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田舎の芋女が久々にラジオを聞いてみた

隔離生活は、TVもラジカセ(古)もないところで送っていた。

自分でも久々にラジカセ、という言葉を使ったなと思う。改めて字面を見てみると、ラジオカセットの略だろうか。昔は一家に一台はあった家電のような気もするが、今はない家庭の方が多いかもしれない。現に我が家もない。上京した時には自分の部屋にあったものを持ってきた気がするが、どうしたんだっけ。

ラジカセがないのはさして驚かれることではないだろう。が、TVがないというのはどうですか。問いかけておいて即自分の場合を答えるが、わたしの場合、考えられない。TVがないと生きていけないタチだ。根っからのTVっ子なのだ。

しかし、隔離生活を送る部屋にはTVがない。この場所の詳細については、後程別記事にて詳しく書くかもしれない。今はラジオにスポットを当てて話を進めていきたいと思う。

隔離生活。しかも、0歳の子ども。TVもラジオもない。そもそもTVっ子のわたしは何日かすると常にしーんとしている部屋の雰囲気にだんだん違和感を感じるようになり、誰かと日本語で意思の疎通がしたいな、と感じるようになっていた。最初は夫と日常の雑談や子どもの様子を見せる目的もあり、FaceTimeをよくしていた。ただ夫もリモートワークで日中は仕事だったので、そう頻繁には出来なかった。妹とLINEビデオ電話する機会もあった。しかし、夫と妹と会話してもやはり通話が終わるとまた静寂がやってくる。物足りなさを感じていた。

そんな時に思いついた。「そうだ!TVを買うことはできないけど(この部屋の所有者はわたしではない)、ラジオが聞けるかも!!radikoというアプリがあったはず。」名案じゃないか。よく思いついたな。今まで特に意識して聞いたことがなかったけど、昔聞いてたラジオ番組の中でパーソナリティの人が言っていたradikoについてのアナウンスがそのまま脳内に蘇ってきた。サブリミナル現象ってこういう風に起こるのかな、などと今書いていて思った。

存在だけは知っていたアプリを、初めてインストールした。確認してみたら隔離生活5日目のことだった。ここ、Wi-Fi飛んでないけどどのくらい通信料かかるんだろう。あのラジオのパーソナリティは「聞き逃したところも、もう1度聞けます」みたいな趣旨で話していた気がするけど、radikoがそのままラジオのような機能(その地域で放送されているリアルタイムのラジオ番組を聞ける)もあるよね、きっと、、。等、考えながらiPhoneを触る手はapp storeでアプリを探しインストールするまでの作業を滑らかに進めていた。


そして、遂に、久々にラジオ番組を聞いた。周波数は、中高生の時によく聞いていた地元のラジオ局を選んだ。懐かしいな。夕方の番組で、女性が明るくトークしていた。久々に他人が話す日本語を聞いた気がした。仕事中、たまに取引先の海外駐在員の人からの電話を取った時に「あ〜、久々の日本語だ。。。」としみじみ言われたことがあった。その時はイマイチピンとこなかったが、この時にとても共感した。だいぶ大袈裟ではあると思う。

感慨に浸っているのも束の間だった。

何か、違和感を感じる。違和感の正体は、、なんだろう。ひたひたに張っていた感慨の温泉のお湯がするすると抜けていくような感じだった。

電波の向こうで、わたし達に向けて話しているパーソナリティの話し方が、どこかで聞いたことがあるような、職場で耳にしたり、ふと街で若者が交わしている会話が耳に入ってきたような感覚。

そうだ。時が経ったのだ。あのころ片田舎で自転車通学していた芋高校生が、上京して一人暮らしを始め、いくつかの職業を経験して数え切れないくらいの人と言葉を交わし、今では一児の母となるくらいに時間が流れていたのだ。中身は芋のままだけど。外見もひょっとしたら芋の片鱗がまだあるのかもしれない。当時は「大人の人が、こうやって何千人、何万人の人に向けて、ニュースや番組に寄せられたFAXやメールを流暢に話しているなぁ」と顔の見えない人に憧れを抱きつつ耳を傾けていたけれど、今やわたしが(年齢だけは)追いついて、追い抜いてしまったのだ。その時のパーソナリティの話し方は、まだ社会人経験の少ない、会社の後輩が人前で慣れないプレゼンしているような話し方だったし、親近感と礼儀がアンバランスだなぁ、というような印象も受けた。今のわたしが、芋女が聞いていたラジオを聞いたらどう思うのだろうか。気になるところではある。(しかし、この後別のラジオ局の番組を聞いてみたらそのような違和感はなかったので、たまたまそういうパーソナリティの番組に当たっただけかもしれない。)

それから、ラジオの世界に戻って数十分経ったわたしは、せっかくradikoのタイムフリー機能を使って昔聞いていたラジオ番組を聞いてみたくなった。radikoは、過去1週間の間に放送されたラジオ番組を自分の好きなタイミングで、3時間分だけ聞けるのだ。つまり、1時間の番組は3回リピートすることができる。

わたしが意識して過去聞いていた番組。福山雅治さんの土曜日夕方の番組。これは、同じ土曜日でも時間帯が少し早くなり、番組タイトルも変わっていた。ナインティナインのオールナイトニッポン。これは矢部さんが卒業して岡村さんが一人で番組をやっていた。そのことは知ってはいたけど、初めて岡村さん一人バージョンを聞いた。やべっちの声がないのが寂しいな、と思った。そして、ポルノグラフィティの新藤晴一さんの月曜夜の番組。歴的には、前の2番組より圧倒的に聞いている期間は短期間だったけど、録音して聞いていた番組。これは、隔離生活しているこの場所ではエリア外で聞くことができなかった(※有料会員は聞くことができる)。

福山とナイナイ(岡村)のラジオの安定感は、変わっていなかった。とても面白くて、すごく嬉しかった。TVで受ける印象と違う一面を覗けるこの2番組が、今も好きだなと思った。そして変わらずに続けることがどれだけ大変なことか、ただの1リスナーに過ぎないわたしでも、今ならわかる。芋女の好きなラジオの世界が、そこにはあった。生活が変わって芋女がラジオから離れていっただけで、ずっとその世界は続いていた。

様々な番組で「これを機にラジオ聴き始めた、という方もいらっしゃると思いますが」というような枕詞を聞いたが、わたしは正にそのタイプの出戻り組だった。学生時代はただただ娯楽で聞いていたけど、今は娯楽だけでなく自分と外の世界を繋ぐツールにもなっていた。大袈裟かもしれないけど。。。

こうして、隔離生活にradikoを取り入れたことで生活レベルが文明開化の如くアップしたのである。

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radikoをインストールしたのは、今からおよそ2ヶ月前のことでした。いっても、ラジオを聴くのは隔離生活だけかな、と思っていたんですが、ナイナイのANNはこれを機に、わたしもまたradikoのタイムフリーリスナーとして復活しました。福山ましゃのラジオは育児の合間を縫い、聞ける時は聴くようになりました。ちなみに、ジェットストリームもましゃが担当することになった、というニュースも本当に衝撃的でした。笑 ナイナイのANNについては、別記事で嬉しさをがっつり書きたいです。文中、途中から親しみを込めて、という意味で敬称略とさせていただきました。無礼をお許しください…

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