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日記12月24日。 #日記

クリスマス・イヴだ。

今年の会社への出社は12月28日(月)まで、新年の出社は1月5日(火)となった。皆さんの会社や学校はどうだろうか。

クリスマスはサンタ、というわけだが、私の母親はクリスチャンである。なので、サンタは存在することになっている。子供は母親の気持ち(希望)を敏感に感じるものなので、私は子供の頃、”サンタは本当にいるのか”という問いを立てることを自らに禁じていた。そのことは考えてはならない。

いるかいないか、という問いを超えたもの、がサンタだ、ということだった。そうした態度が、もしかすると宗教、というものへの正しい問いなのかもしれない。いないと、みんなが言っている。みんなが言う、とはなにか。なにを、あなたは、選ぶのか。

ある時(小学校の多分2-3年だったような)家に同級生が遊びに来たとき、”サンタなんかいない”と言ったのだった。それを聞いた母親が怒ったことを今も覚えている。正確には思いだせないが、確か母は”うちにはサンタがいる!”とその子を叱ったのだ。

その時の気持ちを、今もなんとはない嬉しい気持ちで、思いだす。サンタはいる。すこしだけ複雑な意味で。そう、理解したように思っている。

大人になると、子供の時の気持ちは忘れがちだ。私は小学校3-4年の頃、学校や社会では自分は子供扱いされるが、その扱いより3-4歳精神年齢が高い(すべてにおいてではないが)、と感じていた。すこし、不思議な感覚であった。身体とこころがすこし合っていないような。

それはたぶん私が読書好きで、主にホームズやルパンもののジュブナイル小説を読んでいた、ということから感じていたようだ。今となっては笑ってしまうが、まあ、5-6年生くらいの精神年齢ではあったかもしれない。

大人といわれる今も思う。子供のころのそんな感覚は、忘れているようで、忘れていない。昔は今だ。今は、昔だ。時とはなにか。神について考える、とはどういうことか。私という存在は、一体なんなのだろうか。

(たぶん、私の生には特に意味はないのでしょう。ですが、”意味がある””意味がない”ということを超えた奇跡を、私も、皆さんも生きている、ともいえるのかもしれません。それが意味なのかも。メリー・クリスマス!)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。