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ここに来るまで

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初めての海外である英国への留学から、ニュージーランドへの移住、ニュージーランドの大学教員トップ10に選出されるまでの歩みをまとめています。
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記事一覧

【ここに来るまで】 2022年 池袋・サンシャインシティでの感謝のランチ会『愛にあふれて』

🌈 すごいことはアッサリ起きた 2022年の11月にサンシャインシティの58階のレストランで感謝を込めたランチ会『愛にあふれて』を開催しました。 ニュージーランド在住の僕にとって11月は帰国するタイミングとしてはとても難しいのですが、帰国を決断して、ランチ会が実現しました。 🌈 日本への一時帰国は玉置浩二さんのおかげ 実は、ニュージーランドから日本への一時帰国決定の決め手の一つは、玉置浩二さんの大阪フェスティバルホールでのコンサートチケットを入手できたことでした。

【ここに来るまで】 2022年 アルクの『日本語ジャーナル』 に掲載されたインタビュー記事

🌈 『日本語教師プロファイル』のインタビュー アルクの『日本語ジャーナル』の「日本語教師プロファイル』の記事のためにインタビューをしていただいたことがありました。 インタビュアーは経験豊かな日本語教師で、『日本語文法ブラッシュアップトレーニング』の著者でもある仲山淳子さん。たくさんの方にインタビューをして記事を書かれているインタビューのプロでもあります。 僕自身も自分のYouTubeチャンネル『転機・支え・幸せ』で40人以上の方に人生観を伺ってきたので、インタビューの

ニュージーランドの大学教員トップ10に選ばれた僕が30才だった時の自分に伝えたいこと

30才だったときの自分に伝えたいこと 瞬きする瞬間も愛おしく思いながら、「いまここ」にあるものに丁寧に向き合い、目の前の人が一番大切な人だと思って大切に過ごすこと 30才は公立高校の教員の7年目。文部省のプログラムでニュージーランドに日本語教師として派遣されて、北島のハミルトンという街に住んでいました。任期は1994年から96年の3月までで、95年は長男が生まれた年でもあります。 現職の高校教員が2年という長期に渡り外国に派遣されるというのは、教員として貴重な経験ですし

【ここに来るまで】 1994年 高校の英語教師だった僕が日本語教育の直接法の授業参観で受けたショック

REXプログラムへの選抜 公立高校の英語教師だった僕のキャリアの転機の一つは、文部省(当時)の「外国語教育施設日本語指導教員派遣事業」(REXプログラム)に選抜されたことでした。この選抜により、日本語教師としてニュージーランドへ20ヶ月間派遣されることが決定しました。 REXプログラムに参加したいという願望はありましたが、群馬県は教員の公募制度でなかったため、たまたまあのタイミングで選抜されて派遣されたのは本当に幸運でした。この「たまたま」は、その時には全く予想していない

【ここに来るまで】 英文学専攻の僕が、英国留学を経て高校の英語教師になるまで

大学は外国語学部英語学科 国文学には関心はあったけど、国文学だと将来の仕事は国語教員のイメージ。教員には関心なし。英語、海外、通訳、旅行に漠然とした関心を持っていて、使える英語を身につけたいと思った。その方面だと当時は英文学科か英語学科。英文学には関心がなかったので英語学科を選んだ。 在学中は英語の勉強も特にしないまま、3年生になった時にゼミを選ぶ必要があり、なんとなく英国の作家のD.H.ロレンス(日本では『チャタレイ夫人の恋人』が有名)のゼミに入ってしまった。英文学には

【ここに来るまで】 1996年 ニュージーランド赴任記: 20ヶ月の任期を終えた帰国時は二人から三人家族へ

1994-1996の2年間は大きな変化の年ニュージーランドへの赴任時は妻と二人でしたが、20ヶ月後の帰国時には生後8ヶ月の長男と三人での帰国となりました。 ♦️ 1994年 7月 ニュージーランドの北島のハミルトン市の高校に着任。 ♦️ 1995年 7月 長男が誕生 ♦️ 1996年 3月 日本に帰国 ♦️ 1996年 4月 海外赴任中に置籍となっていた高校に戻り、2年生の担任 生後8ヶ月の赤ちゃんを連れての12時間のフライトは色々と大変でした。特に機内の狭いトイ

【夢実現】 34才・ニュージーランドへ妻子と移住、44才博士号取得、 46才・国立大学教員、54才・全国大学教員Top10、57才・東京と京都で初ライブ、58才・オリジナル曲リリース

すべてのわざには時がある 振り返ってみると、僕は取り掛かりが遅いというか遅咲きというか、まあ、それが僕にとって最善のタイミングだったんだと思います。(ただ、その最中では自覚できないんですよね。) そんな僕のここに来るまでの歩みが、あなたの夢の実現の励みや勇気になることを願ってこの記事を書いています。 🌈 23歳で公立高校の英語教員 大学4年で1年交換留学したので大学に5年在籍。 🌈 34才で高校の教員退職し、ニュージーランドに移住:3才の子どもと妻と無職でニュージー

【ここに来るまで】 1998-1999年 転勤、永住権取得、そして高校教員退職

【ここに来るまで】シリーズ このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。 こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。 この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てますように。 🌈 約2年のニュージーランド派遣から帰国し、同じ高校に2年勤務後、転勤 新採用教員として同一校に通算7年(REXプログラムによる海外赴任のための置籍2年を含む)勤務したので、同じ市

【ここに来るまで】 34歳でニュージーランド移住を実現できた秘訣3つ

移住したのは1999年で現在とは状況も大きく違うと思いますし、僕のケースは応用するのが難しいかもしれませんが、海外移住を考えている皆さんの参考に少しでもなったら嬉しいです。 海外移住できた秘訣 ✅ 目標に向けての「地道な行動」と「諦めないこと」 ✅ 運とタイミング ✅ 人とモノのご縁が繋がっていた 🌈 ニュージーランドとのご縁の始まり 1994年から1996年まで、文部省の教員プログラムでニュージーランドに派遣され、高校で日本語を教えていました。それ以前はニュージーラ

【ここに来るまで】 36歳 ニュージーランドの大学で応用言語学の博士課程開始

【ここに来るまで】シリーズ このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。 この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てますように。 🌈 ニュージーランドの大学で応用言語学の博士課程開始 ニュージーランドで4番目に大きいハミルトン市にある国立ワイカト大学で応用言語学の博士課程への入学が認められました。 日本の高校

【ここに来るまで】 2016年 一番緊張した講演 ニュージーランド大使と日本大使も参加していた『日本・ニュージーランド経済人会議』@ウェリントン 

【ここに来るまで】シリーズ このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。 🌈 日本・ニュージーランド経済人会議での基調講演 2016年、ニュージーランドの首都のウェリントンでの基調講演。これは緊張しました。 教員生活も長いので人前で話すことは慣れていますが、それは生徒や学生さんが中心。不特定多数の人に、しかも

【ここに来るまで】1995-1998年 ニュージーランドの高校に日本語教師として派遣中にパートタイムで修士課程開始

【ここに来るまで】シリーズこのシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。 この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てますように。 🌈 教育学でMaster of Philosophy(研究修士)を開始:きっかけは妻の妊娠とつわり 文部省の『外国語教育施設日本語指導教員派遣事業』によりニュージーランドのハミルトン

【ここに来るまで】 2011年 ニュージーランドの大学教員になったプロセス  応募から選考

【ここに来るまで】シリーズこのシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。 この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てますように。 🌈 僕の研究領域は応用言語学・日本語教育です。2009年にニュージーランドの大学で博士号を取得、高校教員をしていた2010年に日本語教育のポジションに応募し、幸運にも採用となり現在に至っ

【ここに来るまで】 2009年 ニュージーランドの大学で応用言語学の博士号:取得できた理由三つ

【ここに来るまで】シリーズ このシリーズでは、公立高校の英語教員だった僕が、日本語教育と出会い、ニュージーランドの大学教員トップ10の一人として表彰されるまでの歩みを書いていきます。こういう展開になるとは、夢にも思っていませんでした。 この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てますように。 🌈 博士号を取得できたのは ① あきらめなかったから ② 運がよかったから  ③ 妻の支え ニュージーランドでは博士課程はフルタイムで3年、しばしばそれ以上の年月がかかる研