まめ

夫婦の折り合い体験記を中心に。 認知、神経、脳、心理… 見えない違いの大きい人間同士…

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夫婦の折り合い体験記を中心に。 認知、神経、脳、心理… 見えない違いの大きい人間同士が共に生活をして気付いたり、分かったことを書いてます。

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  • 思考のアプデ

    自分の中の当たり前を疑って気付いたこと、思考のアップデートを記録しています。

  • ASD×定型夫婦

    ASD夫との折り合い体験記事。

  • まめ の にわ。

    まめの絵、写真、言葉、BOXアート…日々の創作物をひたすらアップロードしていきます。

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2人の間の壁を知る。

ASDの正体を掴みたい一心  私たちは出会ってから10年以上経つが、結婚してからは、まだ3年。でも同居してすぐ、夫との意思疎通がどうも上手くいかず、頭が混乱し始めた。ネット上を漁ってみたところ、夫はASD(自閉症スペクトラム)受動型の特性にほぼ当てはまった。でも、”ASDと結婚したらカサンドラ症候群になる”、”頑張ったけど別れるしかない”…等、お先真っ暗案件しか見当たらない。私の探していた情報は『ASD×定型でも上手くやっていけています!』『仲良く暮らしています!』という希

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    • 思考のアップデートのきっかけは、ASD。

       「人は誰もが自分を中心に、自分の枠組みで世界を解釈し、体験している」  そんな当たり前の事を実感として、私が気付けたのは、恥ずかしながら40数年生きてきて、つい最近のこと。  例えば、自分がとても視力が良かった頃は、多感な若い感性と相まって、他人の顔の毛穴までよく見えてしまい、他人に顔を見られた時をとても気にしていたけれど、歳を取って乱視が酷くなってからは、視界が大抵ボヤボヤなので、細かいところは見えないから、自分が見られた時もそれほど気にならなくなったりした。つまり、

      • 感覚が違う者同士の「共有」

         「味覚」と「嗅覚」  新婚当初、夫と食事をしてる時に、「この炊き込みご飯いい香りで美味しい〜」とか、「豆苗って味は癖がないけど匂いが独特だよね」と私が話しかけても「味は美味しいよ」という返事しかなく、度々違和感があって、特に山椒だとか大葉とかの香の物でも、食事中に夫の口から「香り」についての感想が出てくる事がなかったんですね。  「これすごくいい香りだけど、感じてる?」  「んー、言われてみれば分かる」 と、お皿をくんくん…。あれ?なんかおかしい。  「私は食べ物の匂

        • わたしの日常は、あなたの非日常。

           夫(ASD傾向)とのコミュニケーションに齟齬を感じてから、ASDとは何か?を追ってきた私ですが、お互いの欲求の根本で、快/不快に分かれる大きな違いがあって、そこには『ペルソナ』の有/無が深く関係しているのでは?という仮説です。 コミュニケーションに対する夫の不快と、私の快  Twitterの相互さんで、ASD当事者として発信してらっしゃるHOTASさんに、先日、こんな疑問を投げかけられました。  この質問、とっても難しかったんです。  何故なら、自分と考え方の違う他

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        記事

          情動の共有は、ボーナスステージ。

           はじめに、私の考える「感情」と「情動」の定義について、今時点の考察を書いておきます。  記事の更新はご無沙汰していましたが、去年の春以降、実は地味に一番辛かったかも知れません。  と言うのも、ASD特性や愛着の知識を必要なだけ学び、やれるだけの事はやり尽くした感がありまして、それでも尚、夫婦間の意思疎通が上手くいかない…という現象に、割と絶望感を味わい、私は少し抑鬱状態になってしまいました。  よく聞く、ASDとのパートナーシップを続けるなら、大きく分けて二つ、『ASD

          情動の共有は、ボーナスステージ。

          揉めた時の私へ。とりあえず、これ読んで!

           さて、私たち夫婦は同居以来、数多の時間を揉めごとや話し合いに費やしてきました。(結婚生活は3年ちょっとですが、交際期間も含めると12年ほど)とにかく、揉めると、私の言葉に感情がよりたくさん乗っかり(嘆き、悲しみ、苛立ち、不安など…)それを夫が処理しきれず、満足いく答えが返ってこないモヤモヤで、更に私が言葉を重ねて、夫がオーバーフローしてお互い苦しんでしまう…なんてのも、ありましたありました。  これは私も心理的に虚しかったり張り合いが感じられず辛くて仕方ないし、夫には私視

          揉めた時の私へ。とりあえず、これ読んで!

          星になる。

          水の中から見上げる夜空に 星と泡を散りばめて 『愛されるため 生まれた子供たちが 愛するため生きてる 愛することに つかれた私たちが 愛されたいと願う』 頭じゃ起きたことがまだ分からないまま ヒトツキ あなたを支えた歌 口ずさんでは 想っていた でも本当はずっとずっと祈っていた 何もできない…だなんて わたしが無力を感じるまでもなく あなたはきっとやりきった それがどれだけ「早い」と人に言われようと きっと いや、しかし わたしは色々と勝手だったから 謝りたくなって

          星になる。

          「共感力」て何を指してるの?

           ASD特性の話になると必ず出てくるワードのうちのひとつに「共感力」があると思いますが、共感力自体は、定型とかASDとか関係ないと私は思うんです。  定型でも、共感力の高い人、低い人いますし、ASD特性があってもそこは同じだと思うのですよ。  因みに私の夫は、共感力がすごく高い人なんですが、新婚当初、私はそれにまったく気付けませんでした。それどころか、人の気持ちにすごく鈍感な人だと思っていたくらいです。じゃあ、なぜそんなに勘違いしてしまうんでしょうか?  「共感力の高い人

          「共感力」て何を指してるの?

          『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜後編〜

           さて、前編からの続き。『二人の器』が満たされないと、私は満たされていたはずの自分のウツワまで干上がる感覚を味わってしまう。つまり、いくらそれぞれの気持ちが満たされていたとしても、二人の感情の共有次第で、私のご機嫌が左右されてしまうのが最大の問題だという事になる。それならば、何をどうしたら良いのだろう?  私と同じように「他人とやり取りをして元気をもらう」と感じる他の人にも詳しく聞きたいところだが、この『二人の器』は、どこにあるのだろう?  そして、元気をもらうのは相手から

          『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜後編〜

          『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜前編〜

          「二人の器」の存在 私たち夫婦がかなり苦戦するのは、やはり「感情面(=気持ち)」のやり取りだ。目に見えない気持ちを共有する事が、なかなか難しい。  気持ちを"ウツワ"に喩えると、私には私のウツワがあり、夫には夫のウツワがあり、夫はそれぞれのウツワが満たされてご機嫌な状態ならば満足で、それ以上何を望むの?といった具合だ。  しかし私には『二人の器』という夫と私、二人の気持ちを共同で注ぐ"気持ちの共用スペース"のようなものが感覚的に存在していて、パートナーと共に満たす作業こそ、自

          『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜前編〜

          うちの会話の工夫。→集中しすぎる頭のコントロール

           ASDの大きな特性で、あまり一般的に知られてないと私が感じるのは、外から入ってくる、問題や謎をキャッチすると原因究明や解決のために、全力で脳が「勝手に」回転し始めてしまい、他人とのコミュニケーションを邪魔してしまうということ。 うちの場合だと、私が「ちょっと聞いてよ」という軽いノリで夫にその日思った事など話すと、夫は妻の私が何故そう思ったのかをすぐにでも究明しようとしてしまう。 これは男性によくありがちな男性脳的な思考だけど、夫の場合は、それを全くコントロールできない。

          うちの会話の工夫。→集中しすぎる頭のコントロール

          誰かの定めた型など手放して、自分の色を思い出す。

          「定型」とは、 常識からはみ出た部分をトリミングして定型の型に上手くハマっている状態の事であり、 「定型」と言う人たちは実在せずに 「みんな同じ」に切り抜くための「型紙」 ーーつまり人ではなく、平均値の事なのではないか。 ASDと引き合いに出す定型というのは 「コミュニケーションが問題なく取れる人」 という型で ADHDと引き合いに出す定型は 「社会生活が問題なく送れる人」 という型になるだろう。 世の言う「定型」とは、社会生活に支障のない人たち、はみ出た部分(個性)を押

          誰かの定めた型など手放して、自分の色を思い出す。

          気持ちを共有する=心の現状把握

           夫婦の会話で違和感がどうしても消えないのが、私が話したあとの夫のリアクションの無さで、「聞いてもらえた」という手応えを私が得られないところだ。夫の頭の宇宙にシュ!っと吸い込まれて、一体何を理解し、聞いてくれたのか、まったく分からない。 それって一体何なのか?と言うと「二人で共通認識した」という、心の目と目が合うような感覚を非ASDの私の頭は、どうしても求めてしまうという事だと思う。 その感覚は情動的共感やら認知的共感やらと難しい表現をするほどの事ではなく、単純に事実面の解

          気持ちを共有する=心の現状把握

          星と星のあいだの呼吸。

          夫には内面の記憶がない。 (正確には、自ら思い出せない) 視覚優位だから頭の中は画像ライブラリーになっていてタイトルがついていない。名無しの宇宙。 私の記憶には言語化したタイトルが何となくついていて、関連した言葉や時間軸、音や映像に触発されて内面の記憶=その時の気持ちも思い出される。だから、少なくとも私の感覚で考えていたら、いつまでたっても夫とは夫婦の思い出話は共有できそうにない。 自分の親兄弟、友人、知人、色んな人と話して来て、記憶の共有が難しいと感じた経験が夫以外とはな

          星と星のあいだの呼吸。

          今。

          わたしが笑う 空が高い 人の心もお天気も 世間のムードも星の数さえ ひと時も同じではいられない 何を信じますか? 「今」を信じます たくさんの情報が頭を通り抜け 風向きを変えてゆく 根底から覆され 足元が崩れ落ちてしまいそうになるたび 過去にすがりつき 明日には何かになろうとしてしまう 他の何にもなれない ならなくていい わたしは今ここにいて 今にしか わたしはいない。 アッサンブラージュ / 2020.10.30

          "あ" "い"

          錆び付いた天窓さえあけてしまえば キュルキュルと軋む音をたてながら 無数の蝶が 頭のてっぺんから飛び立っていく もう産まれた時から 羽化していたのだと云う ずっとそこに居たのだ 魔法でもまやかしでもなく "物理的(たしか)に"存在するのは 今日の陽射しと その眼差し 記憶も夢もその掌(たなごころ) もう産まれた時から 持っていたのだと云う この光る砂の粒を 私たちは 山から噛み砕いて "あ""い"などと 確かめ 呼び合う あの日の陽射し 私の

          "あ" "い"