見出し画像

紙上のもつれ|酒の短編14

酒の席が続き、財布の中身が軽くて頼りない。
給料日には、控えめながらも唸って・・・いたのが嘘のよう。この頃はすっかりおとなしいので覗いてみると、着物姿の女と目が合った。

「どうした、いつにもまして静かじゃないか」
「ふん。博士も、先生も出掛けたっきり帰ってこないのに、あたし一人で騒いでどうするってんですか」
「おっと、ヤブヘビ。穏やかじゃないね」

こちらの気安い物言いが仇になったか、のっけから噛みつかれた。よく見ればレシートに囲まれて、樋口一葉が一人っきり。居心地悪そうだったので札入れから出すと、鬱憤を晴らすかの様に喋り続けた。

「それに旦那はポイント欲しさに、近頃はカードばっかりだ。そりゃイヤミのひとつも言いたくなりますよ」
「はは、勘弁勘弁。こっちも物価が上がって大変なんだよ。そうだ、いつもジャラジャラとやかましい、小銭の連中はどこに行ったんだ?」
「あの子たち、電子マネーが流行りだしてからは、貯金箱に引っ込んでいるのよ。邪魔者扱いされるわ、お札になろうと頑張っても手数料が掛かるわで、もう外には出たくないんですって」

矛先を変えようと振った話題が、世間のニュースと通じて妙に生々しい。小銭たちの苦労を聞き、金の暮らしも世知辛いと知って気が削がれた。

「そうか、お前さんたちの世界もどうにも大変だ。たまには唸ってみせろと発破をかけるつもりでいたが、そんな雰囲気じゃあないね」
「人間も金も、あんまり変わらないもんですよ。あたしも生きていた頃はお金で苦労しましたけど、旦那もちょいと厳しそうね」

自分の持ち金に懐具合を心配されるなんて、妙な塩梅だ。とは言え、的を射ているのだから反論の仕様がない。

「まあ、この時期はどうしても付き合いの席が増えるからね。給料日までは何とかやっていくさ。寂しい思いをさせて悪いが、もうすぐみんな帰ってくるから、それまではよろしく頼むよ」
「ええ、任せてくださいな。それにあと一年もしたら、梅子姉さんに任せてお役御免ですから、しっかりお勤め果たしますわ」
「ああそうだ、来年になったらみんな入れ替わりだってね。ついこの間、一葉さんになったばかりなのに、早いもんだね」
「嫌ですよ旦那。あたしが新渡戸さんから引き継いだのが2004年からですから、もう20年にもなりますよ」
「もうそんなになるんだ。こっちはすっかり老け込んじまったけど、お前さんはいつまでも変わらず….…」
「……変わらず、なあに?」
「いかんね。まだ酒が残ってるみたいだ」
「(意気地なし)」
「何か言ったかい?」
「ううん、何にも。私は歳を取らないけれど、旦那はもう若くないんだから、呑み過ぎには気をつけてくださいよ」

そんなやり取りをしていたら、インターフォンの音で目が覚めた。

代引きの荷物が届いたけれど、財布を開くと五千円札しかない。あんな夢を見たせいか、差し出した樋口一葉が、寂しげに微笑んでいるように見えた。お釣りの千円札を2枚受け取り、ドアが閉まったとき、
「またお会いしましょうね」
声が聞こえた気がした。

その晩布団に入ると、今度は替わりにやってきた野口英世が二人して話しかけてくる。

「君、樋口女史を見掛けないが、どこに行ったかご存知ないか?」
「君、福沢先生も居ないが、まさか二人して出掛けたんじゃないだろうね?」
「渋沢翁ではあるまいし、心配いらないんじゃないかね?」
「いやいや、ああいう真面目な人こそ分からんぞ?」
「話は変わるが、彼女から何か言伝を預かっていないかね?」
「それより、私のことについて何か言ってなかったかね?」

この分だと福沢諭吉もご執心に違いない。給料日には、もう一波乱ありそうだ。


■□■ 次回店番のお知らせ ■□■

西日暮里BOOK APARTMENTさんの棚をお借りして、酒と料理の読みものを中心に、集めた本を販売しています。

次回は3月25日(土)12:00〜16:00で店番に入ります。

樋口一葉ともご縁の深い、谷根千エリアのご近所。文学散歩のついでに、足を伸ばすのはいかがでしょうか。


この記事が参加している募集

ほろ酔い文学

頂いたサポートで酒を呑み、それを新たな記事にすることで「循環型の社会」を実現します。 そんなほろ酔いで優しい世界、好事家の篤志をお待ちしています。