自分の常識は他人の非常識


「こうするのが常識だ…」「普通はこうする」といった発言を日常の会話の中でよく耳にします。

近い将来、このような発言はされなくなるのでは。

なぜなら価値観が多様化しているこの世の中では無意味なことだから。

自分の常識を他人も同じように常識だと思っているとは限りません。

自分の当たり前は他人の当たり前ではないという前提を持っていた方が良いと思います。

少し前の日本は、みんな同じであることが美しかった。価値観も常識もみんな一緒であるという前提が存在していました。
現在は、多様な異なる価値観を持った人たちがそれぞれ明るく豊かに暮らせる社会を実現することが求められている。そんな時代です。

大変壮大なテーマのように聞こえますが、これが会社という組織の中だとどうなるのか。

ひたすら定義づけが必要になってきます。

目的、目的を達成する手法、ルール、使命、役割、その根底にある理念などあらゆるものを定義づけし、全員が理解するまで、全員に浸透するまで徹底すること。判断や決断に迷った時の拠り所とするために企業のミッション・ビジョン・バリューを明確にする。あらゆる実践の中でPDCAサイクルを機能させること。

これらにつきるのではないでしょうか。

もちろん、多くの多様な人たちを巻き込み進めていくので、簡単なことではないのですが。

少なくともやるべきことは見えてくる。改善できる兆しはある。

そのプロセスの中で、絶対にとってはいけないコミュニケーションが、冒頭の発言であると私は思います。

もう全員共通の「普通」や「常識」はないと思う方がストレスもないし、やりやすいでしょう。

だからこそ、上司も部下も説明責任を果たし、共通の認識のもと、多様な人々に配慮しながら進めていくことが必要。そして、その説明の中には、なんのためという大義がなくてはなりません。この大義の質次第で、説得力が大きく変わってきます。人々のモチベーションとなる大義を掲げて大きく舵を切って行く。そんなことがこれからのリーダーに求められてくるのではないでしょうか。

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