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そういうことか(他人は自分の鏡という謎について)

50歳を機にファンキーに、そして世界基準で生きていくことにした私。
とはいえ、普段は会社員なのでファンキーさも求められてないし、普通にしててくれという環境に身を置いている。

私の環境は、男社会のかなり閉鎖的なものだと思う。他の会社と環境を比べた事はないけれど、友人に私への発言とか男性の言動を話すと「セクハラだ!」と言われることが多々ある。
例えば、「お前も年取ったよな」「Aさんは若くていい子だけど将来お前にみたいになるのかな」などの発言や、自席でシャツを脱いでTシャツになる、ズボンのチャックを開けてシャツを入れ直す、などは日常茶飯事。
書いていておぞましいね。
なので、男性が感情を出しすぎることもあまりダメとされていない雰囲気があり、私の直属の上司は常に機嫌が悪い。

私は毎朝、J-WAVEの別所さんの番組を聴きながら朝の準備をしているのだけど、別所さんが毎朝「ご機嫌は自分で作るもの」と言っているのを聞かせたい!と毎日思う。
あ〜今日も機嫌悪いんだろうな〜と思いながら通勤し、案の定、機嫌が悪い。これの繰り返し。これをなんとか打破したい。
別所さんの番組に応募して「ご機嫌は自分で作るものステッカー」をもらい、貼っておこうか・・・

そしてある日、ふと、本当にふと思った。
「私、上司は機嫌が悪いって決めてるけど、そう思うのやめてみようかな」
私の心の中から「上司は機嫌が悪い」というデフォルトをなくし、無にする。機嫌が良くても悪くてもどっちでもいいというより、機嫌を気にしない気持ちで出勤し、過ごしてみた。

すると、なんということでしょ〜〜〜
機嫌が悪くない!
いや、偶然かもしれない。午後には機嫌悪くなるかもしれない、いや待て、決めるな!と心の中で思いながら過ごす私。

それから数日間。上司は普通だった。
なんなら雑談とかするようになったし、こちらの顔を見て話すようになった。気軽になった。
「他人は自分の鏡」とか「自分の持ってるものが他人を通して映しだされる」とかいうけれど、その言葉を聞いたり読んだりするたびに、私の中にそんなものはないと解せずにいた。

見えている現象は私の気持ちを現している

ちょっとスピっぽくなってしまうけれど・・・

「機嫌の悪い上司」と常に思っている。
イコール、それを願っている、見たい世界と変換される。
そして、それが叶えられている現実世界。
嫌なことって常に考えしまうから、より強く願ってしまうんだろうな。
叶って欲しいこと、私だったらパートナーが欲しいとか、そういうことってつい「無理かもしれない」と考えがよぎる。その癖がある。
そして「無理かもしれない」という現象が叶えられてしまう。

メンターからも常にそういうことを言われてきたけど、ついつい「う〜〜ん」と解せずにいたけれど、上司を通して気がつかされるとはね。
見たい世界を想像する癖がついたら、願いはどんどん叶っていくんだろう。

ここ数日、甥っ子と過ごしていて、子どもは叶う世界を思い描くのが上手。
あれ食べたいやこれ欲しいをとりあえず言ってみる。
オトナは、どうせ叶うならよりいいものを!と思ってしまいがちだけど、子どもは手当たり次第言ってみる。どれか叶えばいい。

そして、ここが肝心。
子どもは願いが小さいけれど、喜びは大きい。
子どものように無邪気に、ああなったらいいなをもっともっと口にして、声に出せば聞いているのは自分だから、願いはもっとスルスルと叶っていくものなのかもしれない。

願い下手は脱却して、叶え上手になろう!

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