3人目の自分

自分の中にはもう一人の自分がいる。
私の言動を肯定したり否定したりする自分。

彼女は時に

私を煽ったり
私を蔑んだり
私を鼓舞したり
私を労ったり

私を翻弄させる。そして、

本当に正しいことは何なのか
本当にやりたいことは何なのか
本当に大切なことは何なのか
本当に優しいことは何なのか

問いかける。
だから、私は常に考える。
常に考えているのに、考えた末の判断に
彼女はまた問いかける。

本当にベストであったのか、と。

残念ながらベストでないかもね、となるわけです。

彼女の存在が、

私を叱咤激励することで
私に劣等感や優越感を与えることで、

私は試行錯誤しながら、葛藤しながら
自分の感情の一進一退と付き合いつつも
不器用に少しずつ成長できたように思います。

しかし、年を重ねてくると、もう1人の自分だけでは足りなくなってくる。

もう1人の自分が健全に機能しているのかを俯瞰的に見る3人目の自分が必要になってくるのではないかと。定期的にもう1人の自分をチェックする3人目の自分。

人の思考は経験に依存するので、経験からくる邪念を取り払い、自分の心が健全でいる努力をしないといけないのではないかと。

もう1人の自分の存在が健全に機能していることが、自分にとってとても大切なことだと思うのです。

そんな努力をしなくても健全でいれた、
そんな時代もあったのだけどね。
ちょうど現在2歳の我が子のように。

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