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わたしが言葉を書く理由[66/100]

家族が寝静まった家の玄関をそっと開ける。履いていたブーツはちゃんと外で脱ぎやすいようにチャックを下げてある。鍵を閉める音さえも気をつけて、息すらも忍ばせて、リビングのドアをすり抜ける。

まだ人の気配がほのかに残るリビングの電気をつけて、やっと一息つく。わたしは子どもが生まれてからも、半年に一度、友だちと飲みに行った。
それは、わたしが母に“なりすぎない”ための大切な時間だった。

そんなとき、娘たちはいつも、寝てから帰ってくるわたしにお手紙を書いてくれていた。

「ママ、いつもありがとう」とか「ママ、だいすき、あしたはいっしょにねようね」とか。

いつも全力で愛を伝えてくれる娘たちからの言葉のプレゼントがほしくて、そこまでがわたしの「飲み会」だった。

子どもができるまで、わたしは意外と「以心伝心」とか「言わなくてもわかる」みたいな関係に憧れていた。

でも、そんな関係にはなれなかった。誰とも。一瞬は「あれ、この人とは、言葉がいらないんじゃない?」なんてこともあるけれど、それはまやかしで。
伝え合わない関係は早々に行き詰まり、紐解くために長い話し合いを要したり、破綻したときもあった。

ストレートな感情表現、言葉にすることの大切さを知ったのは、娘が生まれてからだ。
夫との良好な関係のためにはできるだけマメに言語化して伝えることが必要だったし、話し言葉は流れてしまうから、交換日記をつけたりもした。

日常を円滑に回すだけでなくて、プラスαの効果ももちろんあった。言葉にしようと思った時、いつもマイナスなことばかり言いたくない。
と、なると、普段感じる喜び、感謝、幸せを口にするようになった。すると、それ以前よりも明らかに自分の中で「幸せアンテナ」の感度が良くなった。いつもは「あ、サンキュ」くらいの気持ち(そして伝えない)が、「めっちゃありがとう、優しいなあ」くらいまで感動できるようになったのだ。

こうして、少しオーバーなくらいの感情表現がデフォルトになると、周りの人への愛情が、比例して大きくなった。

夫もまんざらでもなさそうだし、何より、娘たちがめちゃくちゃ喜ぶ。

「たいせつだねー」
「かわいいねー」
「だいすきー」

我が家では挨拶代わりだ。

我が家では、「わたし、今日こんなに頑張ったの!ほめて!」と言い合うこともデフォルトだ。

でも、こんなこと、恥ずかしくて言えないとか、
そんなこと急にできないって人もいると思う。そんな人の代わりに、誰かから誰かへの想いとか、愛とか、そんなことを伝えたいと思っている。
そのために、書けるようになりたいし、書いていきたいと思う。

だから私は言葉を書く。
友人に、仲間に、息子に、恋人に向けて、あの日私はこんな景色を見たのですと、書いている。書き上がると安心する。もう、忘れても大丈夫だと思う。

ラブレター【さとゆみの今日もコレカラ/034】

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