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竜と霏霏雪

火の粉のように降り注いでは積もる雪を見ていると、どうしても故郷を思い出してしまうのは、子どもも大人も人間も人間以外も同じなのだろう。ある程度の知能がある生き物には郷愁という感情を内包しているし、それを背伸びしてノスタルジアとかホームシックと呼んだりするのも知的生命体の悪いところだ。
それはドラゴンと呼ばれる種族でも同じことで、えらそうに全ての生物の長だといわんばかりに踏ん反り返るだけの、ただ規格外にでかくて、常識外に強くて、埒外にやばいだけの生き物も、残念ながら例外ではないのだ。
「今日は冷えそうだな……嫌だな、めんどくさい……」
自分自身がいつの間にか老いてきたのか、それとも人間に似た姿をあえて取っているせいか、年々寒さに弱くなってきている気がする。決して気のせいではない。かつては明け方の寒さに震えることは無かったし、白い息を吹きかけて指先を温める必要すら無かった。わざわざ部屋を暖めるための暖炉を構える意味など無かったし、焚き木を集めて燃やす労力なんて考えすらしなかった。
暖期の間に集めておいた枯れ木や薪で、狭い家の一室を占領されることもなければ、夜明けの儚い光の中で火の粉と雪を交互に見比べる習慣を持つこともなかったのだ。

「……おはよう、今日も寒いねー」
「だな。やっぱり少し南のほうに引っ越すか? ここよりは寒さはマシなはずだが」
「嫌だよ、生き物が多い場所なんて」

同じ角つきの同居人はそう言って、寝癖のついた髪を手櫛で解しながら、これまで何度も繰り返してきた意思確認を終える。
自分たちは他の生物、特に人間種族の多い場所を避けて暮らしている。中にはあえて人間や亜人種族の社会の中で生きるような変人もいるのだろうが、自分たちにはそれは御免だ。ドラゴンであることを隠すのも、ドラゴンであることを知られるのも、どちらにせよ面倒くさい。
超常の存在とされる生き物は、その扱いも人間たちの手には余る。兵器としての軍事利用も、神の代わりの宗教利用も、もちろん食糧や資源としての利用などもっての外だ。
自分たちはもう疲れた、そう、疲れ過ぎたのだ。なににも縛られず、なににも煩わされず、旅人も滅多に現れないような極北の地で、ただただ静かに朽ち果てたいのだ。

「ねえ、スープでも飲まない?」
「いいな。確か棚にトウモロコシと芋があったから、それを使ってしまおう」
「朝から質素だねえ」
だったら俺が作ろうか、と言葉を投げると、冗談じゃない、と形を変えて返ってくる。
このまま老いさらばえていく者など、質素なくらいが丁度いいのだ。本来は馬鹿みたいに、文字通り馬や鹿などを軽々と何頭も平らげる生き物だが、自分たちはもうそれすら飽きている。
このまま満腹になることなく、ドラゴンであったことを捨てたいのだ。

だから塩味の質素なスープくらいで良いのだ。


かつてドラゴンと呼ばれる種族がいた。
いた、というのは正確ではない。今もドラゴンはいる、ただし、本来の巨大な動く領土ともいうべき姿をしていない。
小型のものでさえゾウや鯨よりも巨大な、王ともなると島や山脈に等しい大きさにもなるドラゴン種族は、かつて世界中で大きな争いを繰り広げた。
それぞれの種族の長である竜王を旗頭に、大地は地上の覇者たる地竜が、山岳地帯は誰よりも高く速く舞う飛竜が、海は水底よりも深い場所に棲まう水竜が、地底は破壊の象徴ともいえる炎を吐く火竜が支配し、それを魔術の行使者である魔竜が掻き乱し、知恵と社会性を持った獣こと氷竜が最悪なものへと変貌させた。
というと、なんだか聞こえのいい壮大な戦争に聞こえるが、現実は飢えた種族間による喰らい合いだ。所詮は醜い生存競争でしかないが、それでも各種族には種としての矜持があった。
しかし氷竜だけは種族として議会制の統治体制を選んだが故に、大して食べもしないくせに食糧庫を牛耳る長老たちが、飢える若い竜たちの事情など考えもせずに相手の飯床を焼き払うような消耗戦を仕掛けさせ、おまけに若い竜を死してなお相手を殺すための毒薬へと変化させた。

そんな在り方に嫌気が差した自分たちは、他のドラゴン種族と手を組み、奴らを長老たちの元へと手引きし、氷竜という種族を滅ぼすことに成功したのだ。

やがて魔竜の王であるひとりの小娘が、ほとんどのドラゴンを食い尽くして戦争は終わった。
純粋な氷竜で唯一の生き残りである自分は、これまで長老たちの命令で散々同族の身体をいじくり回すことで手に入れた知識と技術を使って、ドラゴン本来の姿と力を石や術具に閉じ込めて、意思と思考だけを残した本体を人間に似せた体に移す方法を確立させた。永遠に終わることのないと思われていた食糧問題は、皮肉にも喰わせない為に生まれた技術が解決してくれた。

そして争う理由のなくなったドラゴンたちは、自らの力と姿を小さな荷物の中に隠して、人間の世界で生きることを決めた。


「……うまっ」
「うん。おいしいね」

だから自分たちもこうして、朝から質素なスープで腹を満たしているのだ。
他のドラゴンたちが何処で何をしているかなど知りもしないし興味もないが、自分たちはこれくらいで十分なのだ。本来ならば飢えて死んでしまってもいいような醜悪な身だが、自分の開発した技術が完璧だと自負する自信もない。過度に飢えることで竜の姿を取り戻してしまったら、そう考えると他の生き物になるべく迷惑を掛けないように、せめて貧しい食事でもしておかねばならないのだ。
この大地を食い尽くしてしまわないためにも。


o ゚ o  ゚ 。 ゚ o 。


朽ち果てたいといえど、飢えるわけにもいかない。かといって、手っ取り早く死んでしまうことも出来ない。
思うにドラゴンという種族は、何処までも儘ならない種族だ。
強すぎる体は同種以外に負けることを許さず、ドラゴンに喰われるか寿命が尽きるまでは死ぬこともなく、仮に人を模して作った仮初めの肉体の喉笛をナイフや鉈で掻っ切ったとしても、一時的に心臓は止まるかもしれないが半刻もあれば元通りに蘇る。
寿命はどれだけあるのかわからない。かつてドラゴンは弱肉強食の世界にいた。王であろうと老い衰えれば、次代の王に敗れ食われてしまった。
だから天寿を全うした個体はおらず、自分の知る限り最も老いた者は先代の氷竜王と地竜王で、おおよそ五千年以上を生きていた。
つまりあと三千年は生きなければならないわけだ、少なくとも自分は。
同居人に至っては更に五百年は長い、ただし改造の影響が無ければの話ではあるが。

「豆と芋を、それと塩も貰おう」
「はいよ。久しぶりに顔を見たけど、あんた顔が変わらないねえ」
「そういう種族でね、昔からよく言われるよ」

寿命が長いっていうのは、ただそれだけで面倒だ。
人間の寿命はせいぜい百年、亜人種族はもう少し長いが、どれだけ長命な種族でも千年かそこら、おそらく二千年を超える個体は存在しない。
だから長くとも数百年の滞在の後には、居場所を移さなければならない。家を越す程度なら手間でもないが、居住地を変えるのは面倒だ。人の少ない極北の地で暮らせばその必要も無いかと思っていたが、人が少ないということは食糧の調達先が限られる。年に数度の買い物で、すっかり顔を覚えられてしまったのだ。
「奥さんにもよろしくね」
顔見知り程度の商人の、一体何をよろしく伝えろというのか。人間という生き物は未だによくわからない、そして未だに自分が他種族の暮らしに馴染めない。
それでも無表情な顔に愛想のひとつも貼りつけて、それらしい振る舞いをして生きねばらならないのだ。正直不快な煩わしさを伴う行為だが、ドラゴン種族と知られてしまうよりはずっと面倒が少ない。
それ故に同居人を妻と間違われても否定はしない。

同居人である女は元々は氷竜の若い幼体だったが、幼体の頃の方が因子が定着しやすいという理由で性質的に相反する火竜と、それを中和するために地竜と水竜の細胞と特性を植えつけられた。植えつけられたという言葉は正しくない、自分がそう改造したのだ。
改造はそれなりに成功して、多くのドラゴンを葬ることが出来たが、その代償は相応に大きく、本来そこにいるべきではない竜の性質が拒絶反応となって全身を蝕み続けた。
継続して毒を煽り続けるような負傷は力を術具に封じることで止まったものの、精神にも影響を与えていたのか、人に似せた体にまで大きな傷跡を残した。
実験体であった女と同居を続けている理由は、罪悪感と後悔も少なからずあるが、研究者としての欲が大部分を占める。自分の作ったものがどんな最期を迎えるのか、それを直にこの目で確かめたいのだ。
仮に自分の寿命が尽きてしまったら、それはそれで仕方ない程度に考えてはいるが。

「どうせなら静かにひとつところで暮らしたいな。外洋に出られるなら、どこか無人の大陸にでも籠るんだが……魔竜王め、余計なことをしてくれたものだ」

雪を踏む音だけが鳴る白銀の中で、遥か遠くになってしまった故郷を思い返す。
食糧問題を解決して種族間の戦争を終えたドラゴンたちは、それぞれに好き勝手に生きるために世界中に散らばった。人の世界で静かに生きることを選ぶ者もいれば、大陸そのものを箱庭のように愛でることを選んだ者もいる。互いの領土、互いの領民同士が干渉し合わないように、強いてはドラゴン同士の争いに発展しないように、唯一絶滅を免れた中型種の海竜に制海権の全てを与えることで、世界中の鳥も含めた生物たちの一切の外洋航海を禁じた。
おかげでこの大陸に一生縛られたままだ。氷竜の力を使わない限り、この脆弱な身では海竜風情にも勝ち目はない。それにむざむざ食われて、知性のない猛獣共に妙な進化を遂げられてもそれはそれで困る。
ドラゴンというものは、つくづく厄介な生き物だ。

「いかんな、寒いと思考が陰鬱になる」

吐き出された白い息が、瞬く間に冷たい氷の粒に変わっていく。
もう少し温かい場所を選べばよかった、そう悔やんでも、おそらくそれはそれで汗を垂らしながら似たような後悔を口にしていたのだろう。
この生き死にさえ意のままにならない竜の身では、喜びと悔いの天秤は均衡を保てない。


。  ゚  。 ゚ . ゜。 o 。


静かな雪が風を帯びて吹雪となると、小さな家がガラクタ楽器のようにギシギシと音を奏でる。
小さく冷たい演奏会が戸を叩くような音に変わる頃には、外は白銀一色となり、朝なのか夜なのかもわからないくらいに世界は白く染まる。
そうなれば暖炉に薪をくべて火の勢いを強め、少し離れた場所で毛布に包まって、ただただ風が収まってくれるのを祈るように待つ。祈りには香草を抽出したお茶を添えて、胃袋から体を温めながら。
人間は理解できないままだが、それでも人間の真似は少し上手くなった。今では真似ではなく、本当にそんな祈りを捧げているのだから、長生きもしてみる価値があるのかもしれない。
といっても長すぎる寿命ばかりは、人間や亜人種族の真似をすることは出来ないが。

「やぁ! 五十年ぶりくらい!?」

ようやく十分に暖まってきた部屋に寒気が吹き込み、この雪の中、正気を疑うような恰好の、具体的には七分丈の薄手の上着に半袖のシャツと七分丈のパンツ姿の小娘が飛び込んできた。
人間と比べても小柄な背丈のそれは、頭に槍の穂先みたいな形状の一対の角を生やし、自分たちと同じように金色の瞳で瞳孔を爬虫類のように縦筋に伸ばし、紫がかった暗めの髪を肩に掛けて、細い腕を伸ばして頭の上の雪を払っている。
「……千飛んで二十年ぶりだが、なにしに来た?」
「うわっ、魔竜王……なんの用?」
魔竜王、ラティフォリア・ドラグニール。かつてドラゴン種族の頂点に立った竜の王で、名前は偽名のような自称のようなものだ。まずドラゴン種族の言語は他種族に聞き取れない上に発音も出来ないのは語るまでもないが、ドラゴン同士でも互いに呼べないように個体独自の言語を用いる。名前さえ判れば、命までは奪えなくとも重篤なダメージを与える魔術など、幾らでも何処からでも行使出来るからだ。特に魔竜はその名の通り、ドラゴン種族の中でも頭抜けて魔術に秀でている。奴らが繁殖以外で群れを成すことのない個人主義者なのも、別種に囲まれるよりも同族に名前や居場所を知られる方が危険だという判断からだ。
そういう意味では、ドラグニールは異端だった。
他のドラゴン種族と手を組み、威風堂々と宣戦布告をし、各種族の王たちを力と野心を以って次々と追い落とし、かといってそれに成り代わることなくあっさりと戦いを捨てた。
正直に言うと一番嫌いな類の生き物だ。

「なにしにって、友人の顔を見に来たんだけど?」
「友人? そいつは初耳だな、俺たちはお前とお友達になった覚えはないが?」
「そうだよ、魔竜王。私はお前に食いちぎられた脇腹の恨みを忘れてないからな」
そう、こいつはかつて味方であったが、その前は敵でもあった。当然戦ったこともある、結果は自分たちの惨敗だったが。所詮はラボに籠るのが得意な研究者肌の青二才の文官と、突貫工事で戦闘用に改造された捨て駒まがいの尖兵。より若くて強い個体には手も足も出なかったわけだ。
「そうだっけ?」
本当に覚えていないのか、それとも意に介していないのか、ドラグニールは同居人の服の裾をつまんで、薄皮を剥がすように捲り上げる。
火傷跡のような拒絶反応の名残を帯びた同居人の肌を見て、脇腹あるじゃん嘘つき、などと口にしながら、今度は許可もなく棚や引き出しを開け始めた。
「ねえ、肉とかないの? お腹空いたんだけど」
重々承知していたことだが、相変わらずなんという身勝手な生き物だ。

「俺たちは質素に暮らしてるんだ。肉が食いたかったら、熊かセイウチでも捕まえて勝手に食ってろ」
「じゃあ、セイウチ狩りにいこう!」
なんで自分たちが、と疑問に思っても仕方ない。ドラゴンの掟はシンプルな弱肉強食、そしてこいつは徹底した個人主義者、いつだってこちらの都合など関係なく動く奴なのだ。


「おい、ドラグニール。人間の世界は楽しいか?」
「楽しいよ。お前らは楽しくないの?」
「煩わしいことばかりだ。今ほど煩わしい時間でも無いがな」
「私は楽しいよ。少なくともドラゴンと戦わされてた時よりはずっと静かで平和だ」


毛皮や鳥の羽を詰め込んだ外套を着込むと、目の前の薄着の小娘が余計に馬鹿みたいに見えるが、本来ドラゴンは暑さにも寒さにも強い。種族にもよるがドラゴン種族は、基本的に極寒の氷河の中でも黒煙を巻き上げる業火の中でも生息できる。それは人に似た姿をしていても同じで、本来はあちらが正しい姿なのだが、人間の真似が上手くなった今ではやはり異常で馬鹿みたいなものに見えてしまう。
「着込み過ぎじゃない? 氷竜ともあろうものがさあ?」
「人間の世界で生きるつもりなら、人間の真似はしておくべきだぞ」
「いや、私のことドラゴンだってみんな知ってるけど」
なにを考えているのか、この個人主義者は。
聞けばこの小娘、オルム・ドラカという亜人種族の国で王として祀り上げられながら、何故か酒場や飯屋で働いたりしているらしい。かつてドラゴン種族の頂点、言い換えればすべての生物の頂点に君臨した王とは思えない堕落ぶりだが、堕落という意味では他の竜をどうこう言える立場ではない。自分も唾棄すべき堕落者のひとりだ。
「お前らも来たら? 人付き合いが嫌なら、そんなのしなくてもいい環境を用意してあげるけど」
「いらん。お前と関わる方がずっと面倒だ」
「あ、セイウチいた! ヌフェ・コニベー・ラテツァゼ・ノーゾ、ビェラポ・ネガフルレ・グニ・ルネメー」

小娘の掌から黒い霧のようなものが噴き出し、眼前のセイウチの体を四方八方から包むように拘束し、瞬く間に身動き出来ないように何重にも拘束する。
魔竜の魔術は想像力の具象化だ、思考の中で思い描いた形をそのままに実現させる。天変地異の如き破壊をもたらすことも出来るし、今みたいに限りなく非殺傷性の拘束まで用途も効果も幅広い。それこそ目に見えない呪術のような傷つけ方まで。
ちなみに呪文のように発した言葉に意味はない。単に想像力を補うために適当な言葉を並べた方が具象化し易く、特に手加減が必要な繊細な時ほどそういう補助がいるのだそうだ。

「なんだぁー! なんだぁ、これはぁー!」

セイウチが体を震わすことも出来ない状況で、まるで人間のような言葉を発する。
生物の中には人間の言葉を発することで、獲物を誘き寄せたり惑わせる種類の生き物もいる。セイウチがそんな性質を持っているとは初耳だが、もしかしたらセイウチの姿も擬態したものかもしれない。
だとしたら、どのみち頭が悪いとしか言いようがないが。
「お前らの仕業か、これはぁー!」
セイウチの傍に歩み寄ると、そいつはセイウチでもセイウチに擬態した生物でもなく、単にセイウチの毛皮を纏っただけの人間の男だった。
「そういえば、この辺りの人間種族の戦士は、獣の皮を纏う習慣があったな。人と会わなさ過ぎて忘れてた」
「前にも会ったよね、その時は熊の毛皮を被った坊やだったけど」
とはいえ、人間もドラゴンからすれば食糧のひとつでしかない。自分たちは食わないが、昔の食糧難時代のドラゴンは人間種族も亜人種族も猿も、例外なく食い荒らした時期がある。
人間の世界で生きていながら、その人間を食糧とするのはどうかと思うが、人間の中には同族を食らう習慣のある部族もいるという。
セイウチ男をどうするかは捕まえた狩人次第だ。横からとやかく言うつもりも義理も自分たちには無い。

「人間って面白いね」

ドラゴンの小娘はなにがツボに嵌ったのか大声で笑い声を上げて、人間みたいに手首から先をひらひらと動かしながら、食べないという意思を示したのだった。


o ° o 。 o 。 °  。 o


「……そういえばそんなこともあったな」
「……あったねー」

窓の外で降り続ける雪を見ながら、今日も暖炉に薪を焚べて部屋全体を暖め、質素な豆のスープを啜って胃袋から体中を温める。
百年ほど前にオルム・ドラカ郊外に建てた一軒家は、あの頃と変わらない簡素で質素なものだが、この数百年の間で人間や亜人種族の暮らしは随分と変わった。
狩りの道具は弓矢から銃に変わり、武器は鉄から鋼に変わり、食器は陶器から銀へと変わった。もちろん弓矢も鉄剣も陶器も現役で使われているが、人間たち、特に亜人種族の文明の発展はめまぐるしく、つい最近では遠く離れた場所に音を届ける機械や風景を映し出す道具まで誕生した。
一般大衆の手に届くのもそう遠くないだろうが、そうなったとしても自分たちの生活はあまり変わらないだろう。

「ベレゾフカ! ディーマ! 暇なら一緒に酒場……」
「帰れ」

突然開かれた扉を、角つきの小娘ごと雑に足で押して閉める。
数百年前、オルム・ドラカに引っ越すにあたり、念のために建てる家の扉は横開きでも引き扉でもなく、内側へと押し込んで開く構造のものにした。おかげで部屋の中から扉を閉めることが可能で、扉の前に家具を置けば簡易的なバリケードを構築できる。
今みたいに突然の来客を簡単に追い出せるので、生活していく上での煩わしさが多少は減った。
「なにか物音がしたけど、誰か来た?」
「そうだな。例えるならば、頭の悪い犬っころが来た」
「ふーん、追い出して正解だね」
同居人は暖炉の前で、静かに椅子に腰かけて本を読み耽っている。
紙の発明と印刷技術の発展に関しては、亜人種族にしては出かしたと褒めてやってもいいことのひとつだ。目に映ったもの、耳で聞いたものを忘れることのないドラゴンには不要なものだが、誰かに自分の知識を伝える時にこれほど便利なものはない。
このオルム・ドラカの生活を支える技術の多くは、自分の知識の端に漂う塵や埃の副産物のようなものだが、有効に使われるのであれば悪い気はしない。
今まさに部屋の隅で鳴っている有線式の音声伝達機の音のせいで、都合よく使われているだけのような気もしてくるが。

「黙れ、俺は忙しいんだ」

伝達機の送話器に吐き捨てるように語り掛けて、そのまま機械の線を引っこ抜き、呆れ半分の感情が混じった溜息を吐き出す。
自分たちは静かに朽ち果てたいというのに、ドラゴンというだけで同種の竜から煩わされ、ドラゴンということは知らずとも住民たちから何かと助言を求められる。
かといって術具は随分と前に魔竜王に譲り渡したせいで大陸から出ることも出来ず、ドラゴンであるが故に簡単に死ぬことも叶わない。
「すまないな、俺だけでも術具を残しておくべきだった」
「私はいいけどね、たまに騒がしいくらいなら」
≪ベレゾフカ! ディーマ! 暇なら一緒に酒場に行こうよ、今日は一日暇でさー!≫
「……たまにだったらな」
折角の高度な魔術を、音だけ一方的に転移させるという、どうしようもなく馬鹿でくだらないことに費やすドラゴンの異端者に呆れながら、以前より傷跡の薄らいだ同居人に、前より多少老けた顔を向けたのだった。


(また別の竜の話へ)


ドラゴンのお話です。
一応、私の書いてるファンタジー物の設定(狼の腹を撫でるや怪奇含めて)では、人間の世界があって、そのずっと上に超常の存在というものがいて、まあ一部作品でちらほら出してるのですが、ドラゴンも超常の存在のひとつです。

そのドラゴンを今年はちゃんと断片的にでも書いていこうかなと思いまして、なんせ辰年でドラゴンイヤーなので。
ドラゴンイヤーは尖り耳、ではないですが。

今回の話に出てくるドラグニールは、前に書いた「竜と六畳間」に出てくるドラゴン様その人で、ベレゾフカとディーマは氷竜の生き残り。氷竜の姿は描写していませんが、後々出すとは思うですが、姿は毛むくじゃらの巨大な水陸両用マンモスみたいな設定で、固有言語ではない仮の名前はマンモス由来のものを拝借しています。

どのドラゴンから出そうかなって迷った結果、まずドラゴンにも色々いるのだよってことを書くために、あえて真逆な性格の皮肉屋な研究者ベレゾフカを出すことにしました。
成功したかどうかはさておき!