小さな祈りを重ねる
ご飯が美味しく食べられる、夜眠るお布団がある
暖房器具がある。
朝起きて1日活動できる、お散歩できる。
お店には食料品がたくさん並んでいる。
家族と一緒に過ごせる。
どれもこれも、ごく普通の当たり前の風景。
被災地にとびこんでボランティア活動をするだけの余力は自分にはない。
自分の中に怒りやイライラも湧いてくる。
いったい、何ができるだろうか・・・?
ささやかな当たり前の中で、現地の人を想像するたび、
「能登の方たちがどうか、はやく安心安全な暮らしができますように・・・」日常への感謝、被災地に対して申し訳ないような思い、
そして祈りとが混じったような気持ちになる。
被災地の映像は心を不安にする。
でも囚われてはいけない。
自分の中で祈る気持ちはどんどん強くなっていく。
大切なものを取り戻す
2020年のコロナ騒動が始まってからどうも日本の様子はおかしい。
私たちは、日本人であることを忘れてしまっているかのようだ。
日本的な信仰心も失われているのかもしれない。
自分さえ良ければという行き過ぎた個人主義。
でもその反対にこの国がやっている茶番から目覚めて、
本当に日本のため個々に活動をしている人もたくさんいる。
何か大きな問題に直面したとき、本音のようなものが問われる。
この災害は、忘れかけていた日本の心をしっかりと取り戻せという私へのメッセージなのかもしれない。
「ありがとう」「おかげ様で」を大切にする日本の心。
多様性を大切にし、他の人にやわらかく接する日本の心。
先祖を大切に思い、自然すべてに感謝する心もある。祖霊も自然も神様として拝んできた。目には見えないけど大いなるものに祈りを捧げる日本人。
それは誰に教わるでもなく、私たちの内側に備わっているものだ。
宗教団体に属していなくても私たちは信仰心を持ち、病気や災難で困っている人には、祈りをエネルギーにして送る(贈る)ことをごく当たり前にやっている。
何度も自然災害に見舞われてきた
昔からこの国の人々は、自然とともに歩んできた。
一方では季節の恵みを享受しつつ、一方では自然災害に見舞われてきた。
その自然に対し折り合いをつけるように生活してきた。
だからこそ、そんな日本人の中には災害や苦難を乗り切る穏やかな強い力が育まれてきたのだと思う。どこか包み込むような力を持ったあたたかさは日本の風土がつくったのだと。
その力でお互い支えあうのは私たち日本人が持つ大きな宝物なのだと思える。自分たちは今そのスイッチをしっかりとオンにしておこう。
祈りは小さくても多くの人の思いは届く
私ができること、それはささやかな募金と「たとえわずかでも、被災された方たちに小さな喜びが降り注ぎますように、少しでも良いことがありますように」という祈りだ。
祈りは単に願うことではない。
多くの人がまごころから、こうあって欲しいと祈る時人の力を超えた
何か大きな力を発揮するのだと思う。
希望を持つこと。暖かい日本人の心を取り戻すこと。
きっと被災地は復興できる。
震災に遭われた方々にお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。日々、被災地で救助・復旧作業にあたられている方々に心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
お読みいただいてありがとうございます。🙂
記事がお役に立てれば嬉しいです。自然こそ私たちのお手本。自然や周りの人を大切にする日本の心を取り戻したい。サポート大歓迎。