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<東京編>じわじわと迫りくる恐怖と

2月の終わり。

わたし達は夜のニュースを見るたびに、このまま東京での生活を続けていて良いのか話し合っていた。


わたしの実家のある地域がまだ、感染者数が少ない為、せめてわたしと子供だけでも東京を離れたほうが良いのではないか。夫もわたしもその考えは常に、早い段階から頭にあった。

しかし、なかなか実行に移せずに、東京に居続けていた。

ちょうど、夫の転職のタイミングが重なっていて、3月から新しい職場での勤務が始まる時だった。

子供じゃないんだから、と思われるかもしれないけど…


夫は平日の朝も比較的遅く、通勤も電車を使わない。スーツで出勤するというお堅いサラリーマン、というイメージの職種ではなく、所謂クリエイターと呼ばれる職に就いている(その反面で、夜は基本的に遅く、明るくなってから帰ってくことも。外見は私服でヒゲ面なので、たまに面談などでスーツのサラリーマン達がいる会社に出向く時は一目で「社外の人」と判断がつくだろう)。

その夫が、いくつかの理由から3月から転職し、新しい職場に通うこととなった。(理由はのちのち記事にするかもしれない。)そう、次は髭を剃ってスーツで通う、イメージ通りの「サラリーマン」になったのだ。通勤手段も、原則電車となった。

夫にとっては心機一転の3月になるはずだった。わたしにとっても、夫の起床時間や帰宅時間が大きく変化するという点で自分の生活リズムを変えなければいけないだろうな、と思う機会だった。

そこに、今回のこの騒動。

3月時点では国レベルでお達しが出ているわけではなかったので、内定もや出勤予定にも変わりはなかった。しかし、すでにニュースは毎日この騒動を報じており、国民は危機感をしっかり持っていた。

わたし達夫婦は、夫が電車通勤になるということをとても憂慮していた。。。わたしが育休中なのもあって、満員電車に乗って通勤する生活からかけ離れていてた、ということもある(普段でさえ満員電車の空気は殺伐としているのに、今の満員電車は全員がマスクをして、花粉症の人のくしゃみやふとした咳ですら異常に警戒されるだろう、と想像していた)。

考えた結果、この騒動が落ち着くまではしばらくわたしが車で送迎をすることになった。夫は東京の道に慣れている。朝、会社までは、夫が運転する。道路が混むとはいえ、ある程度予測して出発時間や通勤ルートを立てれるだろう。会社から家に戻る時はわたしの運転になるが、これは多少道を間違ってもわたしさえパニックにならなければ、いつかは帰宅できる。夕方、夫を迎えに行く時も同じ。最初はそんなに残業もないだろうから、帰社時間も読みやすいはず。少し時間がかかることや、渋滞を考慮して少し早めに家を出れば良い。早く着く分には問題ないよね。携帯があれば時間は潰せる(幸い、うちの子はチャイルドシートに乗って走っている時はおとなしかった。信号で止まるとふえ〜、と泣き出すのだが、走り出すとまた静かになる。夫を待っている間も、寝てなければ抱っこでもしてれば良い)。

2月末までに、今まで白いYシャツと冠婚葬祭用のシャツ数点しか持ってなかった夫の、柄物のシャツを買ったり、スーツも新調したりして準備を進めていた。

こうして、見えない敵との持久戦に備え、家族で乗り越える覚悟をしていた。

*

初めて本編的なものを1本書き終えました。これが、noteのサイズ的にちょうど良いのか、短すぎるのか。長すぎることはないだろうと思っていますが、1500文字とその内容の濃度が見合っているのか、、いないのか。もし親切な方がいたらコメントで教えてくれたら嬉しいです。

今回は書き上げるのに3回、時間がかかりました。noteの執筆において、子どもはいつ泣き出すかわからない時限爆弾のよう。

車内にて(今もちょうど時限爆弾が少し存在アピールしてきましたが、ジャブでした。無事ここまでたどり着けて良かった)。




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