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なんだそれ

気が向いたら屠殺動画を見るようにしている。

今回も狩猟動画を見て、随分と堪えた。仕事中に涙出るし、鼻もグスグスいわせていたら、免疫が落ちたのか、そのまま風邪をひいてしまった。さらに腰をグキッとやった。

幸いどっちも軽いし、単に私の体調管理が悪いだけかもしれないけど。なんだか気分が冴えない。

……しんどいなら見なきゃいいって?

でも「私」は、現実を少しずつ知っていった方がいい気がする。



私は世間知らずで脳内花畑。考えること、やること成すこと、どこかズレている。
それでふわっとした「天然ボケ」キャラであるなら良かったが、私は常に被害者意識と、分不相応な正義感が抜けないのだ。「アンタにそれ言う資格あると思ってんの?」というようなことを平気で言う。

だから知る。考える。動物たちの死骸をやたらと見た中学生の頃から……いや、その前からかもしれないけど……私は動物の「死」に取り憑かれている。


第一、残酷なものを見なきゃいいといったって、動物について楽しいことを調べても調べても、目に入ってくるのは駆除や屠殺の話。

琵琶湖の水鳥について調べれば、カワウの殺処分について知る。
アヒルはカモ、ガチョウはガンを家禽化したものだと知り、次にフォアグラの話にたどり着く。
キツネやタヌキについて調べれば、毛皮のために飼われ殺されると。
野生動物について調べれば、害獣としてシカやイノシシやサルが駆除されていると。
魚について調べても、野鳥を検索しても、捌いて食べる話が出てくる。

単に逃げ場がないのである。


地球上に生まれたということは、死ぬということ。それ以前に殺しているということ。でも殺すことについてはまだまだ無自覚で、疎い。

一度聞いたことでも、軽く聞き流していたのか、改めて聞くと急にグサッとくることがある。

たとえば「人権」。小学校で習い、当たり前のことだと思っているが、その当たり前であってほしいことも、まだまだ守られていない。いじめや過労死、貧困、差別、戦争など色々。

守られていないからこそ、「人権」という言葉が欲しい。形だけでも存在していてほしい。とはいえ。


「人間」に生まれ、「人間」である権利。
改めて聞くとゾワッとする。

誰が言った?
当然人間だ。人類が語れる相手は、人類しかいないのだから。

人の形をしているものには人権があり、人じゃなかったら人権はない。イノシシやサルの姿をしている者に人権はない。どれだけ深い知性を持っていようが、人懐っこい個体だろうが、害獣は害獣。全部まとめて動物。いつ殺されてもおかしくない存在なのである。戦時中に猛獣殺処分があったように。


私は落ちこぼれ、いじめに遭い、性犯罪に遭い、セカンドレイプみたいな言葉を吐かれ、自分が「人間である」という自覚が薄い。

私は生産性がない。仕事が遅くて下手。恋愛もしたことない、結婚もしていない、もちろん子どももいない、それどころか友達すらいない。

仕事では役立たずなので「他に才能があるんだ」と信じ込もうとしたが、夢も叶えられない。文章も、写真も、絵も、あれでもこれでも鳴かず飛ばず。

今のところ社会の役に立たない、お荷物である。
けど「ごめんなさい」と言うような気にはなれず、ずっと被害者意識で社会を憎んできた。


いつもシロバナタンポポを眺めていた場所の空き家が取り壊され、土も掘り返されたのか、まっ平らな空き地になった。もうシロバナタンポポ、生えてこないだろうか……工事の後にホタルがいなくなった川みたいに。

大きいキセルガイがいた空き家付近も、バッサリ木が切られたが、どうなるだろう。色んな生き物が見られるエリアだったけど、木がなくなったことで影響はあるだろうか。

些細なことで生き物は姿を消す。雑木林まるごと消滅したりもしているから、影響がないはずはない。
何かが消えただろうが、何が消えたか正確には分からない。私の心の拠り所は、時代の流れというものに、ジワジワと削られ潰されてゆく。
気づくといつの間にか、何かがない……いや、気づかないまま消えていくのか。


私なんか全然頑張っていない。

「え、頑張ってないの? じゃあ頑張れよ。甘ったれるんじゃねぇ」と言われるかもしれないが。一体何のために頑張ればいいんだろう。もはやどこを目指せばいいのか、モチベーションが行方不明。


私だって、頑張る者を尊敬はしていたよ。
けどさ……。

野生動物たちは、破壊された環境の中でも、自分の力で生きて、子育てして、子どもを自立させて。人間みたいに温かい寝床で寝ることも、ご馳走を食べることもなく、質素で過酷でいつ死ぬか分からない命を頑張って生きている。そんな中で、仲間のことも毛繕いしたりして、思いやっているのに。害獣と呼ばれて殺されるなんて。

生きるために命をいただくのは分かる、けど「害獣」って……。



その理屈でいくと、資源を食い潰すだけで生産性のない私は害獣。けど私は殺されない。人間の化けの皮を被っているから「人権」があるんだ。

私は子どもを産み育てていない。女の出来損ないだ。なんて。

今もどこかで必死に子を産み育てている野良犬や野生動物が殺されている。繁殖力が強い害獣だからだ。

繁殖力が強い? 害獣?
私は子を産み育てていないことで、社会から責められているように感じるのに、子育てしてたくましく立派に生きている動物たちが「害獣」呼ばわりで駆除される?

私なんかより、動物たちの方が、100倍頑張っているのに。

つまり「努力が報われる」んじゃなく。
どこまでいっても「人間」のためなのだ。


だけれどおかしい。毎日みんな大した自由もなく、いわゆる「社畜」である。楽に、誰かの脛をかじって生きているような者は叩かれるし、いつまでもそうしてはいられないだろう。そして余程の鈍感無神経でもなければ、責められたりプレッシャーをかけられ続けるのは辛いことだから、生産性がない立場も辛いことである。

働く、働く、納税、子育て、やがて死ぬ……
毎日忙しい、これが生態系の頂点に立った人類の自由か?


本来頑張って生きる動物の命や身体的自由を奪って、頑張る人間。忙しくて、他人のことなど構っていられない人間。

我々より寿命が短いはずの昆虫も、ゆったりと歩いていたり、野鳥も日が昇る頃や日没頃に、まるで景色でも眺めているように、どこかを見ている。彼女らは何をしているんだろう。彼女らに自由はあるんだろうか。


私はお客様の食べ残しをゴミ袋にぶちこんで捨てる。未開封のものは忘れ物扱いで、しばらく保管されるが、あとで捨てられていることだろう。毎日食べ残しが出る。
食べ残しを集める術があれば、私一人くらいは働かなくても生きていけそう。これだけあれば何人生きられるだろう。だけど捨てまくる。

庭の雑草を抜く。これも生き物たちにとっては食べ物になるかもしれない。何より命だけど、ゴミ袋に詰めて、燃えるゴミとして出す。草は自然に還って循環することもなく、灰になる。草を抜いたあとは、行き場を失った虫たちが右往左往している。

草を殺し、殺菌し、虫を殺し、動物を殺す。
毎日殺戮だらけだけど、人間の私は悠々自適というわけでもない。自分をも殺している。
笑えてくる。一体誰を生かしているんだろう。

いつか向ける先を見つけたときに爆発させようと、牙を研ぎ、ヘイトパワーを溜めておく。



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