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日記2月19日。 #日記

今日の朝食後体重は67.7KG。筋量57.7kg(だったかな)。体脂肪は12%弱。昨日は会社帰りに歩数伸ばしと勝手に自分に理由をつけて、一駅弱歩くスタバへ行った。最近はオールミルクでカモミールティをベンティで、というのが2回続いたので、昨日は基本に戻ってホットラテベンティとした。一駅弱、と言ったのは名古屋駅からは片道1100歩位の距離だからで、結局1日の歩数は9800歩程度と1万を超えられなかった。だが最近は在宅勤務で常にノートパソコンを持ち歩いている。これは基本オフィス用なのでけっこう重い。なんとなくだがいろいろ入れてリュックの総重量は16キロ(細かい!)くらいある感じ。これはスポーツセンターで18キロダンベルを通常利用している感覚からの推測だが、金属とリュックとの比重差があるので、推測が狂っているかもしれない。とにかく、重いのだ。

正月明けの急な階段上がりで、左股関節を痛めて本調子ではないが、最近はだいぶ痛みも取れてはきた。やはり股関節が痛いと歩くのもきつい。だが右肘の関節痛はダンベルで苛め抜いて再構築ほぼできたようなので、休みを入れつつも安静だけとはせず、なるべく歩くようにはしている。だが多分、リュックが重いこともあり、歩くのがすこしおっくうになっている。

勿論寒さもある。首筋手袋と、2重防寒でシャツは超極暖、という体制であるが、これは場合によっては暑くなりすぎる。最近は特に暑かったり、急に寒くなったり、という天気なので、寒いほうへ保険をかけて厚着で出かけるので暑くなるとのぼせる感じさえある。なかなか難しい。

とにかくできるだけ歩くことが健康につながる、と思い込もうとしているので、一日の歩数が少ないとストレスだ。ランナーの方はむしろ走らないことがストレスになる、と聞くが、なんとなくその気持ちがわかる気がする。

犀の角のようにただ独り歩め

下重暁子氏の新書、”極上の孤独”の冒頭で引用されている仏陀のことばだ。

犀は考えてみると特異な風貌をしている。鼻の先に角がある動物は他にはあまりないのではないか。大体が頭上にある。突進に適したあの体形に、太く、突進に向いたあの角の形状を目にすれば、一心に歩む心構えを表すために引用するのであれば、これは犀しか思いつかない。さすが、仏陀である。

犀の存在はそもそも既に独り歩む体をなしている。小さな、顔の両脇の眼。地面の草を頭を下げて食む姿。頭をさげて、縄張りへの闖入者を攻撃する姿。わき目を振らず、一心に事を進めるとき、犀を、そしてその象徴たる角を思うことは、わかりやすい助けになるだろう。

犀といえば、1515年にデューラーが制作した木版画が思い浮かぶが(デューラーのファンです)、これは実際にデューラーが犀を見て描いたのではないそうだ。だがその孤独な眼差し、装甲のような身体、見たことがないがゆえに半ば驚異の幻獣としてこの木版画を制作したデューラーの興奮をも、この版画を見ると同時に思う。

全てがネットで検索できる世界。いまごく普通にその世界に暮らしてはいるが、ほんの20年くらいまえはそうではなかった。ネットが普及していない。ネットにデータがない。30年前を思えば、そもそもパソコンがない。

世界は気が付けば進歩している。だが、デューラーの得た興奮と制作意欲は、簡単に何でも検索できるな、という気持ちでいる我々には、もう持つことが出来ないものとなってしまった。

どちらがいい、という話ではない(どちらかというと情報があったほうがいいとも思う)。変化があった、ということなのだ。

(個人が絵を描く技術は、媒体や手法は別にして、進化していません。個人の技量というものは、タイムレスなものですね)


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