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マーフィー ランチ

1930年代ナチスの信条に感化された夫婦は軍事複合施設を建て活動の拠点にしていた。日本軍が真珠湾を攻撃した次の日夫婦と50人余りの管理者たちは捕らえられそこは廃墟と化したマーフィー ランチ。至る所に急な階段があり、グラフィティで埋め尽くされたその場所は異世界のようだった。

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些細な事で勃発した夫婦喧嘩という戦争は私達の未来を暗闇に引きずり込んでいく。人に指図されたり、やろうと思っていた事を急かされると私のやる気は失せてしまう。めんどくさい人間だ、私は。お互いに譲らない精神だけは旺盛なのでもう一週間も押し問答が続き私も連れも疲弊していた。それを傍から見ていた子供達も一種の精神的ダメージを受けていたであろう。私達は全く違う種類の人間だし、子供達も個性豊かな一人間だ。

これはとうとうやばいぞと思い、私達は久しぶりに外に出てみることにした。私は日の光で疲れてしまう。連れは日光を浴びると元気になる。それをうまい具合に利用しようという魂胆だ。

私は日の光や太陽光線の暑さにも疲れてしまうが、人間関係にも疲れてしまい時に全てを投げ出し消えてしまいたいと思う事もある。それこそ子供や猫の事なんかももうどうでもよくて、私は案外冷酷な人間なのかもしれないとそれがいつか現実になるようで怖くなる。

祖母はアル中で暴力をふるう祖父に嫌気がさし、末の娘を置いて一人家を出た。長女だった母と真ん中の叔母は就職で家を出ており、当時まだ小学生だった末の叔母は当然祖母を恨んでいた。私が4歳の頃ひょっこり戻って来た祖母は、よく置いて行った叔母が小学校に登校する姿を峠に隠れてみておったと話してくれた。当然そんな話を知らぬ叔母は成人したあともずっと祖母とは心を通わせることはなく、ことあるごとに冷たくあしらっていた。

父は私が14の時家を出た。母はその後あまり家に帰って来なくなり、好きな人が出来た後はそこで暮らしていた。自分勝手な大人たちを嫌と言うほどみてきたはずなのに、そこに自分が放り出されると同じ事をしてしまいそうで吐き気がする。違うのは彼等には縋れる人間がいた事だ。
祖母には一緒に逃避できる人がいて、その人と都会に出た弟を訪ねた。弟はその後自死し、一緒に逃げた相手とのこのこ故郷に舞い戻ってきた。でも二人とも真面目で優しく、私はおばあちゃんとおじちゃんに懐いた。
父には孤独を埋める女の人がいた。母にはあたたかく守ってくれる年上の人がいた。
私は只ただ、孤独に縋りたい。

無になるには様々な物事が滝のように邪魔をしてくるので外は適していないが、無になる前に私の中の負のエナジーが疲労していくのが手に取るように分かった。
眩しい陽の光だとか太陽光線の暑さだとか、肌に触れる得体の知れない虫や植物なんかが私の内に宿る怒りを疲弊させる。やり場の無い怒りや絶望そんなものは自然の力を借りて浄化させてしまう事も必要だと思った。人は自然から陽のエナジーをもらうと言うが私は負のエナジーを消してくれる気がする。

Murphy Ranch
Pacific Palisades, CA

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