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「米百俵」、食べちゃった国

2023/01/01 Newleader

近代日本の美談

 戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主の一藩として、新政府軍に激しく抵抗した越後の長岡藩は、戦後、厳しい現実に向き合うことになります。7万4000石から2万4000石に減知され、藩士はそれこそ喰うや喰わずの生活を強いられます。明治3年に窮状を見かねた支藩から百俵の米が見舞いに贈られました。

藩士達は当然、日々の生活の足しに分配を要求。しかし、かつての家老にあたる大参事の小林虎三郎は、反対を押し切ってこれを売却し藩校(現在の新潟県立長岡高校の前身)の建設資金に充てます。

 のち昭和18年に作家の山本有三がこのエピソードを題材に書いた戯曲「米百俵」では、早く米を分けろと詰め寄る藩士達に小林が「一日か二日で食い潰して後に何が残るのか。(学校を建てることに使えば)後年には一万俵になるか、百万俵になるか、計り知れないものがある」と説得します。

 佐久間象山の門下であった小林は師とともに目の当たりにしたペリー来航の衝撃から、日本の社会・政治のシステム改変のためには、一にも二にも人材育成、初等レベルからの徹底した教育制度構築が必要と思い至り、安政6年に「興学私議」という論文を執筆し師に送っていました。論ずるだけではなく、藩士達の抵抗にもかかわらず、それを実践したわけです。

 たとえ困窮していても目の前の生活より将来世代への投資の方が重要。いまだ日本人の琴線に触れるのも、明治というか近代日本のあり方を象徴しているかのようなストイックさだからでしょう。

 「今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています」。2002年に小泉純一郎首相(当時)が政権最初の所信表明演説の締めくくりに、このエピソードを使ったことで、「米百俵」は新たに人口に膾炙することになりました。

 小泉氏は自民党総裁選の中から「構造改革無くして景気回復なし」を連呼し、歳出・歳入一体改革、郵政民営化や道路公団改革など特殊法人の整理を打ち上げました。要するに小さな政府志向です。「米百俵」は「改革」のシンボルのように受け取られました。

小泉純一郎が実際に行ったこと

 何にせよ、あれだけ大騒ぎして、国民的熱狂を背に、あれこれ「構造改革」したわけですから、さぞや、経済はその後、力強く成長し、20年経った今、日本は希望に満ち溢れた未来を創造できたのではないかと思いますが、実際にはどうなったのでしょうか。日本の名目GDPは小泉政権発足の2001年に約531兆円でした。これが20年後の2021年には約541兆円。何と20年間で約1.8%しか成長していないのです。

 この間、リーマンショックなど世界的に経済危機に見舞われました。そのダメージが大きかったのは事実です。しかし、それは日本だけではなく世界中どこの国も同じ条件です。アメリカは約2倍、中国は何と10倍以上の成長を遂げています。その原因は何か。経済政策論から様々な考察がなされると思いますが、ここでは、なぜ「希望に満ち溢れた未来を創造」出来なかったか考えてみます。

 実は経済統計だけを見ると、それなりに元気ではあるのです。税収は2018年度にはバブル期のピークを上廻っており、その増収傾向は今年度も続いています。失業率なども90年代末から2010年あたりまでの水準に比べると劇的に改善しています。2001年度に約82兆円だった政府一般会計当初予算は、2022年度には約107兆円。20世紀までの日本なら、これだけ政府支出が増えれば、世の中上向きになるはずですが、なぜか国民にその実感はありません。

 問題はその支出の内訳にあります。2001年度に約17兆円だった社会保障費は約36兆円に。この間の予算総額の増分の76%を占めてしまっています。その中身は年金制度と健康保険制度への国庫補助が大宗を占めており、明らかに高齢化の結果。団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年以降、さらに増勢が見込まれています一方、文教・科学振興費は約6.6兆円から何と約5.4兆円へ減額。この減少は、このままでは日本の先端科学研究に深刻な影響を与えるとの警告が相次いで上がる状況に陥っています。

 実はこの傾向は小泉政権時には始まっています。団塊の世代がまだ現役のうちに、年金保険料を引き上げるなどのてこ入れは、2005年の年金再計算がラストチャンスでしたが、小泉政権はスルーします。また、2003年には国立大学を学校法人化し、有り体に言えば特殊法人などと同じくリストラの対象としました。老年世代が食べていくための資金が厖大に膨れ上がり続け、そのしわ寄せで教育という将来世代への大切な投資を削り続ける羽目になっているのです。

 「改革」といって未来を削り、現在の糊口をしのいでいるのです。つまり日本は「米百俵」の真逆を行ってきたのです。もはや前期高齢者に連なる私が言うのも何ですが、小林虎三郎ら、困窮に耐えて将来への投資を続けた明治草創期の日本人が、結構豊かな今の日本のこの有様を見たら、何と言って歎くのでしょうか。

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