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選択的不登校

11月から、娘がパッタリ登校しなくなった。
少しして
「学校もう行かないかもしれない。担任の先生には話した。」
という報告。随分はっきりしている。
それを聞いた私にも大きな動揺はない。
通信高校だから出欠は単位取得にあまり影響しない、という安心も大きい。
「今年度卒業は目標どおりイケるんでしょ?
それなら自分で決めてかまわないよ。」
だいぶ冷静に答えられた。言葉は自然に出てきた。

最近の様子

10月までは休まずに通学していた。
通学はオプションのようなものだが、
娘は極力休まずに通い、特進クラスに在籍し、
プロジェクト活動にも積極的で、行事は率先して楽しみ、大きな役割も任されて‥
とにかく学校で活発に過ごしていた。
今だって、この学校で良かったと思っているはずだ。その証拠に「うちの学校」というワードをよく使う。学校に愛着があるのが、言葉の端々から伝わってくる。
こうして休んでいる間も、オンライン授業を受けて卒業に必要な単位はほぼ取り終わった。
学校の友達とマメに会ったり、通話したり、
行事の時にはしれっと学校に顔を出したり、
充実した高校生活が続いている。

苦手なのは学校の一部分なのにな‥
登校やめちゃうか~
正直、残念な気持ちはある。
高校生ならではの思い出を来春の卒業までに1つでも多く作ってほしい、
そんな親の勝手な願いがあって、本人に言わないのが精一杯だ。
でも、笑顔がふえた娘をみて「これでいいんだな」と思う。

最近の学校の雰囲気

娘の言うことなので、主観ではあるが、最近、学校の雰囲気がガラリと変わったらしい。
夏休み明けに登校したら、教員の半数が入れ替わっていた、というのは事実。
今まで先生とは友達のように付き合い、
行事は主体的に生徒に任されていた。
そこへ、命令・制限・ダメ出しの三拍子そろった先生が着任して、過度な生徒指導が行われるようになったと言う。
理由も聞かれずに怒られ、行事の自主性は奪われ、その結果、反発して荒れる生徒も出て、さらに指導が厳しくなり、登校する生徒も減っている。要は学校の雰囲気が悪すぎる、という話だった。
「自分が好きだったキャンパスではなくなった。もう行かなくていい。」
と心の内を話してくれた。
残念なことだが、行きにくい環境のようだ。
そもそも繊細な子が多いから、大きな変化で影響が出やすいのは想像できる。
学校という場所は急激な変化に相応しくない、と私は思う。特に、娘のように一度友人関係で傷ついた経験のある子どもにとって、不安を乗り越えてやっと得ることができた居場所なのに、簡単に変わってしまうのはとても残念だ。
学校には味方になってくれる大人が複数人いる場所であってほしい。

生活

通学の懸念とはウラハラに、娘の生活や行動は良い方へ変化している。
登校しなくても目覚まし時計で起床する。
ご飯は3食食べ、お風呂も歯磨きも毎日する。
(”不登校あるある”で、このへんが出来なくなるものなので。)
食器洗い、洗濯ものをたたむ、料理の手伝い、などを頼まなくても自分からサッと動くことが増えた。
初めてのバイトも探してきて採用が決まった。
頭痛・腹痛は慢性的にあるものの「痛くて動けない」と訴える機会が減った。
これが一番うれしい。

勉強

大学受験のほうは、夏以降は芳しくない。
現役合格へのこだわりも、アッサリひっくり返した。
というより、早々に浪人を決めた。理由は
「今年度、入試を受けられるメンタルは調えられないから。」
心の状態はハタで見るより苦しいことが多い。毎週のカウンセリングを受けながらの受験。
綱渡り的な要素を含んでいることは私も医師から忠告されている。親が無理強いすることがあってはならない。
娘がこんな話もしてくれた。
「勉強ができない自分とまだ向き合えない。
人格が否定されるワケじゃないのに、どうも折り合いがつかない。」
もと優等生ならではだろうか。小さい頃の親の声かけはどんな言葉だっただろうと、ドキッとして自分の胸に手を当てる。
とはいえ時間はある。その気になったら勉強は充分間に合う。人生は長い。
大学に行きたい気持ちは変わらない。進路も具体的な希望を持っている。

だから今は、誰かと笑っていてくれればいい。
それだけで学校生活はおつりがくるよ。
母も幸せそうな娘の姿を見られるようになったから、おいしいご飯をせっせと作って、もっと元気になってもらおう。

最初の不登校から5年

私たち家族は何かが変わったんだと気づく。
5年前、娘は学校のすべてから逃げこむように家に隠れていた。
それでもまだ見えないものに追い込まれて、
怯えていた。
私は取り乱し、固執してエネルギーの枯渇した子どもをさらに消耗させた。
どうしたらまた学校に行かせられるだろう?
そればかり考えていた。
感情の嵐の中で、必要なものは何も見えなくなっていた。

学校はパッケージ商品を扱っている

今回の不登校には深刻さが全くない。
自分で必要なものを選んだ娘。
「通学して授業を受ける」ことをしなくても、
学校生活は充実することを見せてくれた。
一般的に考えて、学校は便利なところだ。
学生に必要そうなものを揃えて丸ごと提供してくれる。
だが、そのパッケージ商品をまんべんなく使うことが、娘にはできない。
自分に必要なもの、好きなものを丁寧に選り分けて手に取る。
学校はカスタムメイドでないから雑味がある。その雑味が気になってしょぅがない、
そういう性分だと思う。
パッケージ商品は誰にでも万能なわけではないのだ。

今、思うこと

この選択的な不登校宣言をきっかけに、娘との距離感が縮まった手応えがある。
そして、おそらく次のような好循環か生まれている。   
自分で決めた→親に本音で話せた→親が受け入れた→信頼が深まった→自分で決める自信がついた

人と同じでなくても、親の願い通りでなくても、間違っていない。
自分の人生は自分のもの。責任取るのも自分。自分で決めていい。
昔、私が自分で決めることを親に許されなかったからといって、それを理由に我が子に「あなたはこうしなさい」
なんて押し付けるのは理屈に合わない。
大人になった私自身が自分の制限をはずして、自分で自分のことを決めればいいだけ。
ほんとうは娘だけでなく私も、自分の人生の選択権を持っているのだから。

(長くなりました。長すぎて困ります‥
最後までお読みいただきありがとうございました。)

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