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どこの場所から見るのかで変わる景色[43/100]

今朝、娘が「人は嘘をつくとき、手が震えるらしいよ」と言ってきた。読んでいる児童書の中に出てきたんだそうだ。バレたらどうしよう、そんな気持ちから、ドキドキして手が震えるのかな、と話しあった。

その話の中で、私が小学校時代に「ウソ発見器」が流行ったことを思い出した。TVのバラエティー番組で、ウソ発見器がどれほどの精度なのかを試すという番組があったようだ。

私は親の方針でTVを観ずに育ったので、友人たちが話す内容を聞いて、日常生活にもウソ発見器が使われることを想像し、少し恐怖に思った気がする。

あの頃の「ウソ」は確実にウソであった。自分で自覚して、あえてつくウソ。だから、バレるのが怖い。

でも。
大人になってから「他の人から見ればウソ」だけど「その人にとっては本当」があることを知った。

真実は人の数だけあるのだ、と銘じている。あちらからとこちらから。見たものは同じでも違うものが見えるのだ。だから私たちは書く。自分ではない視点を獲得するために、書く。

真実はいつもひとつ。か?【さとゆみの今日もコレカラ/012】

「人の評価」が最たる例だろう。私が大好きだった先生は、他の生徒からはいい加減で頼りない先生だった。物事の真理を見て発言する、聡明で感情豊かな同僚は、上司からは言うことを聞かずに文句を言う、使えない部下だった。

同じものをデッサンするときでも、真正面から見るのか、後ろから見るのかで全く違うものになる。

違う視点で見ると、まったく違ったものになるのかもしれない。この人にとっては「真実」でも、他の人からは「ウソ」に見えるかもしれない。

そんな冷静な頭を持ちつつ、わたしなりの判断軸を情熱をもって育てていきたいと思う。そうなったとき、私らしい文章を書けるようになると信じて、書いて、生きていこうと思う。

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