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「場づくり」は即興でやるもんじゃない。

今日は、思わずドキッとしてしまった、とあるTwitter投稿から。

個人的にも思い当たる節がありすぎて…。

私も、そういうイベントみたいなところでの「内輪ノリ」がもともとあんまり好きじゃない(苦手だった)タイプで。
ちょっぴり勇気を出して一人で新しい場に足を運んでみても、
そういう「内輪ノリ」で盛り上がってしまっている現場を見ると、
「あー私みたいな人はお呼びでなかったのかなあ…」と、すごく残念な気持ちになったことが何度もありました。
一方で、「はじめまして」の人を上手にその場に溶け込ませようとしてくれる人が一人でも場の中にいると、とっても嬉しくなるし、そういう人のことは心から信頼できるんですよね。
なので、自分が場のホスト側になったら、ちゃんと「はじめましての人に優しい」人でありたいな、と思ったものです。

でも、人間恐ろしいもので、
やっぱり「内輪」の持つ安心感ってハンパないんですよね。
気づけば自分も、その安心感を求めて、内輪に閉じたコミュニケーションに終始していたことが何度あったことか…。
自分が場回しの主導権を持っている、場のオーナーとして振る舞える、みたいな場合ならともかくとしても、
自分も一参加者としている場だと、(自分自身はその場では「顔なじみ」だったとしても、)素性も知らぬ初めての人に話しかけていくことって、実は結構勇気が要ることなんだなあ、と思います。

その点、以前私が関わっていたコミュニティで、
「なんでここは、『はじめまして』の人にもこれだけ居心地良くできる場づくりができるんだろう?!」と思うくらい、そのあたりのコミュニケーションが徹底されていた場があったのですが、
これには裏があって、
ちゃんと「はじめましての人とどうコミュニケーションしていくか」「誰がどのような接し方をするか」みたいな、段取り・役割分担がちゃんと事前に打ち合わせされていたんですよね。
相手の目を見て話す、ちゃんと相槌を打つ、みたいな、いわゆる「傾聴」のお作法から、休み時間にどのくらい距離感を詰めにいくか、みたいな微調整まで、それ相応に作戦を組んで、終わったらちゃんと反省会をして。
そりゃあ居心地の良い空間になるわけだ、と後から感心したのをよく覚えています。

まあそこまで徹底してやるかどうかは別にしても、
いずれにせよ言えるのは、
「場づくり」ってのは即興でやるもんじゃないな
ということで。

たとえば何かイベントとかをやるにしても、
それこそ進行の台本とか、タイムキープみたいなのは、ちゃんと段取りして、リハして、みたいにするけれど、
その会全体の場づくりとか、参加者がフリーに交流できる場面とか、
そういうのってだいたい「出たとこ勝負」「その場の流れ任せ」になっちゃいがちじゃないですか。
でも実は、そういう「場づくり」のところこそ、綿密なシミュレーションと、時にはちゃんとした役割分担みたいなものが必要で。

「こういう場づくりをしたい」というものがあるならなおさら、その状態に持っていくためにどういう作用が場の中に必要なのか、しっかりとイメージをした状態でその場に当たらないと、なんかグダグダした感じで終わって「とりあえずみんな仲良く交流できてよかったね」で終わってしまう。
それじゃあまりにもったいなさすぎるから、実は「場づくり」こそちゃんとやらないといけないし、そういうところにも、場のオーナー側の準備の精緻さ、目のつけどころが問われてくるのだろうな、と思います。

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