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今日のYOGA。「白露:肌寒い/甘い記憶を/物足りない」

昨年の11月からお休みしていた
「YOGA日記」を再開いたします。

出逢ってから8年目のヨガ。
日々続ける中で得た
気づきをつらつらと綴る日記です。

今回からは
二十四節気、七十二候にのせて
お届けしてまいります。




✴︎

白露・はくろ

【草露白 ・くさのつゆしろし】
「9月8日~9月12日頃」



<9月8日>


肌寒い。

春以来のこの感覚に
懐かしさを覚えるほどで。


このひんやりとした空気を
肌が、身体がたしかに記憶しているのだな
ということを思う。


そういえば
ヨガをしていると

こうした身体の記憶
ふれることはよくある。


「緊張」がおなかや腕から
「不安」がのどもとから

ほろりと思い出されるような
感じだろうか。


ポーズを取った直後、
その余韻に浸っていると

それらの緊張や不安が
身体がゆるんだことで
抜けていく。

そこで初めて
「腕に緊張があったんだ。」と気づく。

そんな感じで。


そして、
身体に「記憶」されるということも
思い知る。


記憶してしまうのなら
なるべく身体にも頭にも
心地よく、時に甘い記憶をのこしたい。

だから、ヨガを通して
身体や心を重くするような記憶は
なるべく抜いていきたいな

手放していきたいな
と思う。

よくをいえば、
甘いものだけのこして。




<9月9日>

重陽(ちょうよう)の節句。

長寿や無病息災を願うこの日。

ゆっくり自分の身体と向き合おうと
思ったものの

この節句の縁起物
「栗ごはん」づくりのことが
頭から離れない。

お米を洗って
栗をお湯に浸して
皮を剥いて
ごはんと栗を炊いて…

これを祖母がデイサービスから
帰ってくるまでに終わらせないと

と言ったことが頭をぐるぐるめぐる。


一時間身体を動かすことはできた。

それでも思考の忙しさで
「物足りない」心のこりを
自らつくってしまった
のだった。


ヨガで大切にされている
「今ここ」への意識

未来でも過去でもない
「今」に集中すること

今日はあまりできなかったなと
振り返る。

それでも、その自分を否定しない。
ありのままを受け止める。


これもまたヨガの大切な教え
だったことを思い出す。





<9月10日>

また暑い。

それでも陽射しは
夏のものとはちがって柔らかい。

その優しい光を身体に纏わせ
ポーズを取っていく。


だんだんとそのことで汗ばんでゆくのだけれど
それも心地よい。

やはり季節は秋なのだと思う。



<9月11日>

小さな旅に出る前。
欠かせないヨガをする。

移動中の身体は固まりやすいからだ。

同じ姿勢が続く中
首肩周りはとくにかちかちになる。


身体は柔らかい方が
きっと旅も愉しめる
と信じながら

ポーズを取っていく。


50分間。

理想よりも長く時間が取れたことが嬉しい。





<9月12日>

窓ごしに富士山を望みながらヨガを。

空気が綺麗なせいか、
陽射しもまぶしい。

ポーズをとる中で、
ふと顔を上げた時
ふいに振り向いた時
ふと目を開けた時に

綺麗な景色が
目に入ること。

「幸せだな〜。」と思う。


穏やかで美しい景色が
人を癒す力。

その大きさに感動すら覚える。

同時に、身を置く場所から受ける
影響の大きさ
も教えてもらったようだった。




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