心のブロックは意外なところにあるのかもしれない

自分の得意なところや、いいところを主張することが苦手。
恋愛をするなんてとんでもないと思っている。

その原因として、
「自分を認めていない」「自己否定の傾向がある」「自分に自信がない」
ということがよく言われています。
しかし、もう一歩踏み込んでみると、思っていたところと違った場所に、真の原因が見つかるかもしれません。

とある夜、おもむろに始まった会話。

その日、私はアロママッサージを受ける予定でした。
ところが、予約していた場所がおよそマッサージができる空間&設備ではなく、その日はマッサージをしてくれる予定だった方と2人でご飯に行くことに。

せっかくのアロママッサージとのことで、私は直感で選んできた(「私を連れて行って」というイメージが浮かんできた)オイルを2種持っていきました。

①ジュニパー:デトックス効果の高いオイル。「固定観念を根こそぎ取る」という効能もある。
②イランイラン:鎮静作用、深い癒し。精神を安定させる作用がある。

この組み合わせから、私にはまだ「明らかになっていない」固定観念があるんじゃないか?という仮説が生まれました。
それは、冒頭に挙げたような「自己否定」「恋愛ができない」に関連するもの。

「今までの発信などを見ていると、男性が何かをするからあなたがダメージを受けるのではなくて、
男性の"存在自体"が、あなたが守りたい何かを刺激しているから、変な反応が出ちゃっているように感じるの」
「たしかに、長年一緒に働いている人たちには反応が出ないですし、既婚者や彼女がいる人は"無害"と感じますね」
(私の中では、"一緒に戦える"か"敵"か"無害"のどれかに男性を仕分けています(笑))

「”女はこうあるべき”と思っていることと、”恥ずかしいと思っていること”を書き出してみるといいかも」

書き出してみたら、意外な言葉が出てきた(掘り下げタイム)

書き出してみたら、こんな言葉が出てきました。

・恥ずかしいと思っていること…街で手をつないでいたり、腕を組んでいるカップルを見ると「うわぁ」って思う。
それはなぜか?→周りにそういう関係を知らせていることが「恥ずかしくて、自分だったらできない」

ラブラブ自体に恥ずかしさを感じるのではなく、"周りに知らせていること"が恥ずかしいと感じていることにここで気づきました。

でも、それは何で?

「周りに知られると、嫌われる恐れがあるから」

どうして周りに知られると、嫌われるの?

"特別扱い"をされていることが周りに知られると、嫉妬されてしまうから」

小学校4年生の時のエピソード

小学校4年生の時、私は「教室の一番後ろで、授業中に先生が質問をした時に、手を上げている子供たちの中から答える人を指名する」係に任命されたことがあります。

私が任命されるまで、そんな役職はクラスになく、クラス替えがあるまで、私以外の人がその係に指名されることもありませんでした。

なぜ、私がその係に任命されたのかも説明もなかったように記憶しています。

つまり、担任の先生に「特別扱い」をされていたということ。

これで、何が起こったかというと…。
・「みんなで役割分担をする」ものを決める時に、私だけのけ者にされる(あなたは指名係だから、負担が大きいでしょ)、しかもそれが事後報告。
・特別に可愛がられている、と妬みのニュアンスで陰口を言われる

「私が頼んだわけじゃないのに、どうして仲間外れにされなくちゃならないんだろう」
そう思っても、相談できる人もいなかたっため、嫌な想いを消せないまま、時が過ぎていったという記憶だけが残りました。

もっと小さい頃にも、似たようなエピソードがありました

それは幼稚園の年長さんの頃。

お遊戯会で、とある劇をやることになりました。
私は衣装が可愛いとある"端役"を希望していたのですが…、
「あなたを主役にすることに決めたから」
と言われ、主役を務めることに。

私は端役を希望していたにも関わらず。
主役を希望していた女の子が4,5人いたにも関わらず。

なぜ私が抜擢されたのか?
それはなんと、「髪の毛が長かったから」。
みんなの希望を聞いたのって意味があったのでしょうか。

主役に決まった後、他の園児たちが遊んでいる間、私は単独での練習をさせられたり、
「あなたは主役だからね~」と言われて仲間に入れてもらえなかったりと、疎外感を覚える出来事があったと記憶しています。

これらの出来事で、私の中には、「特別扱い」=「仲間外れにされる」という数式が出来上がってしまったのかもしれません。

お仕事で正当に評価された結果の「特別扱い」なら、問題はない

大人になってから気づいたのですが、「特別扱い」であっても、
判断基準がはっきりしていて、ちゃんと説明されたものであればすんなり受け入れることができるものです。

それは、「特別扱い」の理由を周りに納得させられるから。
周りさえ納得していれば、嫉妬の対象にならないから。
仲間外れにされたりもしないだろうから。
(「理由なき特別扱いは、誰かの嫉妬の対象になる」という固定観念もここで生まれていますが、ここでは深く追わないことにします)

そして、実は、理由がはっきりしている特別扱いや、目立つことは、私は嫌いではありません。むしろ、素直に嬉しいです。
今までやってきたことが認められた!自分すごい!って素直に認められるからでしょうか。

でも人生には、特にしっかりした理由もないのに、
希望しているにも関わらず、実力があるにも関わらず、叶えられない人たちがいて、
希望していなかったにも関わらず、叶えられている自分がいるという現象がたびたび起こります。
もちろんその逆パターンも今までの人生で経験していますが、自分が「叶えられない」側にいるよりも、「叶ってしまった」側にいる方が数倍、心が痛むのです。

それは、小さかった頃に、
理由のない特別扱いを受けたことによって、仲間外れにされたり、嫌な思いをした
という経験があったことが影響しているように思います。

実は影響範囲が大きい心の傷

仲間外れにされないために…、誰かに嫌な想いをさせないために。
「理由のない特別扱い」が起こらないようにがんばってしまっていました。

例えば、誰かに褒められても、周りの目を気にして、
「○○さんが手伝ってくれたからなんとかできたんだよ」
「運がよかっただけ」
「私の実力じゃないよ」
と"自分を下に落とす"ことによって、"誰かが嫌な気分になること"を避けようとします。

また、「理由のない特別扱い(=えこひいき)」を他の人にもしないようにしよう、
なぜなら、誰かを特別扱いすることで、その周りの誰かを不快にさせてしまうから。
という心理にもつながっていき、人間関係に慎重になります。

また、この考えって、恋愛ができないことにもつながっている気がします。
恋愛って感情で起こるもの(と理解しています)。
「こういう理由があるから好きになりました」なんて論理が先に来る関係って、その理由がなくなった瞬間破綻しますし、そんな話、あまり聞いたことがありません。
つまり、「理由なき特別扱い」そのもの。

私の場合、共通の知り合いが一人もいないという関係でない限り、
「理由なき特別扱いが周りに知られてしまう」現象が起こってしまうことがほぼ確実なので、無意識に特別な関係を避けようとしているのかもしれませんね。

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