同じ命なのに、可愛がられたり嫌われたり、認められたり落ちこぼれたり、食べたり食べられたり(アメブロ振り返り51)
アメブロ振り返り、51回目です。
▲また、アメブロの占いみたいなものをやってみました。
▲「あらしのよるに」について。
▲偽善者的持論を語っています。
なんか、今はまだ体も自由に動くから偽善者でいられるけど、体が不自由になって目もどんどん悪くなったら、偽善者続けられないかもなぁと思う今日この頃です。体が悪くなったら、ムカデを逃がしてあげるのは難しいかも。ハチはもっと危険そう。
今は少子高齢化。害獣害虫への対応はますます大変そう。若くても忙しいと大変そう。そう思うと、偽善を押し付けるのも罪なことですね。
ただ平和に共存したいだけなのにな~。けど熊とかスズメバチとか戦争・災害とか色々あるし、私は落ちこぼれのダメ人間だし……やっぱ地球の魂は難しいな。
けれど、殺したり脅したり滅ぼすしか方法がないとしても。すべて素晴らしく興味深い命であったと思うのです。ハエもゴキブリもカビも雑草も。
▲自分の好きなものが人気になってくると嬉しいです。
▲生き物の観察をするにも人目が気になります。
勝手に森とか入っちゃいけないだろうし、そのへんの空き地も誰かのものだろうし、空き地じゃなければ道路とか公園だけど、道でウロウロするのも、公園でウロウロするのも不審者っぽそう……。
▲たまには日常に「ありがとう」を。
▲自分の好きな作品を批判されると、自分の好みや価値観まで否定された気分……。
でも的確な批判には「なるほど」となったり。
▲「面白い」とか「上手」なんて概念は結局好みに左右される……多分。
▲自分とは真逆のことで悩んでいる人がいたりしますね。
結局悩む性格の人はどうなっても悩むってことか。
▲昔はぼんやり夢見心地でしたが、最近は考え方や感じ方がギスギスしてきたような。
何かが人を変えてしまうとき。その「何か」が世界に存在しなかったとしたらどうなっていたのでしょうね。
たとえばギャンブルとかお酒とかよく聞きますが、それらが世界に存在しなかったら? また、人が変わるとき、変わる前か後か、どっちが本質なのでしょうね?
「いじめが私を暗く変えたかも」と思うけど、経験からくる性格も含めて私なのか。目が悪いことも頭が悪いことも個性なのか。体の不調も時代の流れも、色んな影響含め、すべて「私」の一部なのか。つまり世界は私なのか。
ではこれで終わります。お読みいただきありがとうございました。
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