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ラニーエッグボイラー 第5話「ジャイアントパンダがダチョウの卵をホールドして500メートルシャトルラン」

俺の名はパンパン、動物界の人気ナンバーワンアニマル、ジャイアントパンダのパンパンだ。
ジャイアントパンダがどれほど人気なのかはあえて語るまでもない。
檻の外をボケ面晒して右往左往している人間共を見ていたらわかる。俺がちょっとタイヤを掴んで転がってみせたり、地面に寝転がったりするだけで、人間共はわーわーきゃーきゃーと歓声を上げて喜ぶ。
この白と黒の混ざった毛並みを人間共は好きでたまらないし、こうも人気者だと人間チョロいなと思っても仕方ない。人間はチョロい、パンダはかわいい、それが人間社会での絶対的なルールなのだ。
その証拠に海を渡ってこの動物園に来てかれこれ5年になるが、未だにパンダ人気は衰えることなく、しかもパンダは色々と国際問題の火種になりかねないからと扱いは国賓クラス。この動物園で飼育員を顎で使いながら、皇帝のように振る舞っているのだが、ごく稀にパンダのありがたみをわからない愚かな人間が通り過ぎたりする。
そう、今も目の前にいる2匹だ。

1匹は作業員が着ているようなツナギを着た人間の雌で、動物園にいるというのにテンションのひとつも上げずに欠伸なんぞしている。こいつの魂は絶対に上のステージに上がれない、そんな未来が見えるタイプの雌だ。なぜなら動物園にいるのにアガってないからだ。
もう1匹は反対方向から歩いてくる、全身に薄っすらと靄がかかったような錯覚を起こしそうになる、妙に影の薄い人間の雌だ。こっちは何か探しているのか時折動物園の外と檻を見比べながら、のそのそと歩いている。
どちらもパンダの檻の前にいるというのにパンダよりも別のものに注意が向いているような、世が世なら即座に無礼打ちされても仕方ない無礼千万な生き物共だ。
ぶつかってしまえ、貴様らがパンダに目を向けない愚かな生き物であるならば、と呪詛の眼差しを向けていると、俺の願いが通じたのかツナギの雌はしっかりと正面を向いているのに、立ち止まった薄ぼんやりに衝突した。
はっはーん、愚鈍な生き物共め! パンダを軽んじた天罰だ!

「大丈夫? ごめんごめん、ぼーっとしてた」
「うん、いつものことだから気にしないで」
しかし歩いているだけで発生する衝撃などたかが知れている。どうせなら片方が猛ダッシュからのボディアタックくらいの勢いで走ってくれていたら、もっと愉快なことになっていたのに、のんびり歩いてるもんだから怪我もなく、そのまま立ち話なんてしているではないか。
なにをやってるんだ、人間共! お前らはもっと愚かであれ! 幼児期の無鉄砲さを忘れるな!
しかしこいつらは反省することもなく、おまけに次の瞬間、信じられない暴言を吐いたのだ。
「君、動物、好きなの?」
「うん、まあ普通に。でも、パンダはそーでもないかな」
薄ぼんやりの方がパンダを好きでないと言いよった! 正気か? パンダだぞ? パンダといえば動物園の人気者、動物園といえばパンダと言っても過言ではない愛されアニマルのパンダだぞ。
そのパンダをそうでもないとか、なんて哀れな人間だ。道理で輪郭が不鮮明な感じの、影の薄さを醸し出しているわけだ。わかったぞ、こいつは残念な人間なのだ。きっと馬と鹿の区別がつかず、おそらく牛の赤ちゃんと山羊の区別がつかず、タヌキとアナグマの区別がつかないような無知蒙昧の輩なのだ。
ぐぬぬぬぬぬと怒りを堪えて愚物を眺めていると、ツナギの雌はそのままこちらを見向きもせず立ち去り、薄ぼんやりの方はちらりと目線を向けたかと思えば、
「……人間とパンダだったら、まあ人間だよね。ごめんね、パンダ君」
謎の謝罪を繰りだしてきたではないか。
なにがごめんねだ。それは一体、何を、誰に、どういうつもりで謝っているのだ。
謝るならパンダを1位に持ってこないお前の動物ランキングから考え直せ。1位がパンダ、2位以下はどうでもいい。とにかくパンダがトップ・オブ・ザ・トップであるのは、この世界の絶対的な決まりなのだ。

しかし、くるりと踵を返した影の薄い人間は、向こう側のタヌキの檻に向かってちょっと小躍り気味に走っていく。
おい、ふざけるな。パンダで上がらないテンションが、なにゆえタヌキで上がるのだ? まさかタヌキ以下だと言いたいのか、パンダ様であるこの俺様が? タヌキ以下だと? そう言いたいのか!?
そんなふざけた態度を取られたら、温厚なパンダもカンカンだ。カンカンはパンダの名前っぽいけどパンダの名前ではない、怒ってるぞという意思表示のカンカンだ。そして俺の名前はパンパンだ。つまりパンパン、カンカン、そういうわけ。
俺がふんがふんがと怒りをぶつけるように、タイヤをばっしんばっしん叩いていると、通りがかりの人間共が初めてトランペットを見た黒人少年のような瞳で、パンダ様の勇姿に釘付けになる。
そうそう、これこれぇ! これが人間共の正しいリアクション!
俺はすぐさま機嫌を直して、素直な人間共にちょっと多めのファンサを繰り出す。タイヤに捕まって、そのままゆらゆらと左右に揺れてやったのだ。
もちろん人間共は歓声もテンションも上がりまくっちゃうわけよ。
俺の気分も上々だ。おい、飼育員。今日は繁殖してやってもいいぞ。


🔲 🔲 🔲


などと上機嫌で数日間過ごし、そのまま閉園後のディナーに笹を貪りながら床をゴロゴロしていると、壁の向こうから異様な気配が漂ってくるのを感じた。
檻の外、いや、動物園の柵の向こう側から、なにやら悪魔的な、肉食獣の襲来を思わせるような、本能を震え上がらせる恐怖のような得体の知れない感覚が、目に見えない無数の腕のように迫ってくるのだ。
俺は得体の知れない恐怖に怯え、慌ててタイヤや餌箱を殴り飛ばし、それでも消えてくれない異様な気配に慄いて、ついには火事場の馬鹿力とでもいうべき奇跡的な腕力を発揮して鉄格子を壊し、そのまま檻の外へと飛び出したのだ。
この異常な気配から出来るだけ遠く離れよう。
そう本能的に決めた俺は動物園から飛び出し、一目散に夜の町を走り抜け、とにかく遠くへと逃げ出したのだ。


▷ ▷ ▷


『本日未明、動物園からパンダが逃げ出す事件が発生しました。壊された檻から逃げたのは、今年で10歳のジャイアントパンダの雄で、名前はパンパン。現在関係者が総出で行方を探しています。パンパンの目撃情報をお持ちの方は動物園までご連絡くださいとのことです。次のニュースです。同じくパンダの逃げた動物園の裏手、約20メートルの距離にある住宅から、自称環境活動家の50代無職の男が心肺停止状態で発見され、緊急搬送されましたが死亡が確認されました。男は普段は近隣の小学生や幼稚園児を相手に、動物虐待などのショッキングな写真を見せるなどの迷惑行為を繰り返し、過去に逮捕されたこともありました。男には目立った外傷もなく、自殺の形跡も無かったため、死亡原因は現段階では不明です。警察の発表によると男の家には爆発物があったとのことで、近年活動が過激化している宗教団体、傾乱教との関係も含めて捜査中です』


△ △ △


パンダが人間の町に居られるはずがない。見つかったらすぐに捕獲されて、動物園に連れ戻されてしまう。またあの気配に襲われるのは耐えられない。
俺はとにかく人間の世界から離れようと山を奥へ奥へと駆け抜けた。
そこでパン生を変える雄と出会ったのだ。

そのパンダはパンダらしからぬ体型で、贅肉を必要最低限だけ纏った代わりに筋肉が異常に発達した体躯をしていて、右後ろ足を折り曲げて左後ろ足1本で川に浮かぶ木の葉の上に立ち、両の前足で巧みに丸太同士を紐で結び繋いだヌンチャクを振り回していた。
そのまま水面を素早く跳躍すると、目の前のツキノワグマを丸太ヌンチャクで一撃し、そのまま上から抑え込んで肘を何十発も頭に打ち下ろした。
そのまま気絶したツキノワグマの喉に爪を突き立て、猛獣のような雄叫びを挙げてみせたのだ。
この雄の名はランパオ、パンダ拳法の使い手で俺の師となる雄だ。

ランパオの修行は過酷だった。
パンダは本来、半食半寝の食っちゃ寝な生活を繰り返してエネルギーの消費を抑える生き物だ。だがランパオは最低限しか眠ることを許さず、ひたすら岩を持ち上げさせ、激流の中を泳がせ、腹が減ったら鹿や猿を襲って食えと言い放ち、食糧を分けてはくれなかった。
1ヶ月もすると俺の体は贅肉が削ぎ落され、檻の中のパンダにはない俊敏さを得ていた。
「ハシレ! トマルナ!」
時には麓のダチョウ園に連れていかれ、卵を盗んで脇に抱えたまま、走って追いかけてくるダチョウから逃げるという、500メートルシャトルランもやらされた。ダチョウに追いつかれたら殴る……そう脅かされた俺は、初めてランパオを見た時の圧倒的な強さを思い浮かべ、死に物狂いで走った。ダチョウの卵を一晩中抱えていたからか、明け方には遠くの空に巨大な卵が見えるようになっていた。ちなみにダチョウの卵はそのまま食った。
「タタカエ! ニガスナ!」
体が出来上がってきたら、次はツキノワグマとも戦った。ツキノワグマはパンダと同じ熊だ、当然生物として強い方が勝つ。生物としての強さは腕力と体重、だけでなく、牙の鋭さと闘争心、そして体格差を埋める技術だ。
パンダ拳法は中国武術をベースに、打撃のヒット数とフットワークに特化させたパンダ用の総合格闘術だ。それが他の動物に対して技術という強力なアドバンテージとなった。
ツキノワグマなど最早敵ではない。今ならライオンや虎とも戦えそうだ。
「イケ! シトメテシマエ!」
ちなみにランパオは拳法の師であるワン・パンフーとの修行の過程で、人間の言葉をそこそこ喋れるようになったらしい。


「アマッタレルナ! 動物園ニカエリタイカ!」

「餌ヲクレル飼育員ハイナイゾ! タタカッテカチトレ!」

「トドメヲサセ! 白黒ツケロ!」


そして半年もの血の滲むような修行の果てに、儂は格闘術だけでなくヌンチャク術とタイヤ術を習得し、パンダ拳法を極め、長年の修行と野良パンダ生活で全身を蝕まれていた師を看取り、二代目ランパオを名乗り、山の王として君臨した。
いつものようにツキノワグマたちを従え、鹿や猪を狩り、肉を食らっていると、1匹の人間の雄と出会ったのだ。

「なんで、こんな山の中にパンダが……?」
「ナンデ、コンナ山ノ中ニ人間ガ……?」

その人間の雄は痩せたひょろひょろのカスみたいな体型で、頭頂部と右側面だけが金色で残りは黒い妙な髪色をしていて、顔面はモブ度の高い何の特徴もない顔をしていた。
こいつは人間同士のくだらない争いでツナギを着た女と揉めて、上司と仲間たちを全滅させられたらしい。ツナギの女、以前どこかで見たような気もするが、あいにく動物園にいた頃の記憶はすでに遠い。儂はもはや甘ったれたパンパンではない、二代目ランパオなのだ。
それが証拠に……見よ! 我がパンダ拳法を!
儂は麓の道に打ち捨てられていた重ダンプのタイヤを取り出し、両前足で高速回転させて転がし、目の前に現れた猿の群れを一網打尽にする。おそらく人間のにおいを嗅いで、食糧を奪いに来たのであろう。
雑魚め、戦って勝てぬなら生きる価値など無し!
「うわぁぁ!」
人間が拳銃を取り出して残った猿に鉛玉を撃ち込む。なるほど、この人間、ただのモブではないようだ。なかなか良い生き胆と骨があるではないか。

「ナカナカヤルナ、人間。儂ノ名ハ、ランパオ」
「アヨンだ。よろしくな、野良パンダ」

パンダと人間の間に友情が芽生えた瞬間であった。


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