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イングランド優勝から振り返る女子サッカーの歴史~50年間の禁止令を経て

2022年7月31日、女子サッカーの伝説が一つ生まれた。ユーロ2022でイングランドが強豪ドイツを2-1で下し、初優勝を収めたのだ。

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試合の模様は英BBCで生中継され、地上波で平均11ミリオン(1100万人)が視聴、試合終了直前に至っては1700万人がTVに釘付けとなり、その勝利の瞬間を目撃した(BBCウェブサイトのiplayer 視聴者数590万人はここに含まれていない)。これだけでも、これまれでの女子サッカーの視聴率の記録を打ち破ったことになるのだが、この数字は単なるレコード破りだけでなく、英国民の関心がまさにここに集中していた瞬間があったことが伺える。

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観戦動員数は87,192人。女子だけでなく、すべてのヨーロピアン・チャンピオンシップの試合で最高を記録した。


ここでは、女子サッカーが歩んできたその歴史を振り返り、なぜそこまでに国民の関心を集め、イングランド優勝が、いかに重要であったかを説明することにする。というのもイングランド女子サッカーの辿ってきた軌跡はそれほど順風満帆というわけではなかったからだ。

英ITVがその苦難の軌跡を簡単にまとめていたので、翻訳してみた。

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さかのぼること1世紀前、1920年代、女性に参政権が与えられる10年以上も前、女子サッカーはすでに公のスポーツで、国際試合を含め、チケットはソールドアウトの人気ぶりだった。

女子サッカーの草分けとなったのは、プレストン(ランカシャー)をベースとするDick Kerr’s Ladiesと言われている。彼らの最も有名な試合は1920年のボクシングデー(12月26日)に行われたもので、会場となったリバプールのGoodison Park では5万3千人が観戦し、会場外にも何千もの人が詰めかけた。女子サッカー人気のインパクトは試合そのものだけにとどまらず、彼らはチャリティー活動のために資金集めをすることもたびたびあった。前述のボクシングデーの試合では£3,000(現在でいうところの£40,000≒640万円)もの資金を集めた。最初の女子の試合は1895年。実際には、Dick Kerr’s Ladies以前にも卓越したチームが存在していたといわれている。同時期の1890年代には、北ロンドンの女子チームが活躍し、クラウチ・エンドで行われた試合では1万人もの観戦客があった。そして、30年後の1920年、前述のDick Kerr'sは、最初の国際試合で2万5千人の観客を動員。同試合でフランスの XI というチームを2-0で下した。

それほどに女子サッカーは人気で未来あるスポーツだったのだ。

しかし、悲劇がやってきた。FA(Football Association、フットボール・アソシエーション)が、女性のフットボール・リーグ参加を禁止したのだ。1921年のことだった。FAカウンシルは「サッカーの試合は、女性にとってふさわしくなく、激励されるものではない」という忌まわしい声明を発表。この後50年、女性がフットボールをプレイすることは完全に禁止されたわけではなかったが、スタジアムでのトレーニングや試合などを禁止したことから、女子サッカー人口は激減、彼女たちは公園や野原などでプレイすることを余儀なくされた。

約半世紀の苦難を経て、1969年、ようやく女子フットボール・アソシエーションが設立。そこから変化が始まった。1971年までにFAは禁止をほぼ解除。同年、初めての女子FAカップ決勝戦を開催。 Southampton がStewarton and Thistleを4-1で倒し優勝した。翌年の1972年には、最初の国際公式試合がイングランドのGreenock で開催され、イングランドがスコットランドを3-2で下した。

1984年、最初の女子ヨーロピアン・チャンピオンシップでは、イングランドが決勝戦でスウェーデンと対決。スウェーデンが先制したものの、イングランドが同点に追いついた。しかしながら、ペナルティーで敗れた。

あれから40年、2022年、イングランドはついに頂点に立ったのだ。


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イングランド女子サッカーチーム(1972)、初めてのスコットランド戦前。

英ガーディアン紙は、今回の優勝を受けて、1970~2004年にイングランド女子チームに所属していたプレイヤーにインタビュー。

シーラ・パーカー氏(最初のイングランド女子チームキャプテン、ディフェンダー、1972‐83):「フルタイムで別の仕事をしながらプレイしなければならなかった。有給休暇はすべて練習と試合に充てたわ。一番記憶に残っているのは、日本へ対抗試合に行ったこと。とにかく貯金して、親戚から借金したりして、なんとかフライト代とホテル代を捻出したのだけど、よい思い出よ」。

キャロル・トーマス氏(2番目のイングランド女子チームキャプテン、ディフェンダー、1974‐85):「自分たちのプレイする権利を主張したかった。男子チームと比較しようなんて思ったこともないわ。でもやはり、国内・国際にかかわらず、自腹で遠征に行ったりという経済的負担、自分たちでユニフォームを洗濯したりという手間が少しでも軽減されていれば、とは思うわ」

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英イブニング・スタンダートに掲載された現ライオネスたちがまだ子供だった頃の写真。先人のどのような姿を見て、彼女たちはフットボールへの道を選び、技術を高め、戦術を学び、闘志を燃やしていったのだろうか。









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