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「好き」を綴る365日、238日目。

思い出を〝持ち寄る〟のが好きです。

つい先日、母が高校時代の親友(Tさんとしましょう)と長電話をしたのだそうです。
ふたりはLINEで画像をやり取りし、少しだけ文章も送りあった後に必ずと言っていいほど電話で話している様子。
電話の方が手っ取り早いし、温度がより伝わりますよね・・・そういう世代でもある(笑)

それで、その電話の時に、母がばら寿司をこしらえた話をしたのだとか。
「わたしのお寿司は、祖母に教わった味なのよ」と母が話すと、Tさんがこうおっしゃったのだそうです。

「ああ、あなたのおばあちゃま!
 わたし、おばあちゃまの鏡をいただいたことがあるんよ。
 あなたがね、自転車の荷台に鏡をくくりつけて届けてくれたのよね」

母はこのことに関してまったく記憶がなかったそうで、「ええっ?! そんなことがあった?!」と驚き、と同時に、嬉しく思った・・・と。
自分が失念していた記憶をTさんのおかげで取り戻したような気持ちになったのだそうです。

母のこの体験と似たようなことが、わたしにもあります。
大学時代の友人・メグさんが、大学の書道の時間に書かされた文字のことを話してくれて。
わたしの記憶からはすっぽりと抜け落ちていたその授業でのことが、メグさんのおかげで復活したのです。
・・・が、また失念していることに気づきました、今。たった今(笑)
なんだかおもしろい言葉を書かされたとメグさんが話してくれて、大笑いしたはずなのに。
なんて書いたんだったか、忘れている。。。
メグさんに電話して、もう一度聞かせてもらおうかなぁ。

と、まぁ、こんな風に。
同じ場所で、同じ時間を過ごしていても。
見方、感じ方が違うと、記憶していることが全然違ったりして。
それらを〝持ち寄る〟と、思い出がいきなり倍増するような。
倍増どころじゃないか、平面が立体になるような。
人生の密度が濃くなるような、ね。

そんなことをぼんやりと考えていたところへ、ウチのリビングのカーテンを替えようというプランを、同時に頭の中に置いていたものだから。
祖父を引っ越しさせたときにカーテンを選んだことを思い出しました。
(話が飛びすぎ 笑)
祖母亡き後、祖父がひとりで暮らすには広すぎる家を売却し、わたしの実家のすぐ近くへ引っ越して来させたときのこと。
明るくきれいなその部屋の南に面した掃き出し窓へつけるカーテンは、主に母(祖父にとっては実の娘)が選んだため、母の趣味嗜好全開。
ちょっと光沢のあるベージュ、波のような織り柄が入っていたなぁ。
タッセルだけわたしが選びました、ゴールドのお花タッセル!
足腰が弱っていた祖父が自身でカーテンを開けることはなく。
毎日、母かわたしがカーテンの開閉をしていました。
祖父は・・・あのカーテンを、カーテンを開閉するわたしたちを、どんな思いで見ていたのだろう?
ふと、そんなことを思ってしまったのです。
母には聞ける、あのカーテンを選んだときの記憶や思いを。
わたしと思い出を持ち寄ることができる。
でも、もう祖父には聞けない。

・・・思い出を持ち寄って話すことができるのは、幸せなことなんだな。
今、一緒にいるひとたちと、交流のあるひとたちと、もっと話そう。

画像は、父が大好きで散々通った、山の上にあるお蕎麦屋さんのもりそば。
父と一緒に訪れたのは一度きり。
その一度きりの一緒の訪麺が、わたしにとってこのお蕎麦屋さんへの最初の訪麺でした。
父が亡くなってから、幾度も訪れる母とわたし……父はもういないけれど、父の思いを感じたくて行ってしまうのです。
これも、思い出の持ち寄りに似た感覚かなー。
もちろん、お蕎麦に魅せられているのもあるんですけどね。
……結局、食いしん坊話で終わるという(笑)

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