本当の意味の手放し
過去の手放しとか色々言いますが、
本当の意味の手放しとは「完全に無くす」と言うことではなく
「自分が認識すること」かもしれない。
今週はいろんな自分の「こだわり」とか「恐怖の元になるもの」を
見つけて「そうだったんだ」と認識したことでふと心が軽やかになった。
特にびっくりしたのは「怒られる」と言うことにいろんな過去の出来事に紐付けて恐怖を感じていたり、苦手だと思っていたということを知ったこと。
これって自分だけではなかな気付けないことだったなぁと思う。
過去いろんな人に「過去の傷ついている自分を癒してあげて」とか
言われたことがあったけど、ふんわり理解はすれどイメージもつかないし
よくわからなかった。
でも何か過去のどこかに何か詰まりのようなせき止めているような感覚がずっとあった。なんの出来事なのかもわからない。
でも何かしら何かが引っ掛かっていると言う感覚がずっとあった。
そしたら、全てに「怒られると怖い」と言う感情が紐づいていて、とある出来事が「苦手」と言ってた数種類の出来事に関して、壁打ちじゃないけれど、どんどん深掘りの質問をしてもらった。
そしたらいつも辿り着くワードが「怒られるから」が出てくる。
で、その「怒られるから嫌だ」がどこから出てくるのかというと母に怒られたが出てくる感じ(笑)全てがそこに紐づいているわけではないのに、出来事の全てに「怒られる恐怖」を紐付けていたようで、その感情がいつでも出てきていたようだ。
母が悪いとかそうことではない。しつけもあったかもしれないし、私の受け取りが怖かっただけかもしれないし、母の機嫌が悪かっただけの時もあったと思う。
だけど何故か「怒られている」と感じると本音を隠し、取り繕い、自分の身を守っていたのかもしれない。
と言うことに気がついて自分の中の何かが「あれは違ったんだ」勝手に過去の出来事、過去の感情と紐づけていただけなんだと認識できた。
認識できるととても心が軽やかで、あんなに苦手と思っていたことも「大したことないな」とさえ思える。これは「手放し」の一部だと思う。
自分で認識して「そういうところがあったんだ」と思うだけですでに手放しは始まっているのだと思う。
無意識の97%の中に置いてあったことを意識にあげるだけで意外と一瞬で見える世界や捉え方が変わるんだな。
「事実」と「感情」と「解釈」は分けて考える。そう起業した時言われたことはこんなことだったのかなと言う、過去の教えの意味もひもづいた。
自分の過去を癒し、手放し、どんどん軽やかに進化していこうと思えた今週。紐解いてくれた人たちに感謝です。
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