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ギャレス・サウスゲート率いるイングランドチームは国家神話となったPK戦を克服できるのか。しかしそれ以前に改善すべきことは何なのか...を問うコメディー劇『Dear England』

サッカーの2020年欧州選手権(ユーロ2020)は11日、英ロンドンのウェンブリー・スタジアムで決勝戦があり、イタリアがイングランドを退け、1968年以来2度目の優勝を果たした。延長戦を終えて1-1からのPK戦を3-2で制した。イングランドは55年ぶりとなる主要国際大会でのタイトル獲得には至らなかった。

ユーロ2020、イタリアが53年ぶり2度目の優勝 イングランドとのPK戦制す - BBCニュース


2021年夏、家族旅行で訪れたマヨルカのホリデー先で、滞在先のホテルが併設のフットボールピッチに特設スクリーンを設置して、ユーロ2020の決勝戦イングランドVSイタリアをライブ放映した。オーディエンスはヨーロッパ各地からのホリデー客が多く、フェイヴァリットはあるものの、ほぼ中立かと思われたが(マヨルカはスペイン領)、意外に(!)イングランドの人気はなく(バーのスタッフに「EU離脱したから、イギリス嫌い」と言われた。もちろん冗談だが、本気だと思う)、イングランド・チームが3つ目のPKを外した時点でイタリア勝利の大歓声が起こった。

結果は、上のBBCの記事にもある通り、PK戦でイングランドは敗退。優勝には至らなかった。


公式プログラム


レスタースクエアのプリンス・エドワード・シアターで『Dear England』を観た。日本語訳すると「親愛なるイングランドへ」といったところか。イングランド・フットボール・チームにとって、永遠の課題であるペナルティー・キックに関する歴史と考察、そしてその解決を模索していく、コメディー・ドラマだ。

この物語の主人公は現イングランド代表監督ギャレス・サウスゲート(ジョセフ・ファインズ)2016年9月に前任のサム・アラダイスの解任に伴い暫定で指揮を執っていたが、同年12月より、正式にイングランド代表監督を務めている。劇中では、サウスゲートが就任当初は低迷していたイングランド代表を鼓舞し、新たな息吹を与え、2018年ワールドカップの準決勝以降もチームを率いていく様子が描かれるが、イングランド代表には決定的な課題があった。

ギャレス・サウスゲート(ジョセフ・ファインズ)


2006年に行われたワールドカップ、ポルトガル戦。イングランド代表のジェイミー・キャラガーは、ペナルティーキックをミスする。

ついでに述べておくと、このPK映像は2回目のキック。実はこの前にシュートを決めていたのだが、主審が笛を鳴らす前だったので、再度やり直しを命じられたのだ。

イングランド選手は、審判の笛が鳴ってから動き出すまで、平均2.8秒かけている、という調査結果が出ており、これは他の国と比べると短い方である為、サウスゲイト監督は選手たちに、もっとゆっくりと慎重に、と指導しているという。

ちなみにドイツチームの平均は8秒強。その記事の内容はこちら(↓)。


そこで、サウスゲート監督は、心理学者のピッパ・グランジ博士(ダーヴラ・カーワン)をトレーニング・セッションに参加させる。グランジ博士は、選手たちに日記をつけさせたり、恐怖について語らせ、不安と向き合わせたりするグループセラピーを導入。また、チームの集団アイデンティティの欠如も指摘し、全体的な精神的不調を診断、それに基づくトリートメントを実施する。

ピッパ・グランジ博士(ダーヴラ・カーワン)

しかし、なぜ、サウスゲートはペナルティー戦に関して、肉体的・技術的な訓練とともに精神的なサポートを重視するのだろうか。それは、実は彼自身がPKを外し、イングランドを敗退に導いてしまったという過去を持つからなのだ。

1996年、ユーロ杯対ドイツ戦。

1分50秒ほどのところで、当時イングランド代表だったサウスゲートが登場する。ペナルティーキックをミスし、イングランドは敗退する。

あれから10年後、サウスゲートは長年の失望と失敗に苦しむイングランド代表のケアテイカー・マネージャーに就任。彼は自分自身が経験したトラウマを基に、男性のメンタルヘルスと、スポーツの勝敗における国全体そして社会からの期待へ対する対処の仕方を選手たちに習得させることが必須だと考える。彼はチームのためのプランを3幕構成の物語の形で提示する( シェイクスピアを引き合いに出すが選手たちには何のことか分からないため、スター・ウォーズで説明)。クラブから大金をもらっているとはいえ、この若者たち(最年少はまだ18歳!)にかかるプレッシャーの大きさは驚異的だからだ。

2018年ロシア・ワールドカップの準決勝、ウェンブリー・スタジアムで行われた2020年ユーロ決勝での敗退、そして、一番最近では、2022年カタール・ワールドカップの準々決勝、対フランス戦でのハリー・ケーンのPKミスからの敗退。なかなか前へ進めないイングランドチームの葛藤が赤裸々に描かれる。

この時のフランスのゴールキーパー、ウーゴ・ロリス はトッテナムのチームメイト...。国対抗なので当然なのだが、どのような精神状態で臨めばよいのか、全く想像がつかない。


イングランド・チーム、ペナルティー・キックの歴史


ストーリーは、イングランド代表の辿ってきたPK戦の歴史を振り返り、サウスゲート監督率いる代表チームが、この課題を乗り越えようと模索する様子をシリアスに描いてるが、実はこの作品、約3時間弱笑いっぱなしのコメディー劇なのだ。

まずは登場人物が、かなり知名度の高い実在の人物たちであるがゆえ、それぞれの役者がかなりクオリティーの高い、インパーソネーション(物真似)でもって演じている。主演のギャレス・サウスゲートを務めたジョセフ・ファインズ(余談だが、彼はラルフ・ファインズの実弟である)は、声や話し方だけでなく、立ち方や頭の傾きひとつひとつが完璧で、サウスゲートのお決まりワードローブであるウェストコート(スーツジャケットの下に着るベスト)を着ると、本人かと見紛うくらいにそっくりだ。醸し出す雰囲気は真面目で誠実さに満ちていて、サウスゲートの生来の良識に対する徹底的な理解と、戯画的な描写のバランスが絶妙である。


彼を強力にサポートするのは、ドラマティックな身体能力をダイナミックに演じる若いアスレティック・フットボーラーの先発メンバー11人だ。まずはキャプテンのハリー・ケーン(ウィル・クローズ)。語彙力がないため、単語の間に長ーい間を入れてゆーっくりと低音で話すので、彼が言葉を発するたびに会場からは大爆笑が起こる。そして常に興奮気味のゴールキーパー、ジョーダン・ピックフォード(ジョシュ・バロウ)は、存在感抜群。片時もじっとしていられないそのフィジカルな動きがあまりにも似すぎていて、見ていて笑いが止まらない。熱血漢なラヒーム・スターリング(ケル・マセナ)は、話し方だけでなくアクセントもそっくりだ。ムーブメント・コーチのケル・マセナによる見事な振り付けで、まるで本当のイングラント・スクワッドがそこにいるようだ。


ハリー・マグガイア(アダム・ヒューギル)。少し横柄な態度を嫌味なく醸し出す。

リズミカルなセリフや痛快なジョークは、劇作家ジェームズ・グラハムによる貢献が大きいが、グラハムは、サウスゲートを聖人や天才として描いているわけではない。温厚な "クローリー(Crawley, West Sussex)出身のギャレス"は、決してスターでもパーフェクトでもなく、品行方正で平凡だが、ここで大事なのは、行動力のある指導者として描かれていることだ。彼を並外れた存在にしているのは、失敗に対する彼の洞察力である。彼はイングランド代表の心理に何らかの問題があると感じ、欠点を直感的に理解して、それを容赦なく追求する勇気と行動がある。そして、サウスゲートがチームを再編成することで、優れたリーダーとは何かという再評価のようなものが見えてくるのである。また、政治におけるパワープレーをフィクション化することでよく知られるグラハムは、サッカーに政治を吹き込むことも辞さない。テリーザ・メイやボリス・ジョンソンなどがコミカルなカメオ出演をするが、ブレクシット後のヨーロッパにおける欧州の他の国からの風当たりは無視できないからだ。さらには、イギリス・フットボール社会における人種差別やブラック・ライブズ・マターについても触れている。冒頭に書いたユーロ2020対イタリア決勝戦PKでシュートを外した3人、マーカス・ラッシュフォード、ブカヨ・サカ、ジェイドン・サンチョが黒人であったため、試合後、人種差別的な誹謗中傷コメントがSNSに投稿されたり、マンチェスターにあるラッシュフォードの壁画が一部破壊されたりした。また、スターリングへのモンキーチャントも問題となり、人種差別根絶を訴えるジェスチャーとして、イングランド代表がが試合前に膝をつく行為をここでも再現。オーディエンスにその意味の重要さを再確認させる。さらにはマスコミの行き過ぎた報道や古い習慣や伝統ばかりを大切にする関係者たちがチームにどのような影響を与えているかを描く。


演出を務めるのは、ジェームズ・グラハムと以前にもタッグを組んだことのある、ルパート・グールド。彼は、先述のジェイミー・キャラガーのPKミスの実際の映像をモノクロでワイドスクリーン映し出す。このフラッシュバックから始まり、イングランドはペナルティーキックで勝てないチームという国家神話を追うが、このプロダクションは、ステージ上の登場人物たちの直接的な感情、葛藤、動機付けをより物質的な文脈として観客に伝えるため、劇中のアクションとともに、アーカイヴ映像を効果的に活用している。また、流れる文字の電光掲示板で細かな情報(データや名前)を視覚化、ストーリーの背景を瞬時に理解できるという手法をとっている。このような細かな演出は、華やかで遊び心のあるサウンドデザインでさらに引き立てられる。

そしてその多彩なサウンドデザインだが、ダン・バルフォアとトム・ギボンズが担当。物語の感情の複雑さを完璧に支えており、ニール・ダイアモンドの「スウィート・キャロライン」だけでなく、ザ・ヴァーヴの「ビタースウィート・シンフォニー」あり、ファット・レスの「Vindaloo」あり、チームの学習過程が心理的に高揚していく様子を見事に演出している。



このプロダクションがいかに観客の感情に入り込み、ハラハラドキドキを与えたかは、劇前半終了前のコロンビア戦(2018年ワールドカップ)でイングランドがPKで勝利を収めたシーンで、皆が手に汗を握り、その勝利を大歓声と拍手の渦で祝ったことが証明している。5年以上も前の試合で、結果も分かっているというのにだ。

結局のところ、スポーツ観戦というのは、こういうことなのだ。この作品は私たち国民/ファン/サポーターの陶酔と悲嘆の集合的な感覚が、選ばれた少数の人々の人生をどのように決定するのかを、私たちに問いかけている。つまり、本当の問題は、試合に負けるという事実なのではなく、自分のサポートするチームが負けるという事実に対処できない国民なのではないだろうか。

サウスゲート監督率いる若き代表たちが、150年にわたるイングランドチームの歴史の延長線上のどこに位置しているのか、代表チームと国民精神の相互リンクとは何なのか、PK戦の失敗がどのようにして国全体のストーリーの一部になっているか、ここではさまざまな問いと理論が描かれている。


答えはまだ出ていない。サウスゲートは今でも現役でイングランド・フットボールチームの監督であるし、今年夏にドイツで開催されるユーロ24でチームがどのような晴れ舞台を見せてくれるのかは誰も分からない。しかしここではそれは語られるべきではないだろう。

劇は総立ちのスタンディングオベーションで終了した。それも当然のことだろう。『ディア・イングランド』は、サッカーが好きな人だけでなく、ファンとプレイヤーの健康的な相互関係を構築するためにどのような対策が必要かを、ユーモラスかつ感動的に描いた、フィールグッドな作品なのだ。

終了後、歴代イングランド代表の名前がテロップで流れる中、会場退室時にかかっていた、Three Lionsの 「Football's Coming Home」。皆でこれを歌いながらシアターを後にした。実際先に”Football's Coming Home”したのは、2022年、ユーロ22で優勝したイングランド女子チームだったけど(↓)。



1996年ユーロ杯で、PKをミスしたサウスゲートがチームメートとともに出演したピザ・ハットのTVコマーシャル。「ミス」という単語を多用して笑いをとるが、これでサウスゲートが少しでも気が楽になったのか?とか国民感情を抑えることができたのか?は甚だ疑問だが、こういうところを逆手にとって笑いに変えようとするのが、まさにイギリスらしいとは思う。

公式インスタグラムはこちら(↓)。

なんと、サラ・ジェシカ・パーカーも最近行ってたのか!

(終わり)

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