから、心配だから、思い知らせるため(教育として)
殴られても、何を言われても我慢していた。
その頃は、母も同調していた・・私にはそう見えていました。
まあ、そういう人も少なくなかったし、体罰はそこらに普通にあった。
そういう時代 ではありました。

私も兄弟も、進学や結婚で家を離れたが、母だけは、父と暮らし続けた。
30年近く、私は年に4回くらい、兄弟も盆暮れには帰省していたが、
コロナ禍以降、行けなくなった。
母のことを案じながらも、私には、父から遠ざかる口実にもなった。
電話で会話はできていたが、2年半で母の物忘れは劇的に進んだ。

不安もあったに違いない。傍にいたら・・何かできたのではないか、
と何度も思った。
でもそれは、
自ら望んで旅に出たと、言えるのかもしれない。
心自由に、嫌な事も 辛さも忘れて 忘却の彼方に。

ボーっとすることがある、と自分で言ってましたが、
全く辛そうではなく、適当に話を合わせて へんてこな返事をするだけ。
「あー、そうだった。忘れてたわ。」

昨年の夏、また父が入院したというので訪ねたときには、もう、
冷蔵庫の中は、黄色から灰色になった白菜やダイコンが一杯で
同じ冷凍食品がぎゅうぎゅうに詰め込まれ、鍋やグリルは、
調理を仕掛けたままほったらかされ、腐って異臭を放ちコバエがたかっていた。随分前から、少しずつ症状が進んでいていたのだと思う。
父は、自分のことで精いっぱいで、ゴミ捨てや冷蔵庫の中身について
知らぬふり。「誰にも迷惑はかけてない。」と。

かなり疲れるやり取りを何年もやって、さんざやって
昨年の母の入院をきっかけに、
お医者さんや介護支援員さんの勧めもあって、
二人の要介護者は、今年に入って やっとこさ高齢者住宅に入居しました。

母は、お陰様で、適当にやっています。
父は、入居後すぐにナースコールして、大好きな大学病院に入院しすぐ退院しました!しかたないねー、元々心臓悪いからねー
本人は不満そうだったが、直ぐ退院。センセ、ありがとうございました。寝たきりにならずに済んだけど、その話は聞こうとはしないので、無視で正解。
振り回された皆様、申し訳ありません。大変お世話になりました。

コロナ前、父は異常が見つかったと言っては、
年に何度も入院し、母はそのたびに、病室へ通って 世話をしていた。
昨年秋、母は、私が知る限り、本当に初めて入院しましたが、
父は、何か感じたでしょうか?いえ、自分のごはんはどうなるんだ、と
自分の心配をしていた・・ように私には見えたんだな・・そういうもんですかね?
医療も医療ですよね。それはホントに思います。
扶桑社新書 458 和田秀樹著『90歳の幸福論』  にもありますが、
治療の専門分化が過剰。どう見ても。何科から何科~延々と続く。
父が受診無限ループを回っている、その間 医者も、地域連携室も
母がどんな状況にあるか、気にしてくれた人なんていなかったのだと思います。かく言う私も 同じですが。

*Maryと母
母をなんとかしよう、と焦る段階は過ぎて、どうか穏やかな気持ちでいてほしい、と願う。何かあっても、なんとかなる、くらいには思っている。
いずれ私が誰だかわからなくなってしまうのかと思うと、辛いけれど。

人間と人形は、それこそ似ている、似ているから怖い。
ものを言わないから、怖いのか。心を見透かされているようで不気味なのか。。。因みに、私はMaryを怖いと思ったことは無い。自分で作ったからなんだろうか。綿入りのお人形・・としか思わない。

目の前の時間だけを生きている母は、子どものようでもある。
今はまだ、母だ。まぎれもなく。
母としての言葉が、口からちゃんと発せられる。
母からすれば、何も心配いらないし、ほっといてくれよ、なのだ。
一瞬で忘れるが、難儀はしていない、今を楽しむこともできる。
中身はいっぱいあるが、建付けが悪くてうまく開かないタンスみたいに、
もう、捨てちゃっていいものも入っている、長年愛用のタンス。
タンスに上手くしまえないし、どこに何があるかわからなくて、
自分の中身が引き出せない、わからない、それだけ。
中身はちゃんとあるのだ。しかも結構重い。
人形ではない。空っぽではない。
何もできなくなったとしても
それが病気であれ老化であれ、死ぬまでずっと母は母なんだと
心に刻み付けておこうと思う。

*遊ぶという旅

お人形が主人公のお話は、古今東西に沢山あります。
ディズニーピクサーの映画「トイストーリー」は、シリーズ化され
観る者の心を揺さぶりました。
人形の目線で、人形の気持ちで、人間たちを映すと、
こんなに勝手な、一方的受難悲話になるのか…身に覚えがあるので
グサグサくる。
人形を前にしたときの、そら恐ろしい感じとかわいい、ってふにゃっとなる感じは、皆が持っているのだろう。

私が住む町には、人形供養を行うお寺がある。
日本各地にあるのだろうか?
建物いっぱいに納められた人形たちは、なぜ供養されるのか?
人形は人形だ、遊ぶための玩具じゃないか、そんなタイソな・・
いやいや、
共に過ごした日々の想い出が大切で、捨てることができない、とか
故人の思い入れが深くて、とか
なんかが「あり」そうで、「こもって」いそうで怖くて、とか
あるんじゃないだろうか。うーむ。わかる気がする。
じゃあ、人形なんか買わなきゃいいじゃん、ですよね?
どうなんでしょう・・私おさんぽは、かなりのリカちゃんユーザーでした。
母が買ってくれたリカちゃんに、自分を託して、リカちゃんとして
リカちゃんの世界で、亘君としゃべっていたように思う。
無心になれた時間。
リカちゃん無しでは、こども時代を乗り切れなかったかもしれない。
リカちゃんと自分を行ったり来たり・・これも旅だったのかな、と思う。
心を遊ばせる旅。そこに居ながら、自由に、物語をつくる旅。

人形は静かだ。
そして歳を取らない。汚れはするけど、あの頃のままでいてくれる。
Maryは、私を見て「あらま、すっかり老けたね」とは言わない。
ただそこにいるだけ、だけど
それでいい。ありがとう。これからも、そのままで。
もし、また機会があれば、一緒に旅をしましょ。

おさんぽでした。

お読みいただきありがとうございました。